第1章 幕末の動乱を生み出したもの
明治維新と呼ばれるようになったのは明治13−14年ごろ。それまで御一新など。大統領からペリーへの命令は親書を伝えること。イギリス、フランス、オランダに遅れていたので、石炭の供給地にしたかった。日本の開港が不成功の場合には沖縄を取ろうとしていた。列強に勝つために太平洋航路を開く必要があった。シーパワー、通商がメインだった。各国の経済規模の推移。ペリーは日本を研究していた。
当時の首相=阿部正弘によって幕府が開国に舵をきることを決めた。安政の改革で開明を登用した。35歳くらいで開国ー>富国ー>強兵の道筋を作った。ペリーが来たとき吉田松陰は24歳。勝麟太郎は22歳で佐久間象山のもとで学んだ。中国では林則徐が学んだ文献を魏源に託し、魏源はそれをもとに「海国図志」を著した。
徳川は石高で管理するために交易を禁止し鎖国した。徳川250年の末期には日本人の平均身長や体重は小さくなる(★食事??)経済もマイナス成長だった。朱子学は徳川のため?士農工商もそこまででなかった?
幕府は開国に踏み切った途端に財政破綻する。薩英戦争で幕府は多額の賠償金を払う。ドルと金銀の交換比率も間違っていた。薩英戦争と下関戦争で長州薩摩も開国しかないとなった。武器商人たちはとんでもなく儲かった。絹や生糸の密貿易で薩摩や長州はお金をためていた。長州は身分制度もやめて軍も近代的にした。イギリスは金払いの良い薩摩に付いた。
第2章 「御一新」は革命か内乱か
光格天皇の時に変化があり、幕府はお伺いをたてろということになった。帝ー>天皇としたのも光格天皇。朝廷の孝明天皇はキリシタン嫌いで、岩倉具視や三条実美が焚き付け、幕府は開国を勝手に決めたということになった。けれど京都にも黒船が来て朝廷も開国になった。明治維新は関ケ原の恨みを晴らした暴力革命。慶応元年などに新政府の方針を考えるべきだった。坂本龍馬の船中八策もそう。
イカサマの錦の御旗を三条実美が作って、賊軍になった慶喜は戦意を失って戦線離脱。会津藩は防衛戦争だった。坂本龍馬は文久二年から慶応三年までの5年間で超人的な動きをした。他の人のアイデアをまとめて実行した。
長岡藩は5万石を盗まれて、米百俵で教育に力を注いだ。会津藩は全部取られて斗南藩に行き、死んでいく。朝敵の藩名の県は一つもない。軍隊でも著しい差別があった。日清日露戦争での大正はほぼ薩長。華族になった数も違う。
大久保利通が企画した岩倉使節団は大きい。攘夷を改めるために必要だった。残ったのは三条実美や山縣有朋のようなレベルの低い人間。西郷隆盛が引っ張り出される。西郷隆盛は毛沢東に似ている。漢詩も作るし、農業主義、永久革命家。西郷さんは軍人。リアリストの大久保利通とは違う。手段を選ばず殿様に取り入ったりして存在感を高める。西郷が去った後は首を切って小さい政府を支配した。著者はリアリストが仕切ったのは良かったと思っている。
維新三傑の後をついだ伊藤博文と山縣有朋はこぶり。伊藤博文は大久保利通が考えたことを実行した。山縣は人格がなかったので、とんでもない軍事政権を作ってしまった。吉田松陰は膨張主義。
幕府側の阿部正弘が描いたものを、大久保利通が引き継いだ、という構図。
第3章 幕末の志士たちは何を見ていたのか
勝海舟は一番はじめの開明的な人、日本人になった人。西郷隆盛と会話をしつつ、イギリスとも交渉した。西郷と対立しないように征韓論からは逃げていた。西郷さんが好きで碑もつくった。勝海舟は江戸の町を燃やす覚悟で交渉に臨んだ。
西郷さんは毛沢東と違うのは権力欲がなかった。廃藩置県では反乱が予想されたが、実際には起こらなかった。
井伊直弼の暗殺と226事件は歴史を大きく動かすテロだった。
大久保利通は破壊と創造、両方した。保守主義、漸進主義、鄧小平のような人。暗殺されて日本が軍事国家になった。開国・富国・強兵というグランドデザインを作った。斬進主義。
桂小五郎は西洋かぶれで発言をどんどんした。政治力や策謀はなかった。性急なところがあったが人は殺さなかった。
岩倉具視は策謀家。公家、幕府がにくかった。
伊藤博文と山縣有朋。伊藤博文は大久保のビジョンを実現に動いた。仕事はできるが蛋白で伊藤派はいなかった。山縣は可愛い可愛いと取り込むが裏切ると首にする。下級武士だった。伊藤博文も下級武士だったが、それよりも低い。吉田松陰は伊藤と山縣の権威付けに利用された。門下の優秀な人は死んで伊藤と山縣だけが残った。吉田松陰は山縣を丸太ん棒と評した。
板垣退助は後に語った。会津の白虎隊はよく戦ったが農民は逃げるばかりだった。それは農民を軽視した政治が悪かったのだと。
アーネスト・サトウは西南戦争のときには薩摩にいて薩摩が勝つと思っていた。各地にいる西郷の信奉者たちが加勢すると思った。政府軍の勝因は武器のレベルと通信網。大久保は嫌い。正当な政府ができる前は個人プレイでいろいろできた。
第4章 「近代日本」とは何か
岩倉使節団はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツで、GDPの大きい順に訪れた。海外から先生も呼んだが東大教授の6倍の給与を払っていた。なので留学して学ばせる方式に切り替えた。和製漢語を作って教育を加速化した。
山縣は西南戦争呉にシビリアン・コントロールを外した。天皇直下の組織で政府は関係ない。プロイセンの影響。自分で作った参謀本部長に自らがなった。
大日本帝国は薩長がつくって薩長が滅ぼした。乃木希典、児島源太郎、東郷平八郎も薩摩。近代国家になったのは薩長のおかげではある。日露戦争の講和でアメリカを逆恨みした。日本人は開国を捨てて、攘夷になった。
薩長が始めた太平洋戦争を賊軍出身者が終わらせた。終戦時の総理大臣の鈴木貫太郎は徳川譜代の名門の久世家。海軍大臣の米内光政は盛岡藩士。第一次大戦あたりから日本のリーダーは世界をみなくなった(★ほんとうか??)原子爆弾のウランの同位体の分離方法も分からなかった。対中戦争の講和の相手として国民党を相手にしないとしてしまった。講和相手がいないと戦争が終わらせられない。
幕府側で開国を志向した阿部正弘や勝海舟はもっと評価されて良い。阿部正弘が作ったグランドデザインを大久保利通が引き継いだ。阿部正弘が一番の功労者で、大久保利通が二番。