今際の国のアリス 1/2

Netflix 2022

 流行っているので見てみた。スリリングで理不尽なゲームに巻き込まれていく様子を描いた謎解きや心理描写、アクションなどで魅せるシリーズ。最後にはすべての謎が溶解してスッキリと終わって良かった。

登場人物

 山崎賢人が演じるアリス。ゲームばかりしていて、勉強もスポーツもぱっとしない。同じくあぶれているカルベやチョータと遊んでいる落ちこぼれの少年。土屋太鳳が演じるうさぎは唯一敬愛していた同じクライマーである父・重憲が不祥事に巻き込まれ自殺した後は世の中を信じられずに孤独に過ごしている。

物語の始まり

 アリスはカルベやチョータと渋谷にいて羽目を外し警察に追われてトイレに逃げ込む。トイレから出てみる渋谷には人が一人もいなくなっており、電気も消えている。スマホも使えず夜を迎えるが、前触れ無くビルの巨大テレビに「GAMEを開始します」という文字とともにアナウンスが始まり、3人は雑居ビルに入っていく。そこでゲームで負けると死が待っているデスゲームとしるが、アリスの機転でゲームを何とかクリアーしていく。

テーマ

 死と隣り合わせの人間の浅ましさやその反対の友情、たくましさなどを描いている。様々な代償を負っても生にしがみついて行く。そんな姿が人間の本来の姿なのではないかと思った。

最後に

 絶望的な状況を描いているように見えて、一方に人間のたくましさや人々の交流などの希望も描いているように感じた。明日への力を得たい人にはおすすめです!

すずめの戸締まり

Story Inc. 2022 新海誠

山本文緒さんを愛読している新海監督の新作ということで、楽しみに映画館に行った。セーラー服の少女が出てくるというので少し微妙だなぁと思ったが、予想以上に深く感動した。

登場人物

 女子高生のすずめは叔母のたまきとふたり暮らししている。登校中にすずめと出会う草太は日本中を旅して扉を締めている。猫の姿をしているが神であるダイジンはすずめと草太を翻弄する。

物語の始まり

 すずめは扉を探す草太とすれ違い、そのまま学校に行きかけるが、引き返して廃墟の遊園地で草太を探す。草太は見つからないがそこには扉があり、開けると美しい風景が広がっていて入ろうとするが入れない。足元にあった石を抜くと、それは猫になって逃げていく。それから学校に行くが、窓から遠くの山に煙が出てるのが見えるが、友達にはそれが見えない。その場所はすずめが行った廃墟の場所のようだが、その煙は大きくなり大きな火柱になっていく。気になりまた廃墟に戻ると、火柱はすずめが開けた扉から出ていて、それを草太が懸命に閉めようとしている。

テーマ

 テーマはずばり震災である。君の名はもそうであるが、震災後の人々を扱っている。また地震を神としてあつかっていて、現代の風景と神々の業が交錯する不思議な世界を描き出しているのは素晴らしく感じた。

見どころ

 ずばり宮崎アニメへのオマージュである。曲、車、ドライブ、猫に始まって、神々の描き方も独特である。そもそも神々をテーマにすること自体が宮崎アニメっぽい。またあの曲が旅立ちの歌だというのはあのアニメから来ているのだろう…。

最後に

 映像もテーマもすばらしく山場では泣いてしまった。重いテーマですけど、美しいアニメの良作を見たい人にはおすすめです!

女の子だから、男の子だからをなくす本

2021 エトセトラブックス ユン・ウンジュ

 娘がいると女性の制約は気にあるので子供にも読んでもらいたくて買ってみた。男女にまつわる社会規範について可視化して変えていこうという韓国の書籍の翻訳。

本の構成

 子どもたちに向けて書かれている。「女の子たちへ」「男の子たちへ」で社会規範などについて、その後、「男女の職業」や「家の中の男女の役割分担」「性的指向」についても広く触れられている。子供にも分かりやすいように漫画のような特徴的な絵柄の挿絵が多く書かれている。

ポイント

 基本的なスタンスとして社会を変えていこう!という姿勢がある。変だと感じたことには「なんで」と聞くとか、「いいえ」「イヤです」と言うとか、「ケンカをおそれないで」、などのNOというメッセージを伝えていこうと呼びかけている。

 この姿勢は非常に難しいけど大切だと思う。やはり社会に対してNOと言わないと何も変わらないからだ。問題はオフィシャルにケンカしようとすると、訴訟・裁判ということになるがお金がかかる。そうすると強いものが勝ってしまう。結局、弱いものが戦うこと、そして勝つことには大きな障害がある。

最後に

 家庭内の男女の役割分担にも触れていた。まず、女性ばかりやっているようであれば、男性もやろうと呼びかけていた。私の意見としては、もし仕事を理由にやらない男性がいたら、「仕事ができる人は家事もうまくできる」と伝えたい。自分(男)の方が得意であるし時間的に可能なので、自分が家事や育児、学校関係も回している。それに加えて、最近思うのは家庭内の仕事も実は誰にでもできる簡単なものではないのでは?ということで、男女ともに家事が難しいと感じる人もいると思う。
 もう一つ気になるのは韓国では2015年から新しいフェミニズム運動が始まっていると書いてあったが、それと同期したように韓国の出生率が下がっていることである。サムスンでは子供の大学費用の100%が補助される制度があると聞いたが、それでも経済的なことやその他の様々な原因はあるとは思う。私は男女の平等・公平や社会的な抑圧の減少を切に願っているが、サピエンス全史で提示されているように個人が安寧に生きるのと、人類の発展に相反する関係があるかもしれない。とはいえ韓国の女性の地位向上が著しいとも感じない。最近も韓国にも行って人とも話したが、何か人々が抑圧されているようにも感じる。一方で台湾は抑圧が低く高齢の女性がミニスカートで闊歩していて社会規範の緩さは低いように感じる。とはいえ、ここも出生率は下がっている。占いで結婚の相手や時期なども決める社会だからかもしれないが。
 女の子が仮面ライダーを見て、男の子がプリキュアを見たら、男女の恋愛は成立するのか?と言っていた人がいたが、社会規範が男子->女子、女子->男子のプロトコルを作っている可能性もある。個人的にはこういうのは嫌いだが、このプロトコルを失うとコミュニケーションが高度になるのではないかとも感じる。

 娘も読んでくれたのでくれたので、特に女の子にはおすすめかも。いろいろ考えるキッカケにもあるし、子供と話し合うキッカケにもなると思う。名誉男性を目指している人や、20代を気持ち悪いオジサンに仕えつつ乗り切って、マッチョな男を捕まえて結婚して、家事育児を手伝わない旦那に文句を言いながら、楽しく暮らしたい人は読まなくて良いかもしれません。

線は僕を描く

2022 東宝 小泉徳宏

 予告編が良かったので久しぶりに映画館で映画を見た。

登場人物

 大学生の一年生の霜介(そうすけ)は身内を亡くし何か本気になれずにいる。篠田千瑛は水墨画の巨匠の篠田湖山(こざん)の孫娘で、メディアなどで美しすぎる水墨画家ともてはやされる。西濱湖峰(こほう)は先生の身の回りの世話などをしている。

物語の始まり

 霜介は絵を寺に搬入するバイトをするが、ふと引き込まれる作品に出会う。休んでいると先生の助手のような湖峰と話し、それが水墨画だと知る。弁当を食べていると人手が足りないのもあり、いつのまにか巨匠の篠田湖山のライブパフォーマンスも手伝うことになる。霜介は湖山が描いた水墨画にも心をうたれる。湖山は書き終わると突然、霜介に近づき「弟子にならない?」と水墨画に初めて出会った霜介に問いかける。

テーマ

 霜介は過去に捕らわれて、前に進めない。そんな折に水墨画に出会う。「かたちをみるな、本質をとらえよ」という湖山の言葉に導かれて、自分の内面とも向き合うキッカケを得て、自分の中のしがらみを水墨画に昇華していく。

最後に

 透明感のある画面とグイグイと引っ張る脚本で元気が出た。水墨画を描いているときの躍動感のあるサントラも引き込まれた。主役二人の演技も周りの方々の演技ももちろん素晴らしい。流星君はよく知らないけど泣かされたし。清原果耶さんの衣装も醸し出している凛とした雰囲気が美しかった。あの日本家屋とか。もう一度は観て、あの世界に浸りたい。映画館で観たい。青々しい青春映画は好きだ。

 瑞々しい青春映画だけれども、恋愛観は薄く自分と向き合っていく話。何か前に進めなくなっている人や過去に捕らわれている人、元気をもらいたい人にはお勧めの作品です!

オスマン帝国500年の平和(興亡の世界史 10)

2008 講談社 林 佳世子

私の世代だと”オスマン・トルコ”には馴染みがあるが、”オスマン帝国”という響きには馴染みがない。”トルコ”と付くと見えなくなるものがあると筆者は説く。この国はトルコではなく「何人の国でもない」帝国であり、「イスラム帝国ではない」でもないと。この自称「オスマン家の国」の興亡を描いた書籍である。

「イスタンブールの陥落」を読み終わり、この帝国がコンスタンティノープルを征服し、あのローマ帝国に続くビザンツ帝国の1000年の歴史に終止符を打ったのだ。その時のスルタンであったメフメト2世は五つの言語を操るわずか21歳の青年であった。オスマン帝国がどのように生まれてどのように発展していったのか?その強さに興味が沸々と湧いてきて、本書を手に取った。

本の構成

著者は現在トルコがあるアナトリアの状況から説明を始め、一地方豪族だったオスマン家からメフメト2世の親のムラト2世までどのよう周りの部族を統一していったかを解説する。その後、スルタンによる征服の時代がはじまり、最大の領土を迎えるスレイマン1世の時代まで続く。そこで法や世論についての話を挟み、オスマン官僚による支配の時代への変遷を明らかにしていく。その後、オスマン社会の農民や商人の生態、異教徒たちの生態、女性や詩人などに触れた後に、国際情勢と国内の変遷、さまざまな帝国内の問題と近代国家への対応と限界を描いていく。

帝国の歴史に加えて、その統合の方法と文化や他宗教・女性についても触れていて、オスマン帝国のありようやシステムの変遷がよく理解できた。文化財や資料の写真も随所に折り挟まれ、地図やシステムを説明した図などがありより楽しみながら読み進めることができた。先のメフメト2世に興味があったが、欧州に脅威を与えて知名度の高いスレイマン1世に多くのページが割かれていた。

気になったポイント1 ティマール制の変遷

興味深かったのは国家を統合する仕組みとして在郷騎士たちを取り込むためのティマール制だ。日本の戦国時代に似ている気がするが、領地とそこに紐づく税収を分配して、それと引き換えに領地の管理と軍役を課せられる。しかし時代が進み火器の導入に伴い、在郷騎士の重要度が低下してくる。それと共に徴税請負制が広がり、システマチックに徴税が行われるようになり中央にお金が集まる。戦力も在郷騎士から常備軍に100年かけて徐々に移行していった。また徴税権の売買が起こり、富が偏在していく過程で官僚組織やイエニチェリの弱体化が起こっていった。

筆者はこの徴税システムの移行を、戦費で膨らんだ財政赤字を解消するための「偉業」として、好意的に官僚の見えない手柄と見ている。一方で在郷騎士の力が落ちてくるのは地方の経済力の低下を招き、そこに住む農民などにも文化的経済的な影響があったのではないか?と感じてしまう。現在の日本が抱える富の偏在と、企業という中間組織の力の低下、地方の疲弊などを見ていると他人事ではない。官僚と結びついた大商人(グローバリスト)が国家のシステムを変えていったのではないかと考えてしまう。この自然に生まれてくる富の偏在をどう抑えていくかが国家経営の肝であるように感じる。その辺りは別に勉強を進めたい。

気になったポイント2 「何人の国でもない」オスマン帝国

「イスラム帝国ではない」オスマン帝国についてはイスラム法の中にスルタン法を位置付け、政府・税制・軍・非イスラム教徒の処遇などが明文化されていたと説明されている。もう一つの「何人の国でもない」オスマン帝国だが、章が設けられるわけではなく、大宰相にどのくらい多様性があったのかなど客観的なデータなどは示されていない。一方で人材の登用などは固定的でなく、能力のある人が出世できたというのは理解できた。それが「何人の国でもない」という多様性流動性を支えていたのではないかと感じた。以下は印象的な文章だった。

トルコでは、すべての人がうまれつきもつ転職や人生の幸福の実現を、自分の努力によっている。スルタンの素で最高のポストを得ているものは、しばしば、羊飼いや牧夫の子であったりする。彼らは、その生まれを恥じることなく、むしろ自慢の種にする。祖先や偶然の出自から受け継いだものが少なければ少ないほど、彼らの感じる誇りは大きくなるのである。

p.122 パプスブルグ家のオスマン大使ビュスペックの書簡の一部

最後に

筆者の一番言いたいことはタイトルにある「500年の平和」であるはずである。「『何人の国』でもなかったオスマン帝国のあとには、『民族の時代』が訪れた」とあるが、民族運動の中で統合されていた地域は国民国家として独立し、最後に残ったトルコも国民国家となっていく。この異民族支配から独立を果たした「近代化」の200年の過程でバルカンで流された血はいかほどか。民族単位の国ができあがっているか。バルカンはアナトリアは平和なのか。筆者は民族の時代の中で否定されてきたオスマン帝国時代をバイアスなく位置付けようと本書を締めている。

国民国家の理想に侵されている人にはぜひ読んでほしい。私はトルコ建国の父と呼ばれているケマルアタチュルクを素晴らしい人と見ていたが、どうもそんな簡単なものではないと変化した。最新のオスマン帝国の研究にもぜひ触れてみたいと思う一冊だった。

美男堂の事件手帳

2022 韓国KBS 2TV 高在賢、尹羅英

 Netflixで予告編での主人公の不思議なおどりのようなものが気になってみてみた。サスペンスでもありコメディでもある刑事ドラマ。

登場人物・世界観

 ナム・ハンジュンは元プロファイラーで現在は美男堂で男の巫女をしている。妹のナム・ヘジュンはハッカーとして美男堂を手伝っている。また友人のコン・スチョルも腕っぷしの強さで美男堂を支えている。時に警察とぶつかることもあり、鬼と恐れられている警察庁の女性刑事ハン・ジェヒと対立する。チェ検事はハン・ジェヒにほのかな思いを寄せつつ、ハン刑事を検察の側からサポートする。

物語の始まり

 ナム・ハンジュンは美男堂でVIP顧客を持っている。会社の経営者などだ。彼らの問題を解決してあげて、荒稼ぎをしているが、ある時に法に触れるような問題が発生する。警察沙汰になる問題を何とか法の目をかいくぐって解決してあげるが、警察としては犯罪者を擁護しているように見えて、事件を追うハン刑事のチームと対立する。そうして話が進むにつれて、なぜナム・ハンジュンが男の巫女をしているかが明らかになってくる。

テーマ

 あえて描かれているテーマを挙げるならば、犯人が仕掛けている罠にかかりつつも何度も立ち上がっていく粘り強さ、困難にも立ち向かう勇気などだとは思う。ただ犯人を追っているのが警察ではないので、”正義を貫くには不正も厭わない”というのが面白いストーリー展開を生んでいる。他にも「正義とは何か?」「人は自分の性質を乗り越えられるのか?」などの本質的な疑問がストーリーに織り込まれている。

最後に

 ”現代ドラマ”なので、随所に唐突に出てくる”広告”は正直、鼻につく。突然、唐揚げのチェーン店にいたりとか。あと気になるのはナム・ハンジュンを演じたソ・イングクの演技。男の巫女としての演技は素晴らしかったが、恋愛の演技は何か淡泊さがある気がする。うーん、気のせいか、、女性ファンはどう思うのだろう。。とはいえ、物語としては殺人が出てくるのでエグさもあるが、状況が二転三転して手に汗を握る展開は楽しめた。

 多少のご都合主義もありコメディ要素もあるが、全体としては深みのあるサイコ・サスペンス・スリラーだと思う。ドキドキしたい人にはおすすめです!

アンナラスマナラ-魔法の旋律

 Netflixでイケメンのお兄さんをフィーチャーしているザ・ファンタジーのような雰囲気に惹かれて見てみた。見てみると予想外にテーマも深く、エンターテイメントしても一級品で面白かった。

登場人物・世界観

 ユン・アイは両親はおらず妹とと一緒に貧しく暮らしている女子高校生。アルバイトでお金を稼いで家計を支えているため生活は安定していない。同級生で優等生のイルドゥンはアイに興味があるが、家がお金持ちで境遇はアイはかなり異なっている。

物語の始まり

 山の上の閉鎖された遊園地で怪しい魔術師がいて”本物の魔術”をするという噂がある。魔術をする前に必ず「あなたは魔術を信じますか?」と聞くという。ある晩にその遊園地に迷い込み、その魔術師の”本物の魔術”に魅了され、そこから魔術師との交流が始まるのである。

テーマ ー それぞれの生きにくさ

 アイは経済的に困窮していて、学校の食堂でブッフェの料理をこっそり持ち帰るような状況である。それでなく生き別れた両親の問題もあり、惨めな人生を送っていると感じている。けれども自分を生きにくくしているのは経済的な状況だけではないと、ある時気づくのである。アイはそこから脱するのは簡単ではない。一方でお金持ちで優等生のイルドゥンは幸せかというとそうではない。有名な判事の父親を持つ彼は、多くのものを与えられるが「両親に望まれた目標に向かって進んでいるだけだ」とある時気づくのである。けれども、イルドゥンとてそこから抜け出すのは簡単ではない。境遇が違う二人がそれぞれの問題にどう向き合っていくかも目が離せない。

最後に

 このドラマはミュージカルである。はじめから歌と踊りで始まるが、途中にも突然アイやイルドゥンが自分の想いを歌いだしたりして楽しい。重いテーマだけど楽しく見ていられるのはこの愉快な構成のためだと思う。さらに魔術師やその周辺に不可解な事件がつきまとう。この謎も物語を引っ張っていくが、最後にすべての伏線が回収されて気持ちよく解決するのでご心配なく!

 何かうまく行かなくてもがいている人は勇気を与えられる作品。あとは現実逃避したい人にもお勧めかも。

オスマン帝国: 皇帝たちの夜明け

2020 Karga Seven STXエンターテインメント エムレ・シャーヒン

 コンスタンティノープルの陥落を読んで、オスマン帝国に興味が興味が湧いてきたところにたまたまNetflixで”オスマン帝国”の文字があったので、見てみた。まさにメフメト2世によるコンスタンティノープルの陥落を描いている全6回のドキュドラマ(ドキュメント劇)になっている。先に読んだ塩野先生の書籍の復習にもちょうどよかったので興味深く鑑賞できた。

登場人物・世界観

 主人公はオスマン帝国の20代のメフメト2世。まさにコンスタンティノープルを落とそうというとこと。その周りにはキリスト教国からメフメト2世の父親ムラト2世のもとに嫁いだ継母のマラ。子供の時から知る大宰相ハリルパシャは首相という立場だが、ともに権力を持つものとして緊張関係がある。またビザンツ帝国側では傭兵隊長のジュスティニアーニがスルタンに対峙して奮闘する様子が描かれる。メフメト2世 vs ジュスティニアーニという構図である。

物語の始まり・構成

 メフメト2世が父親の死を知らせる連絡を受けるところから物語が始まる。スルタンの座を確かにしようと、急いで首都に駆けつける。ハリルパシャは我が王よと迎え入れる。このシリーズはドラマ仕立てだが、途中にオスマン帝国関係の書籍の著者などによる解説が入り、より理由や細かい背景を説明してもらえるようになっている。またドラマは幼少時代に一度父親が引退してスルタンを継いだ時代に戻ったりもする。そうしてコンスタンティノープルでの戦闘がはじめって行く。

気になったポイント ー 裏切り

 印象的だったのは、ジェノバ商人vsヴェネチア商人という構図だけでなく、相互の内通者がいて、それぞれの動機で戦闘を終わらせように努力しているだけでなく、自分の利益のために両方に取り入っている商人がいて自体を複雑にしていたということである。ドラマの中ではどちらかというとスルタン側に有利になっていたように感じた。

最後に

 戦闘の全体像や金角湾などの位置関係などがCGで表現されていて理解しやすかった。ただドキュメントではあるがドラマということもあり、メフメト2世が瀕死状態なったり、ジュスティニアーニと至近距離で対峙したりするような過剰演出もあったが、エンターテイメントなので仕方がないとする。映像によって歴史上の人物が生き生きと動くことで印象が深まったのは間違いない。

 トルコで制作されたもののためかオスマン帝国側から描かれているので、オスマン帝国に興味がある人にはうってつけで、実力のあるメフメト2世にも魅了されること間違いなしである。

レパントの海戦

1991 新潮文庫 塩野 七生

塩野七生の海鮮三部作の三部目はレパントの海戦である。歴史に疎い私は名前はきいたことはあったが、それがどんなものだか分かっていなかった。キリスト教がトルコ(オスマン帝国)に勝った海戦。

本の構成

 1571年のレパントの海戦に向かって、年を追って進んでいくが、1569年のヴェネチアから物語が始まる。キプロス島での駐在の任務が終わりヴェネチアに帰ってきたバルバリーゴはしばし腰を落ち着ける。また同じ時分、コンスタンティノープルに駐在するバルバロは大使として日々トルコとの連絡を続けていた。キプロス島にトルコを襲撃する聖ヨハネ騎士団の船が寄港すると難癖をつけて、キプロス島奪還に向けて動き出そうとしており、バルバロは本国ヴェネチア共和国に黄色信号を送る。またローマにいるソランツォはローマ法王ピオ五世をキリスト教諸国の連合艦隊を編成を呼びかけるための懐柔工作をして、ついに1570年に急ごしらえの連合軍ができる。しかし嵐やジェノバ海賊のドーリアなどの積極的でない姿勢から、キプロス島でのトルコ進行が始まっているのにも関わらず、その年はついに何もせずに解散する。
 そして1571年である。ヴェネチア海軍の総司令官にバルバリーゴが任命され、ローマでも法王の要請で今年も連合軍の編成された。編成軍の総司令官としてはスペインはドーリアを推したが、ヴェネチアは反対し、最終的にはスペインのフェリペ二世の腹違いの弟、ドン・ホワンという謎の人物で妥協した。しかしなかなか来ない。彼はジェノバで足止めされた後、ナポリで足止めされ、シチリアのメッシーナに来たのが8月。さっそうと入港した金髪の26歳のドン・ホワンは歓迎される。スペイン側はアフリカの海賊退治に向かわせたいという意向があったが、偵察戦の情報でトルコ船が向かうレパントに向かうことが遂に決定され、9月16日に出港することも決まる。途中で嵐に見舞われ、コルフ島に一度入港する。
 コルフ島での作戦会議にまたスペインの足止め工作などがあるが何とか10月には出港する。しかし南下中に一隻のガレー船からの情報で、8月24日にすでにキプロス島の主要都市ファマゴスタが陥落していたことを知る。トルコに開城すれば命を助けると言われ開城したファマゴスタの住人たちは全員皆殺しされて、ヴェネチアの武将たちは残忍な方法で殺されていた。艦隊のすべての人達がトルコの蛮行に怒りに震え復讐を誓う。これまでバラバラで遅かった連合艦隊が一つにまとまって、出港の準備を整えた。
 そして1571年10月7日。海軍史上、ガレー船同士の海戦としては、最大の規模の最後の戦闘である「レパントの海戦」の火蓋が切られる。

ポイント

 レパントの海戦の華々しい勝利よりも、その後のスペインの意向でグタグタになった連合艦隊と、それを見限ってトルコと単独講和を結んだヴェネチアの対応が印象的であった。

 小国の生きる道としてはそれが正解なのだろうと思うのと、日本もそのようなバランスをとった外交が正しいのだと思う。最近は地政学の中で外交の話題に触れていると聞いたので、読んでみたい。

最後に

 レパントの海戦の十四年後に日本から天正少年使節がヴィネチアを訪れた。トルコとの講和を結んだ平和の中でヴェネチアの富に目を見張ったという。トルコとの戦闘には勝てなかったが、経済的には勝利していたのだろう。結局、戦闘に勝つかどうかがポイントではないのだと思う。経済的に勝つか負けるかが戦いの分け目なのだろう。経済侵略される日本を悲しく思う。

 政治的攻防も多いいものの、手に汗握る戦闘シーンもある本書。レパントの海戦という歴史的な海戦を感じたい人にはおすすめな小説です。

ロードス島攻防記

1991 新潮社 塩野 七生

 22歳のメフメト2世が1453年のコンスタンティノープルを陥落させてがその後、1480年にメシヒ・パシャにロードス島を攻めさせるが、聖ヨハネ騎士団は守り切った。その70年後、1522年夏である。今度はメフメト2世のひ孫である28歳のスレイマン1世が直々にロードス島を訪れ、戦線を指揮する。様々な小説などになっているロードス島での攻防を小説仕立てにした歴史書籍である。

物語の始まり

 物語は20歳になったばかりで騎士団に入団しているジェノバ出身のアントニオから始まる。彼は古代にはバラの花咲く島として名付けられた楽園のようなロードス島に降り立つ。そこでローマの大貴族である25歳のオルシーニに出会い、交流を深める。それから騎士団の構成や歴史などが語られる。騎士団は徐々にトルコとの戦いに備えていくが、トルコ軍もロードス島に近づいてくる。戦いが始まると、オルシーニはギリシアの下層民に身をやつし敵陣に潜入などをする活躍をする。

 塩野七生の海戦三部作とされている一作目のコンスタンティノープルの陥落では、物語が複数の登場人物の視点から語られるので、ややゴチャゴチャしている感があったのが、本作ではアントニオ一人が全面に出ているのでスッキリと分かりやすかった。

気になったポイント – 技術者魂

 ヴェネチア共和国陸軍の技術将校だったマルティネンゴは1516年になって、クレタ島の城塞総監督としてクレタや周辺地域の城塞の強化と整備に力を注いでいた。そのマルティネンゴをロードス島の聖ヨハネ騎士団の騎士が訪ねて、ロードス島の城塞監督になってもらいたいという騎士団長の意向を伝えた。トルコの攻撃が迫りくる中、東地中海一に堅牢な城塞を強化するという仕事に魅力を見出したマルティネンゴは、国の任務を離れ脱出してロードス島に赴く。
 戦いが始まると、防御側はトルコの大砲を無力化する城壁で応戦するが、攻撃側もそれを打ち破る作を繰り出してくる。また攻撃側は坑道を正確に掘り進める技術を発達させ、地下から攻撃を進めていく。防衛側は城壁の下で爆発する地雷に悩まされるが、マルティネンゴはそれを検知する技術も導入する。しかし戦いが激化する中で、彼は右目を負傷する。それでも病室から城塞監督として戦いに参加し続ける。

 当たり前だが技術というのは目的を達するために使う道具であり、技術以前にマルティネンゴがその目的のために身を粉にして戦う姿は心を打たれた。城塞については、塩野氏の城壁や稜堡(りょうほう)の細かい説明が続いて、コンスタンティノープルと比べてどのような理由で何が違うかというのが解説されていてわかりやすかった。一方で地図が少なくて、どの場所をどの国の騎士団が防衛しているという記述は少し分かりにくかったが、読み終わったあとに巻末に地図があることに気付いた。

気になったポイント – トルコの経済力

 和平の途中でトルコ陣営に赴いたオルシーニは4ヶ月感でトルコ側の4万4千人の戦死者があり、ほぼ同数の病死者と事故死者がいることを知る。砲弾に至っては8万5先発も使っていうことが分かる。

 昔は人というものが今のようにたくさんいなかったと読んだが、現代にしたって万人単位の死者には異常を感じる。普通の戦いであれば大敗だと思う。途方も無い数の人々を動員して死んでも国が崩壊しないというのはトルコの経済力と中央集権的な力であったのか。最終的にはたくさんの人やモノを動員した物量作戦によってトルコは勝てたのを確認できた。トルコというのは近代の消耗戦を戦っていたのかもしれない。

最後に

 最後に聖ヨハネ騎士団のその後について書かれている。現在は独立国であり、現在の77代目の団長の下で、医療活動を続けている。その活動は世界中の赤字に変形十字のしるしを付けた病院や研究所に見ることができ、現代の”騎士たち”が今も活躍しているということである。赤十字の創設などもきっとこのような活動に影響を受けているだろうし、この騎士団が過去のものではなく、今にも繋がっている歴史であるというのには心を打たれた。

 ロードス島の戦いについて知りたい人はもちろん、今も世界で活躍している騎士団の歴史を知りたいという方にもおすすめである。