
「翌日、拷問は以下のようにして始まった。七人は一人ずつ、その場にいるすべての人から離れて、煮えかえる池の岸に連れていかれ、沸き立つ湯の高い飛沫を見せられ、恐ろしい苦痛を自分の体で味わう前にキリストの教えを棄てるように説き勧められた。(略)しかし全員、神の恵みに強められていたため、大きな勇気を得て、自分たちを拷問にかけよ、自分たちは信奉する教えを絶対に捨てぬと答えた。」
江戸時代、幕府がキリスト教を禁止する中で、決死の思いで日本に渡航した宣教師の物語。布教する中で拷問を受ける人々を見て、彼が感じたこととは?
熱心に布教に家に来るキリスト教系の信者がいた。普段は無視していたが虫のいどころがわるく、戸口に出ていじわるな質問をしたことがある。「韓国ではほとんどキリスト教に改宗したのに、なぜ日本ではそのようにならないのか?」答えて曰く「風土の違いですかね。韓国ではコンビニのように教会がありますよ」と。そんなに違う風土なのか?との疑問が沸いた。しかし、現実に普及しない。某書によると1%未満ということだ。不思議な現象に思える。
そして“沈黙”。この言葉は物語の中ではあまりにも重い。また、人々のために生きるとはどういうことなのか?その中でぶち当たるキリスト教の根源的な問題。物語の運びも素晴らしく、鬼気迫っている。キリスト教などは置いておいても、読むべき小説だと思う。