文章読本

1995 中央公論社 丸谷 才一

 

「すなはち口語文が貧弱なのは現代日本文明が劣悪なことの結果である。それは断言して差支へない。しかし、だからと言つて、当面われわれの文章の水準はどうあがいても今の程度以上にはゆかないなんて諦める必要は豪もない。文章と文明の関係はもつと相関的なもので、なるほど前者は後者によつて根本的に規定されているけれど、一方、後者は前者から多大の影響を受ける。文体が文明を動かす事態もまたあり得るのだ。いや、古来すぐれた文体は常に文明に対して激しく作用してきた。口語文の未熟はたしかにわれわれの生き方の反映にちがひないが、しかし、口語文を成熟させることはわれわれの生き方を豊かなものに改めてくれるはずである。文章が人間の精神の最も基本的な表現である以上、さういふ期待と信頼を寄せることは充分に正しいだらう。 口語文の型はまだできあがつていないゆえすこぶる具合が悪いと、私は何度もかいた。そのこと自体はすこしも間違つていないが、しかしわれわれの文章の規範は、ちよいと隣りへ行つて借りて来るなんてものではない。過去から学び取るにしても、それは常に自分自身を経過しない限り、手本には決してなり得ない。すなはち新しい文章の型は、われわれが自分の力で作るしかない。文明全体、社会全体の力で作るしかない。すくなくとも、さういふ地盤が与えられていない限り、玄人の_は一般の財産となることができないだらう。こんな当り前のことをついうつかり忘れていたところに、おそらく、現代日本の文章の最も悲劇的な条件があつた。 もし言語の風俗が乱れているならば正さなければならない。同様に、文章の力が衰へているならば癒す必要がある。だが、力強い文章とは、何もいちいち左様しからばでものを言ふことではなく、たとへば優しい心を充分に披瀝することでも、あるいは、陽気にふざけちらすことだつて、やはり力なのである。肝心なのは、現代日本の文章が、われわれの現実-いつそう複雑なものになつたこの新しい現実に、対応するだけの昨日を備へていないといふことなのだ。これに立ち向かふだけのものをもし創造できないならば、それはすなはちわれわれの敗北を意味するわけなのでに。すなはちわれわれは玄人とか素人とかいふ区別なしに、口語文の完成のため営々として努力しなければならない。」

文章読本を読んでいるのは何かこっ恥ずかしいけど、ちょっとこの文を引用したかった。引用というには多すぎるな・・・。口語文は完成していない!まだ100年くらいの歴史しかないし。その発展に貢献できるとはとても思えないけど、自分たちが使っている文章がまだ発展の途上にあることを意識するのは、悪いことではない気がする。

ココナッツ

2000 角川書店 山本 文緒

 

実乃の中学二年の夏休み、密かに心を寄せる永春さんの同級生、ロック歌手の黒木洋介のコンサートが開かれることになる。それをきっかけに便利屋を始めた父親を手伝っていた実乃は事件へと巻き込まれていく。清々しい青春物語。

群青の夜の羽毛布

2006 文藝春秋 山本 文緒

 

「もしもう一度生まれ変わることができたら、わたしはきっと子供はつくらないでしょうね。結婚もしないかもしれません。どうしてかって?怖いからですよ。わたしは家族というものが、今はこころから恐ろしいんです。」

丘の上の家でひっそり暮らすさとる。さとるは鉄男と出合った。彼は健全だった。ストレートで人懐っこく、繊細だった。鉄男はさとると親しくなるにつれて、さとるの家族の異様さに気づき始める。密室である家族の濃い闇を描いた作品。

久しぶりの山本文緒作品だったけど、やっぱり面白くて一瞬で読めてしまった。