「移動文化」考―イスラームの世界をたずねて

1998 岩波書店 片倉 もとこ

 

片倉もとこ先生のイスラーム文化でのフィールドワークをまとめた本。アラビア人の海の民としての一面。移動というものに対する考え方。興味深かったのはバンクーバという異国に住むムスリムの生活の分析だ。同化しようというグループと、厳格にシャーリアを守ろうとするグループ、その中間に位置するグループ。その3グループの分析から、世界中の民族の共生についての提言や、これからの社会のあり方へ話を広げている。片倉哲学がつまった良書。

素晴らしかった。ますますファンになった。民族の共生、国家という枠組みの限界。自分が行き当たっている疑問に答えてくれている気がした。国家の品格や、文明の衝突よりも、本書を読むべき!手元に一冊持っておこう。

常識の世界地図

2001 文芸春秋 21世紀研究会

 

「イギリス人は、イタリア人やアメリカ人が唾や痰を吐くことをひどく嫌う。しかし彼らは、片手で手鼻をかむことはなんとも思っていないのだ。私たちは、おたがいに、本当に理解できるのだろうか」

各地域の様々な“常識”を集めた本。身振り、マナー職、通過儀礼、数、色、宗教。欧米内だけでも大きく違う。世界全体を考えたら、驚くだけではすまない。ネクタイの柄が相手を不快にさせることがあるなんて怖い。

日本人が当たり前に行うことが、場所によってはひどい結果をもたらすことが分かる。特に宗教関係では命にかかわることを肝に銘じておかなければならない。面白かったのがヒットラーがベジだったという話。あと驚いたのはEU圏でナイフやフォークが普及したのは2,3百年前ということだ。なんとか女王とかいう人たちも手で料理を食べていたのだろうか…。不思議だ。

たぶん私たちはお互いに理解できない。それでいて相手に寛容でなくてはならないのだろう。他のシリーズもあるようなので読んでみたい。

名誉と順応―サムライ精神の歴史社会学

2000 NTT出版 池上 英子, 森本 醇

 

本書はルース・ベネディクト女史が作った日本観に真っ向から立ち向かう池上女史による日本文化の再検証した書籍の日本語訳である。サムライの名誉文化の遷移を通して、中世から始まり明治維新に至るまで、膨大な資料に基づき仔細に検証することにより、従属的だと思われがちな日本人の自己意識を分析している。そのサムライの自律性が折にふれて日本を動かすエネルギーの源になっている。この自律性は、社会の安定という背景の中で、何度も危険に晒されているが脈々と生き続けているのだ。また為政者の立場からすれば、名誉文化という資源を使って、サムライたちを飼いならした歴史でもあるという。

日本の歴史をほとんど理解していないアホな私にでも読める素晴らしい書であることは間違いない。しかし、翻訳本ということもあるが、私の頭が悪いせいもあり、独特の日本語が激しく読みにくかった。また引用されている日本研究者がほとんど欧米圏ということが不思議だった。サムライが日本を動かしてきたというのは納得するが、他の90%の民衆はどうなのだろうか。とは言うものの、なぜか私もサムライの行動様式には心震えるものがある。本書にも登場する松陰先生は私の中のヒーローである。葉隠も読みたくなってしまった。けれど、インパクトがあったのはそのような理想的なサムライ像と一線を画す、中世の初期にはサムライが「屠家」として差別的に呼ばれていたこと、自死の形骸化した手順、サムライ=少年のために命を賭けるショタコンというイメージ、などかもしれない。次は「サムライズムの倫理と資本主義の精神」をぜひ書いて欲しい(笑)

イスラームの日常世界

1991 岩波書店 片倉 もと子

 

片倉もとこ先生によるイスラーム社会でのフィールドワークをまとめた、イスラーム文化の解説書。女性である先生が体験した様々な女性の儀式、行事の詳細や、実際に触れ合った女性の言葉などが引用されていて分かりやすく面白い。日常の習慣を西洋文化と比較することにより、イスラームの本質への理解が深まる一冊。

別の読みきれなかった本で、片倉先生が寄せた冒頭の文を読んですっかり先生のファンになってしまった。実家でたまたま発見したこの本でも異文化への暖かい眼差しを感じることができた。

ムスリムの人に大切なものを聞くと100%家族と答えるという。1番目が母、2番目も母、3番目も母、、、4番目は父ということだ。どんだけマザk(ry また、「ラーハ」が一番大切らしい。これは、片倉先生語では「ゆとり」と「くつろぎ」を合わせた「ゆとろぎ」という意味ということと。家族と共に過ごす、人を訪問する、友人と話す、神に祈る、眠る、旅をする、勉強する、知識をうる、詩を謳う、瞑想する、ぼんやりする、ねころがる、などのことらしい。うん。「ゆとろぎ」は大好きだ。イスラームの「ゆっくりズム」から学ぶことも多い。

学問のすすめ

1978 岩波書店 福沢 諭吉

 

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」ではじまる福沢諭吉先生の代表作。分かりやすい表現で、西洋の思想・国家観を日本の民衆に伝えると共に、実学の大切さなどを解説する。権利や平等という現在では一般的な概念や言葉そのものが、当時はなかったことが新鮮である。「身も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり」と、お上に従属していた個人に、強く独立を訴える。

まず思ったのが「天」で、この文章が始っていることだ。そして、それが違和感なく広く受け入れられている。天って何?また、官僚主義への不満や、アンチ孔子的な発言なども面白かった。あとがきで、武士の復讐を否定することで、世の批判もすごかったということが興味深い。

国家の品格

2005 新潮社 藤原 正彦

 

4,5年前だろうか。藤原先生を初めて見たのはNHKの番組だった。コンピュータが人間と同じように思考できるか?という命題に対して、チューリングマシンの権威みたいなアメリカ人との対談だった。そこで、すでに論理に公理が必要ということを言っていて、「サクラや花火が美しいのは人間には死があるからだ。それをコンピュータに再現することは不可能だ」と言っていたのが印象的だった。

藤原先生は、論理の限界や、自国文化の理解と読書の必要性、愛国心ではない“祖国愛”の大切さなどを経験を交えながら分かりやすい文体で語っている。道徳には論理的な理由がなく、それは体に叩き込まなくてはいけないもので、それはむしろ論理の出発点である。また国家というものは自由を制約するもので、自由も平等も幻想だと切って捨てる。随所に見られる先生独特のウイットでも笑ってしまう。一読しておいて損はない日本人への提言かな?

手紙

文芸春秋 東野 圭吾

 

強盗殺人を犯した兄。それによって人生を狂わされた弟は、獄中から兄への手紙を定期的に受け取ることになる。身内に殺人を犯した人がいるとはどういうことか?きれいごとをはいした物語。

やはり自分自身を省みざるを得ないという、作者の意図どおりの感情を抱く。きれいごとや正論を言ったり、正義漢ぶることもできるけど、結局、自分は自分のできる範囲内のことをやるしかないだろう。悲しいけれど。