風が強く吹いている

2006 新潮社 三浦 しをん

 

ぶれも歪みもない、完璧なフォーム。そこから繰りだされる強さと速さが、「走りとはこういうものだ」と見るものに告げている。「うつくしいな」と清瀬はつぶやいた。

走(カケル)は日課のランニング中に清瀬に見出される。そして清瀬の住んでいるボロアパートへの引越することになる。ボロアパートで行われた走の歓迎会が行われた。清瀬は10人の住人たちを前に箱根駅伝への参加をぶち上げる。陸上経験もほとんどない青年たちの挑戦を描いた青春小説!

熱い文体で、長いけれど読みやすい。精神と肉体の限界で戦っている描写にはこみ上げるものがある。爽やかな読後感。走りたくなる。

ふと中学で、冬に6キロの学年別の持久走があったのを思い出した。そこで後半、陸上部のやつと一騎打ちになった。最後のスパートに付いていけなくて負けた。(まあ相手は陸上部だしね)と諦めたけど、後に「途中でスパートをかけたでしょ?」と彼は聞いてきた。そういえば途中で勝負のスパートをかけた。けれど追ってくる彼の乱れのない呼吸を聞いてペースを戻したのだった。「あのまま200メートル走られたら付いていけなかったよ」と笑顔で言われた。そのとき、はじめて自分が完全に負けていたことを実感したのだった。

狭き門

1954 新潮社 ジッド, 山内 義雄

 

「何という悲しい再会だったのでしょう!(中略)これからもあの通りに違いないと思います。もう分かっていますわ。ああ!お願いですから、もう二度とお目にかからないことにしましょう!」

アリサに想いを寄せるジェローム。しかしアリサにとって恋は自分の信仰を汚す感情と思われるのだ。それを切望し拒絶するアリサ。二人の先にあるものとは…。

青山繁晴氏のブログで触れられていたので読んでみた。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」もう少しキリスト教チックは話だと思っていたが恋愛もの。アリサの感情は理解できないが、ジェロームには共感できた。近づくほどに深くなる絶望的な隔たり。

自由からの逃走 新版

1965 東京創元社 エーリッヒ・フロム, 日高 六郎

 

「われわれの願望-そして同じくわれわれの思想や感情-が、どこまでわれわれ自身のものではなくて、外部からもたらされたものであるかを知ることには、特殊な困難がともなう。それは権威と自由という問題と密接につながっている。近代史が経過するうちに、教会の権威は国家の権威に、国家の権威は良心の権威に交代し、現代においては良心の権威は、同調の道具としての、常識や世論という匿名の権威に交代した。われわれは古い明らさまな形の権威から自分を解放したので、新しい権威の餌食となっていることに気がつかない。」

『自由からの逃走』はドイツ生まれの社会心理学者エーリッヒ・フロムによって1941年に発表された。フロムはヒトラーの全体主義に世界が震撼するその最中に、この作品を世に送り出した。

人は精神的な孤独を避けるために帰属を求める。それを宗教改革に見られた社会現象を通して分析する。さらに孤独の不安に端を発する権威志向、それに伴うサディズム的傾向、マゾヒズム的傾向を説明する。この傾向で支配欲や帰属欲、DVまでも説明できるとしている。そしてナチズムを権威志向の観点から分析し、最後にフロムが考える自由、それを支えるデモクラシーへの希望が書かれている。

大学時代に買った本。やっと読んだ…ふー。濃いぜ。ルターの心理学的背景とか知らなかった。一般的に言われている“愛”を「サド・マゾヒズム的な執着」と切っていたのは面白かった。ディズニー批判、メディア批判も今と変わらなくてウケた。

読んでいる最中に(本当の“自由”を享受しているのは誰?芸術家?)とか思っていたら、自発性を持っているのは芸術家だと書いてあった。しかし成功しない芸術家は神経症患者にされるという…。さらに加えて「子供も自発性を持っていて、それが子供を魅力的にしている」というニュアンスが書いてあったが、これには大賛成。私が子供に魅力と無限の可能性を感じるのはこのためだ。

最後に「デモクラシーが自由の発展について不可欠」と書かれていたが、これも「文明の衝突」などを読むと、(デモクラシー自体が西欧主義の一部ということで普遍性はない)とのことだったので、ウムムである。そういえば「文明の衝突」に韓国について「近代社会の精神的なニーズを儒教では満たせなかったので、韓国はキリスト教化した」というようなことが書かれていた。けど、日本は?と思ってしまう。韓国の儒教なんて日本の何倍も徹底しているのに。日本には強い権威が存在しないように感じているけど、それは自分が権威の中にいるからなの?世間体などの権威も今は下火に思えるのだけど…。日本が謎です。

ともあれ、私は普遍的な価値の存在を信じている!
そう!帰属に足る完全無欠の権威を探しているのだ!w

これから食えなくなる魚

2007 幻冬舎 小松 正之

 

「トロが食べられなくなるだけで済むなら、まだマシだ。」「このまま事態が悪化すれば、国内の漁業生産量はかぎりなくゼロに近づいていくだろう。」

著者は水産庁を経て、水産総合研究所センターに在職。政府側から水産を見ている人だ。日本は国内事情にあった漁業体制を築けなかったため、漁業が衰えている。90%以上が外国産。そしてその外国産は激しい争奪戦にさらされている。マグロにかぎらず、エビもサケも日本に回ってこなくなる恐れは十分にある。漁業の生産と消費の両面から考える必要がある。というのが著者のスタンスだ。

75%以上はもう獲ってはいけない魚。また魚はかなり割高な贅沢品である。日本でもマグロの刺身や寿司を誰もが日常的に食べれるようになったのはごく最近にすぎない。魚を食べることが発展途上国ではステイタスシンボルになっているということ。

安全性の話としては地中海産の魚は国内産の10倍のダイオキシンを含んでいる。日本で養殖された魚も外国産のエサを使っているが輸送のために日本で使用禁止になっている農薬なども使われているらしい。

行政の問題としてはほとんど使われなくなった漁港などの整備に予算が当てられている。けれど外国に比べて漁船や漁港の設備は貧弱で、それが漁師離れを起こしている原因にもなっているとのこと。予算の3分の2は公共事業だと。「犬と鬼」のテトラポッドにも触れられていた。行政の人だから読んでいるっぽい。漁業権が既得権益化していることも問題。TACなど含めてノルウェーなどが持っている漁業戦略が日本には欠落しているとのこと。

漁獲量には周期があり、90年代前半まで日本近海で獲れていたマイワシ、マサバが獲れなくなり、いまはゴマサバ、サンマが獲れるとのこと。しかしサンマは科学に基づかない国の規制によって大量に獲れない。アホ。

クジラについては面白かった。まずイルカとクジラの生物的な違いって大きさだけなのだそうな…。捕っちゃまずいクジラも何種類かいるが今はマッコウクジラやミンククジラは健全だということ。またクジラの資源が悪化したのは、アメリカが鯨油ほしさに乱獲したのが原因だって。著者はミンククジラのことを「海のゴキブリ」と呼ぶそうな。もう科学的なところでは国際的に争うべきところがない、という。

「今、マグロがそうなっているように、世界の人々がクジラを食べ始めれば、資源の争奪戦が始まる。いや、それより何よりいちばん深刻なのは、またしてもクジラの資源が脅かされるようになることだ。なにしろ欧米諸国には、鯨油のためにクジラを乱獲し、絶滅させかけたという『前科』がある。そういう人々が、これまでの主義主張を翻してクジラを食べる側にまわり、エゴを剥き出しにすれば、再び過ちを繰り返さないとも限らない(中略)日本としてはあくまでクジラをいかに『持続利用』すべきかを考え、そのために必要な情報を発信しながら冷静に議論を進めていくべきだ。その議論を先頭になってリードしていくだけの知識や経験が日本にはある。」

クジラに対しては何か罪悪感を感じていたが、プロパガンダかも。サンマ、ゴマサバを食べましょー。

白夜行

2002 集英社 東野 圭吾

 

発端は質屋の主の桐原の殺人事件だった。その後、桐原が最後に会った女性・西本がガス中毒死することで、この事件は迷宮入りする。それぞれの子供である桐原亮司、西本雪穂はその苦難を乗り越え、それぞれの人生を歩んでいくが、彼らの周りには不可解な事件がたびたび起こるのである。二人の半生を描いた壮大なミステリー。

ネタバレしないで感想を書くのが難しい。謎が最後に明らかになるけど、やっぱり涙でてきた。東野氏は元エンジニアだけあってPC88、PC98などが出てきて、オウフッと思ってしまった。パソコンとかプログラムとかが一般の人がどういう風に認識しているのかが分からない。あー、んなこと書きたいんじゃないんだよ。自分は雪穂の眼差しの中にあるものを見抜けると信じたい。

夜のピクニック

2006 新潮社 恩田 陸

 

「みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。」

貴子を無視し続ける融。秘密を共有する二人は高校三年で初めて同じクラスになったが、ほとんど言葉を交わしたことがなかった。お互いが相手は自分を憎んでいると思っている。そんな二人は毎年行われるの夜間歩行を楽しみにしていた。朝の八時から翌朝の八時までで80キロを歩くという夜間の歩行。高校最後のこの行事に貴子はかけをした。小さな願いをこめて。二人はゴールにたどり着けるのか。遥か彼方の和解というゴールに。

良かった。夜更かしをして一気に読んでしまった。感想を書くと原稿用紙20枚におよぶ近年マレに見る痛い文になるから省略します。文章も文面も展開も心理描写もうまい。何回か読み返したいかも。

サバがトロより高くなる日 危機に立つ世界の漁業資源

2005 講談社 井田 徹治

 

「私たちの食卓やスーパーの店先にある魚介類を手がかりに、海の環境や漁業資源の問題をたどり、二十一世紀のシーフードとの付き合い方を考えてみようというのが、本書の狙いである」―――「乱獲の実態」「養殖は漁業を救えるか」「不当表示と代用品」「漁業の明日」の4章。データを元に冷静に漁業を分析をしている。

ニュートラルな視点で包括的に漁業を網羅していて良かった。アメリカは戦争とか温暖化とかで、国際的にメチャクチャやっているという印象があったけど、漁業についてはマトモなことに驚いた。むしろ日本がメチャクチャだけど、国際会議でチャンと非を認めてたりもしているらしく、商社ではなく国内漁業の保護を志向しているようなので、ちょっと安心した。

魚によってはある程度の個体数がいないと増えていかないことがあるので、10万匹の魚がいても絶滅に向かっていたりすることがあるらしい。ワシントン条約まで言及されているのには驚いた。

どうも沿岸をコンクリートで固めたりするのも漁獲量に影響しているようだ。これは「犬と鬼」に書かれていたテトラポットを配置すれば儲かる公共事業のせいもあるんじゃないか?

「われわれは、少しばかり欲張ることをやめて、もう少し魚たちに休息期間と休息場所を与えてやるべきではないだろうか、というのが、著者の意見である。そして、もっとシーフードを大切にして、ありがたがって食べようと思う」(あとがきより)

それから

2000 新潮社 夏目 漱石

 

長井代助は三十にもなって定職もない。父親からの援助で暮らし、読書や思索に耽り、世を堕落していると考えている。そんな代助は、かつて愛しながらも義侠心から友人平岡に譲った平岡の妻・三千代と再会する。代助は動き出す人生の中で自己を省みる。

いや、やっぱりスゴイ。って自分の言葉の稚拙さに涙が出てくる。言葉も表現も心理描写も生活描写も展開も。つーか読めない漢字とか出てくるし。もうね、古さとか、ぜんぜん感じさせない。今日的なテーマだよ。はっきり言ってニート。かなり高尚なニート。風流すぎる。花を買いたくなった。

三四郎読んでないから、三部作とりあえず読もう。歴史が評価したものを読むのが効率が良い。けど寄り道もするのだ。

アラビアのロレンス 完全版

2005

 

主人公は中東に三国の独立国を作り上げ、ゲリラ戦の創始者でもあり、「知恵の七柱」の著者、ベルサイユ会議での重要な提案者でもあったロレンスであり、内容は史実にもとづいている。そんなロレンスが密命を帯びてファイサルの元へ向かい、ラクダ隊を組織してアカバを攻略し、さらにゲリラ戦を続け、遂に英軍に先んじてダマスカスに到達するまでの苦難が描き出されていく。ロレンスは何を求めたのか?映画史に残る不朽の名作。

まずはロレンスは知的で詩人で美しい。地理や民族、文化に明るく、砂漠をアラブを愛している。かっこいいッス。助演のオマー・シャリフもカッコイイんだな。これが。それで何より砂漠の映像が素晴らしい。スピルバーグがこれをCGを使ってリメイクしたらオリジナルへの冒涜だ、と言っていた。現在での制作費は3億ドルだという。映画史に残るアリの登場シーンも一見の価値あり!砂漠は美しいのー。砂漠に行きたい。にわかにアラブづいてきた。

レビュー読んだら「知恵の七柱」も読みたくなってきた…。『学者の頭脳と頑強な肉体を兼ね備え、内向的かつ活動的、ユーモアと機知に富み、奇想天外で、親しみやすいのにいつも謎めいている…。そんなロレンスの、カリスマティックな魅力を堪能して欲しい!』うきゃー☆