みんないってしまう

1999 角川書店 山本 文緒

 

山本文緒さんの12の短編集。言葉にできないような微妙な感情を短いストーリーで丁寧に描き出す。

すごかった。どれもこれも、すごかった。どれもこれも、痛い。「いつも心に裁ちバサミ」では軽く泣いた。って、これよんで泣く男ってマジキモイ。

『…四十五点の人生でよかったとよかったと笑ってあげられる。人様に誉められなければ充実しないような、そんな人生を否定してあげられる。』って「ハムスター」の中の一文だけど、ハッとした。

そういえば「裸にネルのシャツ」は田辺さんの短編で同じようなものを読んだことがある気がした。本はほとんど買わないけど、これは買うかもしれない。

へんないきもの

2004 バジリコ 早川 いくを

 

へんな生き物を1ページの文章と1ページのイラストで紹介している。文章は毒舌でフザケていて、おもしろい。また、写真だとエグそうな生き物もイラストだと美しくみえる。文章もイラストもフザけ具合にニンマリしてしまう。おすすめの一冊です!

図書館の本棚でたまたま蛍光色の本が目に付いたのでパラパラ読んでみると、ハリガネムシが書いてあったから、借りてみた。文章のタイトルとして、動物が簡単に説明されている。たとえば「最初から守りに入っている人生 ハリモグラ」とかフザけている。内容もカスザメの説明では「…待ちに待った獲物が通りかかると電光石火で丸呑みにするのだ。その間わずか0.2秒。ちなみに次元大介の早撃ちは0.3秒。次元より早いのだ。」と、これまたフザけている。カンザス州では進化論を教えなくなったという情報とか、クラゲの話が連れ込み宿の話で終わったり、説明に731部隊とかまで出てくる始末。けどプラナリアも出てきたし、海ほたるショウで海ほたるには電気がかけれているとか、「150度の高熱にも絶対零度にも、真空にも乾燥にも6000気圧もの高圧や放射線にも耐えられる」クマムシとか、ライバルの子供を生き埋めにして殺すメスのプレイリードッグの習性とか、ホホウと思う。アーイアイ、アーイアイのおさるさんが現地では「悪魔の使い」と呼ばれるほど怖い外見なんだってさ、、。

最後はツチノコについてのコラムが書かれている。ツチノコがキリスト教グノーシス派のイコンとして崇拝された「ウロボロスの龍」に似ているとか関係ないことが書かれていると思ったら、ユングの普遍的無意識が出てきて、西欧ではUFOなのに、日本ではツチノコというのはお粗末だとか言い出す。とりあえず、いろんな意味でおもしろい!!

楽園

1995 新潮社 鈴木 光司

 

古代のモンゴル沙漠で生き別れた二人。二つの魂は強い絆によって、時空を超えて出会う。壮大な愛のファンタジー。

壮大さのわりに短くまとまっているので、食い足りない感がある。人類が世界に広がっていく過程で実際にあったかもしれない物語なので、そういうロマンは好きである。最終章は映像化を意識しているのか描写的であった印象がある。

アジアンタムブルー

2005 角川書店 大崎 善生

 

雑誌の編集者の山崎は、みずたまりを撮りつづけるカメラマンの葉子と出会う。取材先で葉子は倒れ、末期ガンであることがわかる。人はどこまで人につくせるのか。せつない愛の物語。

物語はやっぱり後半から加速していく。しかし、なぜかその波に乗れなかった。なぜだろうか。精神状態だったのか、一気に読めなかったからだろうか。パイロットの方がグッときた。作りこまれた舞台装置が見えてしまったのかな。

落下する夕方

1996 角川書店 江國 香織

 

梨果は8年間つきあって、いっしょに生活をおくった健吾と別れる。別れの原因である健吾が好きになった華子が家におしかけてきて、梨果とくらし始める。奔放な華子に梨果、そして健吾も翻弄される。「私は冷静なものが大好きです。冷静で、明晰で、しずかで、あかるくて、絶望しているものが好きです」(あとがきより)

悲愴感が漂っても不思議ではないストーリーだけど、静寂と虚無感が広がる。

菊葉荘の幽霊たち

2000 角川春樹事務所 角田 光代

 

典子と吉元は吉元の新しい部屋を探しに行く。吉元は菊葉荘を気に入ったが、あいにく空室がなかった。職にあぶれていた典子は、菊葉荘の住人を追い出す作戦を開始する。極度にセパレートされた都会人の生活にスポットをあてた作品。

角田さんはテレビで何度か見たことがあった。「小説家であり続けるために小説を書いている」と言っていたのが印象的だった。読んでみると、期待したとおりの作品だった。ふわっとして、ストーリーはとりとめがない。けれど、じんわりと痛快で、テーマがしっかりあり、現代人の空虚感にズバッと切れ込んでいく。もっと他の作品も読まないとダメですね。

スキップ

1999 新潮社 北村 薫

 

高校の文化祭を終え、疲れた真理子は家に帰るとすぐ寝入ってしまう。ふと目を覚ますと、知らない家の二階で寝ている。一階に下りると、玄関を開けて誰かが入ってくる気配。家に入ってきた制服に身を包んだ女学生に、おそるおそる、ここが誰の家なのかを聞くと、、、「ふざけているの?お母さん?」との答えが。人生や時間を描いた作品。

うーむ。途中は流し読みしてしまった。あまりにも牧歌的な世界観で、気持ち悪い正義感が鼻につく。文章も何だか読みにくい。まったく合いませんでした。

プラナリア

2000 文芸春秋 山本 文緒

 

「生まれ変わるなら、面倒なセックスをしないで増えるプラナリアになりたい」

乳がんで乳房を切除し、ときどきそれを話題にして場を白けさせる自称「社会不適応者」の“ヒヨッチ”。離婚してヤル気が起きず「暇」を持て余しているプーの泉水。子どもに対して母親としての自然な感情が起きず、怒れば良いのか許せば良いのかがわからない加藤。セックスしなくて良いカレシが心地よくベストパートナーだと思っているのだけど結婚には踏み切れない美都。脱サラしてお店をもったが、奔放なスミ江を持て余す“マジオ”。。。ゲンダイの人が抱えている微妙な感情を描き出す5つの短編。

始めの4つの感想は「鈍痛」、、、「うーん」と思って最後の短編を読むと、赤子の手をひねるように泣かされてしまった。山本文緒さんは2冊目だけど、すでに山本ワールドにシンクロできるようになってしまった。カブトガニに生まれ変わりたいとか言っている自分も同じ系統なのか?!もっと読みたい。。。

疾走

2003 角川書店 重松 清

 

海沿いの米どころ。そこには「浜」と「沖」、2つの地域があった。「浜」の人は干拓地に新たに移り住んだ「沖」の住人をさげずむ。そんなふるさとで育ったシュウジには、成績もよく両親の期待を一身に受ける兄、シュウイチがいた。シュウイチもまた「沖」をことあるごとにけなす一人だった。シュウイチは家では絶対的な存在だった。そしてシュウジはシュウイチから隠れた暴力を受けるようになる。しかし、このころはまだ幸せだったのだ。。。。ゆっくりとナイフを腹に突き刺されるような痛み。読むのだったら覚悟が必要です。

テーマは「カナリア」と同じ「他者とのつながり」。物語の悲惨さは「リリイシュシュのすべて」の100倍。一気に読んでいたら吐いていたかも。精神がなんとか最後まで持ちこたえたが、ズタボロといった感じ。聖書が出てくる。しかし聖書では救えないほどの状態。救いがない。はっきり言ってお勧めしません。どういう人が読むのがよいのだろうか…。逆にいうと、、、幸せな人は読んではいけません。不幸な人も読んではいけません。いじめられている人も読んではいけません。精神にダメージを抱えている人も読んではいけません。

光射す海

1996 新潮社 鈴木 光司

 

入水自殺を図った女性が精神病院に運ばれてくる。その女性は妊娠していることがわかるが、問いかけても反応がない。彼女に秘められた過去とは…。運命に翻弄される人生を描いた心にしみる傑作。

きた。30ページくらいで、すでに鳥肌がたっていたが、最後までその興奮は続いた。人生とその交わり。弱さ。強さ。過ち。痛み。いたわり。救い。すべてのエッセンスが絶妙に溶け合い混ざり合い、人間という脆く矛盾に満ちた存在を美しく彩る。