天国までの百マイル

2000 朝日新聞社 浅田 次郎

 

バブル崩壊で会社も金も失い、妻子とも別れたろくでなしの中年男・安男。心臓病を患う母の命を救うため、天才的な心臓外科医がいるというサン・マルコ病院を目指して車を走らせる。親子の情愛、男女の愛情を描く物語。

マリにはちょっとウルっときたけど、設定が安易なような…。血は20秒で一周するって。

一年ののち

1960 新潮社 フランソワーズ サガン, 朝吹 登水子, Francoise Sagan

 

“いつかあなたはあの男をあいさなくなるだろう”とベルナールは静かにいった、“そして、いつかぼくもまたあなたを愛さなくなるだろう”

ベアトリスに翻弄される二人の男。ジョゼに思いを寄せる二人の男。淡い諦めの絶望感を漂わす作品。

もちろん映画の影響で読んでみた。起伏がなくて読みにくく、そんなに印象的な作品ではなかった。

狭き門

1954 新潮社 ジッド, 山内 義雄

 

「何という悲しい再会だったのでしょう!(中略)これからもあの通りに違いないと思います。もう分かっていますわ。ああ!お願いですから、もう二度とお目にかからないことにしましょう!」

アリサに想いを寄せるジェローム。しかしアリサにとって恋は自分の信仰を汚す感情と思われるのだ。それを切望し拒絶するアリサ。二人の先にあるものとは…。

青山繁晴氏のブログで触れられていたので読んでみた。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」もう少しキリスト教チックは話だと思っていたが恋愛もの。アリサの感情は理解できないが、ジェロームには共感できた。近づくほどに深くなる絶望的な隔たり。

自由からの逃走 新版

1965 東京創元社 エーリッヒ・フロム, 日高 六郎

 

「われわれの願望-そして同じくわれわれの思想や感情-が、どこまでわれわれ自身のものではなくて、外部からもたらされたものであるかを知ることには、特殊な困難がともなう。それは権威と自由という問題と密接につながっている。近代史が経過するうちに、教会の権威は国家の権威に、国家の権威は良心の権威に交代し、現代においては良心の権威は、同調の道具としての、常識や世論という匿名の権威に交代した。われわれは古い明らさまな形の権威から自分を解放したので、新しい権威の餌食となっていることに気がつかない。」

『自由からの逃走』はドイツ生まれの社会心理学者エーリッヒ・フロムによって1941年に発表された。フロムはヒトラーの全体主義に世界が震撼するその最中に、この作品を世に送り出した。

人は精神的な孤独を避けるために帰属を求める。それを宗教改革に見られた社会現象を通して分析する。さらに孤独の不安に端を発する権威志向、それに伴うサディズム的傾向、マゾヒズム的傾向を説明する。この傾向で支配欲や帰属欲、DVまでも説明できるとしている。そしてナチズムを権威志向の観点から分析し、最後にフロムが考える自由、それを支えるデモクラシーへの希望が書かれている。

大学時代に買った本。やっと読んだ…ふー。濃いぜ。ルターの心理学的背景とか知らなかった。一般的に言われている“愛”を「サド・マゾヒズム的な執着」と切っていたのは面白かった。ディズニー批判、メディア批判も今と変わらなくてウケた。

読んでいる最中に(本当の“自由”を享受しているのは誰?芸術家?)とか思っていたら、自発性を持っているのは芸術家だと書いてあった。しかし成功しない芸術家は神経症患者にされるという…。さらに加えて「子供も自発性を持っていて、それが子供を魅力的にしている」というニュアンスが書いてあったが、これには大賛成。私が子供に魅力と無限の可能性を感じるのはこのためだ。

最後に「デモクラシーが自由の発展について不可欠」と書かれていたが、これも「文明の衝突」などを読むと、(デモクラシー自体が西欧主義の一部ということで普遍性はない)とのことだったので、ウムムである。そういえば「文明の衝突」に韓国について「近代社会の精神的なニーズを儒教では満たせなかったので、韓国はキリスト教化した」というようなことが書かれていた。けど、日本は?と思ってしまう。韓国の儒教なんて日本の何倍も徹底しているのに。日本には強い権威が存在しないように感じているけど、それは自分が権威の中にいるからなの?世間体などの権威も今は下火に思えるのだけど…。日本が謎です。

ともあれ、私は普遍的な価値の存在を信じている!
そう!帰属に足る完全無欠の権威を探しているのだ!w

同級生

1996 講談社 東野 圭吾

 

同級生の宮前由紀子は俺の子を身ごもったまま、そして俺の愛が本物だったと信じたまま事故死した。俺にできる償いは本気の関係だったと皆に告白することと事故の真相を暴くことだけだった。やがてある女教師が関わっていたことを突き止めるが、彼女の絞殺体が発見されるや、一転俺は容疑者にされてしまう。学園ミステリー。

自分の子供を身ごもった人が亡くなった主人公の冷静さが論理的には分かるけど感情的に理解できなかった。最後に明かされる”想い”はよかった。

残虐記 (新潮文庫 き)

2007 新潮社 桐野 夏生

 

失踪した作家が残した原稿。そこには、二十五年前の少女誘拐・監禁事件の、自分が被害者であったという驚くべき事実が記してあった。最近出所した犯人からの手紙によって、自ら封印してきた10歳の自分の1年間にも及ぶ監禁生活の記憶が、奔流のように溢れ出したのだ。誰にも話さなかったその「真実」とは…。

残虐なのは誰も真実を求めていない現実ということなのだろうか…。リアリティという点では犯人と少女の深い心理描写がすごかった。これが作者のいう想像力なのだろうか。

対岸の彼女

2004 文藝春秋 角田 光代

 

「もしあたしが無視とかされても、アオちんはべつになんにもしないでいいよ。みんなと一緒に無視しててほしいくらいだよ、そのほうが安全だもん。だってあたしさ、ぜんぜんこわくないんだ、そんなの。無視もスカート切りも、悪口も上履き隠しも、ほんと、ぜーんぜんこわくないの。そんなとこにあたしの大切なものはないし」

葵はいじめが原因で転校した。新しい学校でナナコに出会う。クラスのどのグループにも属さずにみんなに笑顔をふりまく。そんなナナコを葵は好きだったが、そのナナコもしまいにはイジメの対象になる。けれど、二人は校外で密かに会っていた。
それから月日が流れ、家事に閉塞感を抱く小夜子は、大人になった葵・楢橋葵に出会う。葵は女性経営者として会社を切り盛りしていた。小夜子は仕事を通じて自信を取り戻していくが…。過去と未来の物語が同時に進み、葵の過去が明らかになっていく。

守ってあげる。強く肯定してあげる。親から受けて当然のものが与えれない人もいるのだ。がっくりする。自分を殺すか親を殺すかというところまで行き着くのだろうか。自分がそういう子どもに会ってもチャンと受けとめる自信がないかも、とか思うと、ますますがっくりする。“高校3年間一人で弁当を食べてた”と告白されたことがある。きっとその言葉にはその言葉以上の想いが含まれていたのだろうと思う。今の自分には何ができるだろう。この物語は大好きです。

これから食えなくなる魚

2007 幻冬舎 小松 正之

 

「トロが食べられなくなるだけで済むなら、まだマシだ。」「このまま事態が悪化すれば、国内の漁業生産量はかぎりなくゼロに近づいていくだろう。」

著者は水産庁を経て、水産総合研究所センターに在職。政府側から水産を見ている人だ。日本は国内事情にあった漁業体制を築けなかったため、漁業が衰えている。90%以上が外国産。そしてその外国産は激しい争奪戦にさらされている。マグロにかぎらず、エビもサケも日本に回ってこなくなる恐れは十分にある。漁業の生産と消費の両面から考える必要がある。というのが著者のスタンスだ。

75%以上はもう獲ってはいけない魚。また魚はかなり割高な贅沢品である。日本でもマグロの刺身や寿司を誰もが日常的に食べれるようになったのはごく最近にすぎない。魚を食べることが発展途上国ではステイタスシンボルになっているということ。

安全性の話としては地中海産の魚は国内産の10倍のダイオキシンを含んでいる。日本で養殖された魚も外国産のエサを使っているが輸送のために日本で使用禁止になっている農薬なども使われているらしい。

行政の問題としてはほとんど使われなくなった漁港などの整備に予算が当てられている。けれど外国に比べて漁船や漁港の設備は貧弱で、それが漁師離れを起こしている原因にもなっているとのこと。予算の3分の2は公共事業だと。「犬と鬼」のテトラポッドにも触れられていた。行政の人だから読んでいるっぽい。漁業権が既得権益化していることも問題。TACなど含めてノルウェーなどが持っている漁業戦略が日本には欠落しているとのこと。

漁獲量には周期があり、90年代前半まで日本近海で獲れていたマイワシ、マサバが獲れなくなり、いまはゴマサバ、サンマが獲れるとのこと。しかしサンマは科学に基づかない国の規制によって大量に獲れない。アホ。

クジラについては面白かった。まずイルカとクジラの生物的な違いって大きさだけなのだそうな…。捕っちゃまずいクジラも何種類かいるが今はマッコウクジラやミンククジラは健全だということ。またクジラの資源が悪化したのは、アメリカが鯨油ほしさに乱獲したのが原因だって。著者はミンククジラのことを「海のゴキブリ」と呼ぶそうな。もう科学的なところでは国際的に争うべきところがない、という。

「今、マグロがそうなっているように、世界の人々がクジラを食べ始めれば、資源の争奪戦が始まる。いや、それより何よりいちばん深刻なのは、またしてもクジラの資源が脅かされるようになることだ。なにしろ欧米諸国には、鯨油のためにクジラを乱獲し、絶滅させかけたという『前科』がある。そういう人々が、これまでの主義主張を翻してクジラを食べる側にまわり、エゴを剥き出しにすれば、再び過ちを繰り返さないとも限らない(中略)日本としてはあくまでクジラをいかに『持続利用』すべきかを考え、そのために必要な情報を発信しながら冷静に議論を進めていくべきだ。その議論を先頭になってリードしていくだけの知識や経験が日本にはある。」

クジラに対しては何か罪悪感を感じていたが、プロパガンダかも。サンマ、ゴマサバを食べましょー。

友情

1965 偕成社 武者小路 実篤

 

「私はあなたのものです、あなたのものです。私の一生も、名誉も、幸福も、誇りも、皆、あなたのものです。あなたのものになって初めて私は私になるのです」

野島は杉子に恋をした。親友の新進作家・大宮に相談する。大宮は野島と杉子がいっしょになってほしいと切に願い、振舞うのだが…。

中学生か高校生の時に読んでおく作品ですねー。さらさら読めるので、手にとりやすいのではないかな。しかし何このスキサケ。そして見破る杉子。スキサケ返し!みたいな。