悪について

1965 紀伊國屋書店 エーリッヒ・フロム, 鈴木 重吉

1965 紀伊國屋書店 エーリッヒ・フロム, 鈴木 重吉

 

「防衛という名をかりない侵略戦争は、ほとんど例がない。防衛を正しく主張した者は誰かという問題は、一般に勝者によって決められたり、またはずっと後になってはじめて客観的に歴史家が決定することもある。」

「復讐の動因は、集団または個人のもつその強さと生産性とに反比例する。無能な者や不具者は自尊心が傷つけられたり砕かれると、その回復の手段として頼れるものはただひとつしかない。つまり「眼には眼を」というたとえのように復讐することだけである。一方、生産的に生きている人にはそういう必要はほとんどない。たとえ傷つけられ、侮辱され、損害を与えられても、生産的に暮らしている過程そのものが過去の傷を忘れさせる。生み出す能力というもおは、復讐の欲求よりも強いことが分かる。」

フロムによるフロイトの理論をベースとした人間分析。決定論に飲まれるのが「悪」。その反対が「自由」。悪に退行・衰退していく過程を、ネクロフィリア、(集団の)ナルチシズム、近親相姦的強制という3つのオリエンテーションの視点から分析する。

個人的にはフロムの決定論からの脱却のための自由は支持するけれど、フロイトのボキャブラリーで語るのに限界があると思う。「ネクロフィラス」->物質主義・産業主義、「ナルチシズム」->集団が持つ主義への陶酔、「近親相姦的なきずな」->血族・種族・家族への結合欲。ちょっと無理やりすぎるんじゃないか?それにこの3つで説明しきれるの?まず肛門リビドーとか出てきた時点で、すんなり納得できなくなってくる。ともあれ、他の人道主義の方々もお勉強する予定。