キリストの誕生

1982 新潮社 遠藤 周作

 

「イエスの奇蹟物語が長い歳月を経て作られたものではなく、彼の死後、ほとんどただちに人々の間に語られたという事実を否定することはできない。」

イエスの死後、ステファノ、ポーロといった強烈な個性がキリスト教を形作り、広めていった様子を描いた作品。

一番強烈だったのはローマ人の物語にもあったと思うが、エルサレムの陥落だ。そんな体験をした民族はより強いアイデンティティを持つにいたると思う。また遠藤氏は不信の危機に何度もさらされていたのだろう。それが作品を生み出すエネルギーに昇華されたのかもしれない。

間違いだらけの経済政策 (日経プレミアシリーズ 25)

榊原 英資 日本経済新聞出版社 2008年11月

 

第一章、日本は世界一豊かな国で世界の先頭を走っているから、どの国かを真似して問題を解決することはできない。第二章、マクロ経済学でなく、確率的な複雑系。第三章、デフレの原因は民間セクターによる東アジア経済圏高構築のため。第四章、円高バブル。第五章、資源政策、農業政策の強化、消費者庁はいらん。第六章、日本を世界の金融拠点に。第七章、原子力、政府による経済コントロールの限界。

やっぱり橋本龍太郎氏の政策をもっと勉強したい。

トコトンやさしいモータの本 (B&Tブックス―今日からモノ知りシリーズ)

谷腰 欣司 日刊工業新聞社 2002年5月

 

モータについて、概要、しくみ、種類、選び方、などが包括的に書かれている本。

ちょっと一般的すぎたかもしれない。雑学編でおもしろいものを見つけた。走磁性細菌。北半球の細菌や北極へ、南半球の細菌は南極へ、移動しつづけるのだとか。

留学

1968 新潮社 遠藤 周作

 

「こんな小さな美術館に入っても、ぼくらはすぐに長い世紀に亙るヨーロッパの大河の中に立たされてしまうんだ」

留学をテーマにした三部作。周囲の期待や自尊心の中でそれぞれの主人公が葛藤する様子が描かれている。

西欧文化が素晴らしいものだということは言うまでもないことだけど、それと同じく素晴らしい日本文化を比べることはあまり意味のないことだと思う。相互に影響されあっていけば良い。というのは頭では分かっているのだけど、実際に留学したら、そうも言ってられない状況に陥るのかもしれない。徐々に遠藤秀作の世界にはまってくるのを感じた。

沈黙

1981 新潮社 遠藤 周作

 

「翌日、拷問は以下のようにして始まった。七人は一人ずつ、その場にいるすべての人から離れて、煮えかえる池の岸に連れていかれ、沸き立つ湯の高い飛沫を見せられ、恐ろしい苦痛を自分の体で味わう前にキリストの教えを棄てるように説き勧められた。(略)しかし全員、神の恵みに強められていたため、大きな勇気を得て、自分たちを拷問にかけよ、自分たちは信奉する教えを絶対に捨てぬと答えた。」

江戸時代、幕府がキリスト教を禁止する中で、決死の思いで日本に渡航した宣教師の物語。布教する中で拷問を受ける人々を見て、彼が感じたこととは?

熱心に布教に家に来るキリスト教系の信者がいた。普段は無視していたが虫のいどころがわるく、戸口に出ていじわるな質問をしたことがある。「韓国ではほとんどキリスト教に改宗したのに、なぜ日本ではそのようにならないのか?」答えて曰く「風土の違いですかね。韓国ではコンビニのように教会がありますよ」と。そんなに違う風土なのか?との疑問が沸いた。しかし、現実に普及しない。某書によると1%未満ということだ。不思議な現象に思える。

そして“沈黙”。この言葉は物語の中ではあまりにも重い。また、人々のために生きるとはどういうことなのか?その中でぶち当たるキリスト教の根源的な問題。物語の運びも素晴らしく、鬼気迫っている。キリスト教などは置いておいても、読むべき小説だと思う。

イエスの生涯

1982 新潮社 遠藤 周作

 

幸いなるかな 心貧しき人
天国は彼等のものなればなり
幸いなるかな 泣く人
彼等は慰められるべければなり

田舎町に50代にも見える老けた30歳すぎの大工がいた。彼は突如、扶養する家族をすてて、新興宗教に入る。最後は弟子に売られて、扇動者として見せしめの刑に処された。その数年のできごとがその後の世界を左右している。それは死を賭して布教をした弟子たちの影響が少なからずあるだろう。しかし彼等はイエスの存命中は尊敬される職業にもついておらず、むしろ駄目人間だった。

『ふしぎなこの転換と変わりようは一体、どこから来たのか。「無力なる男」イエスの彼らに与えた痕跡がそうさせたというのだろうか。私たちがもし聖書をイエス中心と言う普通の読み方をせず、弟子たちを主人公にして読むと、そのテーマはただ一つ-弱虫、卑怯者、駄目人間がどのようにして強い信仰の人たりえたかということになるのだ。』

本書は、遠藤周作氏の聖書観、イエス観である。

2000年後の世界に影響を与えているイエスという人がどのような人であったか?というのは常に興味をそそられる。「誰かがわたしの服に触れた」という下りはすごい迫力があった。無力でもいいのだ。こんな感受性をもった素晴らしい人が実在してくれたことを祈るばかりだ。