愛するということ

1991 紀伊国屋書店 鈴木 晶, Erich Fromm, エーリッヒ・フロム

 

「現代の西洋社会でも、孤立感を克服するもっとも一般的な方法は、集団に同調することである。集団に同調することによって、個人の自我はほんど消え、集団の一員になりきることが目的となる。もし私がみんなと同じになり、ほかの人とちがった思想や感情をもたず、習慣においても服装においても思想においても集団全体に同調すれば、私は救われる。孤独という恐ろしい経験から救われる、というわけだ。
独裁体制は人びとを集団に同調させるために威嚇と脅迫を用い、民主的な国家は暗示と宣伝を用いる。たしかにこの二つのシステムのあいだには一つの大きなちがいがある。民主主義においては、集団に同調しないことも可能であり、実際、同調しない人がまったくいないわけではない。いっぽう全体主義体制にあっては、服従を拒むのはごく少数の特別な英雄とか殉教者だけでだろう。しかし、こうしたちがいにもかかわらず、民主主義者愛においても、ほとんどすべての人が集団に同調している。」

フロムが語る愛する技術。それには理論に精通し、修練を積み、それを究極の関心事すれば良いという。そのためには全人格を発展させ、それを生産的な方向にもっていく必要がある。愛が全般的にかけている現代社会への批判・分析と共に、愛の技術に迫る論文。

愛の理論
-孤独への対処として、現代社会は安易な対処法を提供しているが、愛こそ答え。
-能動的である必要がある。その一つが与えるという好意。自分の生命力の表現。
-その他、愛は以下の要素を持つ。
-配慮:生命や成長を積極的に気にかける。
-責任:相手の精神的な供給に応じる。
-尊敬:その人らしく成長発展していくように気遣う。
-知ること:相手の立場にたって見ること
-愛の対象
-親子の愛:私が私だから愛されるという経験。
-兄弟愛:隣人愛がすべての愛の基本。
-母性愛:母親は幸福な人間でなければならない。
-異性愛:自分という存在の本質を愛し、相手の本質とかかわりあう。
-自己愛:自分自身の人生、幸福、成長、自由を肯定することは、自分の愛する能力、すなわち気遣い、尊敬、責任、理解に根ざしている。
-神への愛:助けてくれる父親を信じるというものではなく、「神」が表象する原理-真理、愛、正義-を生きる。

現代の愛
-経済的価値による指標、標準的な嗜好、消費したがる人、影響されやすい人。そういうものに影響されている愛の概念。

愛の修練
-規律、集中、忍耐、最高度の関心。瞑想。
-謙虚さ、客観性、理性を育て、ナルシシズムの克服。
-自分自身の経験、思考力、観察力、判断の自信に裏付けられた信念を持つ。他人の可能性を信じる。

「人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。
愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろう希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。」

『今日の人間の幸福は「楽しい」ということだ。楽しいとは、何でも「手に入れ」、消費することだ。商品、映像、料理、酒、タバコ、人間、講義、本、映画などを、人びとはかたっぱしから呑みこみ、消費する。(中略)必然的に、愛をめぐる状況も、現代人のそうした社会的性格に呼応している。ロボットは愛することができない。ロボットは「商品化された人格」を交換し、公平な売買を望む。愛の-とくにこのように阻害された構造をもつ結婚の-もっとも重要なあらわれの一つが、「チーム」という概念である。幸福な結婚に関する記事を読むと、かならず、結婚の理想は円満に機能するチームだと書いてある。こうした発想は、滞りなく役目を果たす労働者という考えとたししてちがわない。そうした労働者は「適度に独立して」おり、協力的で、寛大だが、同時に野心にみち、積極的であるべきだとされる。同じように、結婚カウンセラーは言う-夫は妻を「理解」し、協力すべきだ。新しいドレスや料理をほめなくてはいけない。いっぽう妻のほうは、夫が疲れて不機嫌で帰宅したときには優しくいたわり、夫が仕事上のトラブルを打ち明けるときには心をこめて聞き、妻の誕生日を忘れても怒ったりせず、理解しようと努めるべきである、と。
こうした関係を続けていると、二人のあいだがぎくしゃくすることはないが、結局のところ、二人は生涯他人のままであり、けっして「中心と中心の関係」にはならず、相手の気分をこわさないように努め、お世辞を言い合うだけの関係にとどまる。』

博士の愛した数式

2005 新潮社

 

「ああ、静かだ」とつぶやいた。
正解を得た時に感じるのは、喜びや解放ではなく、静けさなのだった。

事故により記憶が80分しかない数学者の博士。彼は数論が専攻で、どの数字をこよなく愛する。その数字の話ばかりする博士を世話をすることになった家政婦は、小学生の息子とともにかけがえのない時間を過ごすことになる。数字の魅力と謎に包まれた切ない物語。

山月記・李陵 他九篇

1994 岩波書店 中島 敦

 

漢学の背景がある中島 敦氏による11篇。

「李陵」「弟子」「名人伝」「文字禍」が心に残った。特に弓をマスターするために修行を積み、遂に「不射の射」をマスターするという「名人伝」は大好き。折に触れて読み返したい短編。

ウは宇宙船のウ

1997 小学館 萩尾 望都

 

レイ・ブラッドベリの傑作短編を萩尾望都が描く、珠玉のSFポエジー全8篇。

ポエジーって「詩」っていう意味みたいだけど、小説とかよりも詩に近い。どの短編も叙景的で悲しい。どこか青臭いところも悪くない。

ゴールデンライラック

1996 小学館 萩尾 望都

 

天真爛漫なヴィクトリアと、その家でいっしょに暮らすことになったビリー。二人の未来に立ちはだかる困難は、二人の人生を大きく左右したが、その中で変わらないものもあった。萩尾望都の描く傑作長編「ゴールデンライラック」を含む、4篇。

青臭い感じがいい。けど、やっぱり普通の少女漫画にない深い洞察がある。