いのちの食べかた

年度: 2005 国: ドイツ=オーストリア 公開日: 2007/11/10 私たちの食べ物がどんな風に作られたのか、知りたくありませんか?

 

高速にベルトコンベアーを流れていくヒヨコさん。吊り下げられて処理されていくトリさん。朝食を食べる人。トマトさんへの農薬散布。裁かれるブタさん。分別されるリンゴさん。人工授精されるウシさん。昼食を食べる人。ピーマンさんの収穫。淡々とした情景が絶妙なカメラワークで写される。台詞も音楽もない。けれどアッというまに2時間がたってしまった。息をつく暇もないスペクタクルな食料生産の現場。

もっとエグい映像を作ろうと思えば作れたと思うが、邦題にある”いのち”ということに重点を置いていたのかもしれない。動物の一生が断片的に描かれている。どんどんパズルが組みあがっていくのだ。そして、できあがった絵に唖然とする。個人的にはマグロへの薬投与とかも見てみたかったなぁ~とか。映画の後にはメガマックを食べてみたが、やっぱり合掌してしまった。フォアグラとかラムの飼育の映像があったら食べられなかったかもしれない。前の回に小学生くらいの外国人がいたけど大丈夫だったのかなぁ~。まあ一日3度などの食事をとらずにいられないような食事ジャンキーの人は見ておいてもいいかもしれない。

百年の孤独

1999 新潮社 G・ガルシア=マルケス, 鼓 直

 

ホセ・アルカディオに始った波乱に富んだブエンディア家の数世代に渡る数奇な運命を描いた作品。

長くて濃かったので一気に読めなかった。様々な感情をこそぎとられて呆然としてしまった。

わたしたちが孤児だったころ

2001 早川書房 カズオ イシグロ, Kazuo Ishiguro, 入江 真佐子

 

アヘン取り引きに絡んでいたイギリス人ビジネスマンの父親が上海の自宅から突然姿を消したときクリストファー・バンクスは9歳だった。友だちのアキラと父親の探偵ごっこをしていた。次いで母親までもが行方不明となったクリストファーは、イギリスへ送られることになる。2つの世界大戦に挟まれた時代を彼はそこで過ごし、やがて「自称」有名な探偵になる。

どうにも世界に入っていけなかった。別なものを読んでみよう。

塩狩峠

1973 新潮社 三浦 綾子

 

幼い信夫は父と祖母と暮らしていた。信夫は亡くなったと聞かされていた母は生きていて、キリスト教徒であるために祖母に追い出されたということを知る。その後、信夫は母といっしょく暮らすようになるが、キリスト教について反発をしながら成長していく。実在した人物を元にした作品。

なんだかのフェアで100冊の中に入っていたから読んでみた。宗教云々は抜きにしても、著者の描く物語はいつも劇的で面白い。「良い人がいて悪い人がいる」というような現実にはない明快さも浸れる原因かもしれない。気持ちよく泣いた後に、実際にあった事件を元にしていると知ってビックリした。病気や看病も、自分の体験や旦那さんの様子を元にしているのだろうなぁ。しかし、聖人チックな行いは自分には無理だ。きっとそれは宗教ではなくて、人に依存している部分だと思う。けれど、ふと、駅で人を助けた韓国人の方を思い出した。彼はクリスチャンだったのだろうか・・・。

イスラーム文化―その根底にあるもの

1991 岩波書店 井筒 俊彦

 

イスラーム文化を真にイスラーム的にしているものはなにか?
井筒氏による体系的であり、かつ分かりやすい解説書。

素晴らしい本だった。以前に論文調の本を読んだ時には、さっぱり分からなかったが、シーア派、スンニ派、スーフィーも根っこのところから理解できた。とーちゃんが「ノーベル賞級の科学者は、研究発表で自分の恐ろしく難しい研究を、壮絶に分かりやすく解説する」と言っていたが、氏も・・・いや先生と呼ばせて頂こう・・・井筒大先生も深く理解しているから、これだけ分かりやすいのかもしれない。先生のイスラーム文化への愛情もあるのかも。先生の本をもう一冊読もう。

デミアン

1951 新潮社 ヘッセ, 高橋 健二

 

シンクレールは二つの世界があることに気付いた。一つは神、善意、愛、尊敬などによって調和のとれている世界。一つは監獄、よっぱらい、強盗、殺人などの暗い暴力的な世界。シンクレールは学校に通い出すと、暴力的世界へと引きずりこまれた。そんな折、一人の少年が転校してきた。デミアンである。彼は他の誰とも違っていた。彼はシンクレールを暴力的世界から救い、新しい世界をシンクレールに教えるのである。

抽象的な気もしたけど、突いてほしいところを突いてくれている。どう考えても10代後半までに読むべき本だ。もう少し早く読むべきだったけど、読めたことだけでも良かったと思うことにしよう…。内容は宗教的に過激で、ヘッセが別名で出版したというのもわかる。トルストイ信者も出てくるし、トルストイが好きな人は好きなんじゃないかな。日本人も出てきてビックリ。いや嬉しいかったw。ヘッセは全部読まなくちゃ・・・。きっと、こんな未読の名著がゴロゴロと存在しているだろうなぁ。空恐ろしい・・・。

イスラーム生誕

2003 中央公論新社 井筒 俊彦

 

「ムハンマドは私の青春の血潮を沸き立たせた人物だ。一生の方向を左右する決定的な一時期を私はこの異常な人の面影とともに過ごした。(中略)その頃の私に、ムハンマドのことを忘れる暇などはありようもなかった。しかも精神的世界の英雄を求めて止まなかった当時の私の心は、覇気満々たるこのムハンマドという人物の魁偉な風貌に完全に魅了されていたのだった。」

井筒氏によるイスラームについての書籍。「ムハンマド伝」「イスラームとは何か」の2部構成。

ムハンマド伝は若いときに書いたものということだったが、熱い文体で書かれていた面白かった。ムハンマドという人物をより知ることができたような気がしている。(宗教的なところは度外視して、生物的に)同じ人間なのに1千年後の世界を左右しているという影響力は計り知れない。不思議すぎる。

しなやかに生きるために―若い女性への手紙

2005 コスモスライブラリー ジッドゥ クリシュナムルティ, Jiddu Krishnamurti, 大野 純一

 

「真理は道なき土地であり、あなた方はいかなる道によっても、いかなる宗教、いかなる宗派によっても近づくことはできない。真理は、限りないものであり、無条件のものであり、いかなる道によっても近づきえないものであるがゆえに、組織化されえない。また、人々を特定の道をたどるように導いたり、強いたりするためにいかなる組織も結成されるべきではない。私の唯一の関心は、人間を絶対的に、無条件に自由にすることである。」

以上は彼の教団解散の宣言の言葉であるという。この本は人生上の悩みで心も体も傷ついていた女性への書簡集である。

うーむ。偉大な聖者の書物に意見するのは勇気がいることだけれども・・・、少なくても初めて読んだこの本は心には響かなかった。小さな言葉というのは感情や大きな摂理みたいなものを表すのは不向きだと思う。もっと大きな言葉=メタファーが必要だと思う。これは聖書などを読めば明らかだ。つづく。

シッダールタ

1971 新潮社 ヘッセ, 高橋 健二

 

彼は初めて世界を見るかのように、あたりを見まわした。世界は美しかった!世界は多彩だった!世界は珍しくなぞに満ちていた!(中略)多様をさげずみ、統一を求めて深く思索するバラモンのけいべつする、現象界の無意味な偶然な多様ではなかった。青は青であった。川は川であった。

シッダールタとは、釈尊の出家以前の名である。彼は苦行に苦行を重ねたあげく、思想も修行も超えたところに真の境地を見出す。ヘッセの描くインド思想の粋である。

創作のようだ。悩み惑わされるシッダールタが人間的に描かれている。人間的に描かれている聖人は好きである。ちなみに仏像も抽象化され記号化された日本のものよりも、インドの筋骨隆々の仏像が好きだ。

これは神学校を脱走したというヘッセがたどり着いた場所なのか?「ぼくは水の上を歩くことなんか望まない」とシッダールタに言わせている。キリスト教批判?!と心配になってしまう。20年もインド思想を研究していたというが、2部を書くのには再び禁欲などの体験が必要で3年もかかったという。

不思議なことに思想や修行も否定しているという点で、クリシュナムルティの世界に近いように感じた。こういう物語の形式をとったメタファーの方が端的に意図するものを表現できると思うのだ。

川の深さは

2003 講談社 福井 晴敏

 

「あなたの目の前に川が流れています。深さはどれくらいあるでしょう?1、足首まで。2、膝まで。3、腰まで。4、肩まで」

葵は質問をすると、悪戯な笑みを含んだ顔で二人の男を交互に見た。。。桃山はマル暴を辞めて、しがない警備員に身を落としていた。平凡な毎日を突き破るように、深夜のビルに葵が助けを求めてきた。少年といっしょに。彼は大怪我を負っていた。なぜだか桃山は二人を助けたくなる。世界的な組織が絡み合う物語はこうして始るのであった。

黒く塗りつぶされた背景の中に、消え入りそうな人々の交流がほのかに描きだされる。しかし、その心の交流が物語を動かしていく。途中、幸せな気分になった。心が温まる。人の心を温められるような人間になりたいなぁ~、無理だけど。