1995 小学館 萩尾 望都
儚く繊細な少年たちのギムナジウムの学園生活。
こんな美しく切ない世界を作り上げる萩尾先生は天才としかいいようがない。
1995 小学館 萩尾 望都
儚く繊細な少年たちのギムナジウムの学園生活。
こんな美しく切ない世界を作り上げる萩尾先生は天才としかいいようがない。
1996 小学館 萩尾 望都
天真爛漫なヴィクトリアと、その家でいっしょに暮らすことになったビリー。二人の未来に立ちはだかる困難は、二人の人生を大きく左右したが、その中で変わらないものもあった。萩尾望都の描く傑作長編「ゴールデンライラック」を含む、4篇。
青臭い感じがいい。けど、やっぱり普通の少女漫画にない深い洞察がある。
「・・・砲術を遣ろうというものもなければ原書を取り調べようという者もありはせぬ。それゆえ諸方の書生が幾年勉強して何ほどエライ学者になっても、頓と実際の仕事に縁がない。すなわち衣食に縁がない。縁がないから縁を求めるということにも思い寄らぬので、しからば何のために苦学するかといえば一寸と説明はない。前途自分の体は如何なるであろうかと考えたこともなければ、名を求める気もない。名を求めぬどころか、蘭学書生といえば世間に悪く言われるばかりで、既に焼けに成っている。ただ昼夜苦しんで六かしい原書を読んで面白がっているようなもので、実にわけの分からぬ身の有様とは申しながら、一歩を進めて当時の書生の心の底を叩いてみれば、おのずから楽しみがある。これを一言すれば-西洋日進の書を読むということは日本国中の人に出来ないことだ、自分たちの仲間に限ってコンなことが出来る。貧乏をしても苦渋をしても、粗衣粗食、一見見る影もない貧書生でありながら、知力思想の活発高尚なることは王侯貴人も眼下に見下すという気位で、ただ六かしければ面白い、苦中有楽、苦即楽という境遇であったと思われる。」
慶応義塾を創設した福沢諭吉先生が60歳を過ぎて口述筆記させた自伝。波乱万丈、数奇で濃厚な人生を披露する。
お酒が飲みたくてたまらなかったり、ケンカのまねごとをして遊んだり、ニセのラブレターを書いて友達をからかったり、とハチャメチャ。しかし、本当に度が外れているのは、その向学に対する熱意であろう。アメリカに渡ったときにアメリカ人がいろいろ製作所を見せてくれて日本人に教えてくれようとするが、彼はちゃんと知っている。
「砂糖の製造所があって、大きな釜を真空にして沸騰を早くするということを遣っている。ソレを懇々と説くけれども、こっちは知っている、真空にすれば沸騰が早くなるということは。且つその砂糖を清浄にするには、骨炭で漉せば清浄になるということもチャント知っている。先方ではそういうことは思いも寄らぬことだとこう察して、ねんごろに教えてくれるのであろうが、こっちは日本に居る中に数年の間そんなことばかり詮索していたのであるから、ソレは少しも驚くに足りない。」
一方で風俗風習のことは明るくない。
「他に知りたいことが沢山ある。例えばココに病院というものがある、ところでその入費の金はどんな塩梅にして誰が出しているのか、またバンクというものがあってその金の支出人は如何しているか、郵便法が行われていて、その法は如何いう趣向にしてあるのか、フランスでは徴兵制を励行しているが、イギリスには徴兵令がないというその徴兵令というのは、そもそも如何いう趣向にしてあるのか、その辺の事情が頓とわからない。ソレカラまた政治上の選挙法というようなことが皆無わからない。」
その熱意の根源は身分制度にあったのではないか。
「上士族の家に生まれた者は、親も上士族であれば子も上士族、百年経ってもその分限は変わらない。従って小士族に生まれた者は、おのずから上流士族の者から常に軽蔑を受ける。人々の痴愚賢不肖に拘わらず、上士は下士を目下に見下すという風が専ら行われて、私は少年の時からソレについて如何にも不平でたまらない。」
「幾ら呼びに来ても政府へはモウ一切出ない」という反政府的な一面もあるが、日本を思う心はある。
「…日本国中いやしくも書を読んでいるところはただ慶応義塾ばかりという有様で、その時に私が塾の者に語ったことがある。『むかしむかしナポレオンの乱にオランダ国の運命は断絶して、本国は申すに及ばずインド地方までことごとく取られてしまって、国旗を挙げる場所がなくなったところが、世界中纔に一箇所を遺した。ソレは即ち日本長崎の出島である。出島は年来オランダ人の居留地で、欧洲兵乱の影響も日本には及ばずして、出島の国旗は常に百尺竿頭に翻々してオランダ王国は曾て滅亡したることなしと、今でもオランダ人が誇っている。シテみるとこの慶応義塾は日本の洋学のためにはオランダの出島と同様、世の中に如何なる騒動があっても変乱があっても未だ曾て洋学の命脈を絶やしたことはないぞよ、慶応義塾は一日も休業したことはない、この塾のあらん限り大日本は世界の文明国である、世間に頓着するな』と申して、大勢の少年を励ましたことがあります。 」
長男と次男をアメリカに六年間留学させるが、自身の向学熱とは異なるような子供への教育方針も面白い。
「学問を勉強して半死半生の色の青い大学者になって帰って来るより、筋骨逞しき無学文盲なものになって帰って来い、その方が余程喜ばしい。」
不思議な人である。
1997 朝日新聞社 司馬 遼太郎
・・・李登輝さんの応接室では、話が弾んだ。やがて時間がきて私が立ちあがると、李登輝さんがあわてて制した。「もうすこし」しかし、遅くなれば、この人の健康をそこねる。私は四月にまた来ます、といった。「こんどは東部の山地へゆきますが」「じゃ、四月にはボクが案内する」と、この人は旧制高校生の日本語でいった。冗談じゃない、こんなえらい人に案内されてはたまわないとおもいつつ、同時に、アジア的な威厳演出とはほど遠いこの人の人柄におどろかされた・・・
司馬先生による「街道をゆく」台湾編。李登輝さんとの対談付き。民族や歴史に関してはこの一冊で足りてしまうような情報量がある。
膨大な書籍での調査を行っている司馬先生の現地体験を通して語られる紀行は、情報だけにとどまらない台湾への愛情や憂いと共に願いが込められていると感じた。植民地時代を肯定するような台湾人の親日的なリップサービスをさらっと流すのがかっこいい。
1969 岩波書店 スタンダール, Stendhal, 生島 遼一
「それでは、自分からわざと恐ろしい不幸にとびこみ、この世でいちばん愛するものから遠ざかって生きるようにすることを誓います」
己の本能に従って生きるファブリスと、その彼を熱烈に愛する美しく才気に満ちた叔母。さらにクレリアがファブリスの人生に登場する。それに女性たちの崇拝者たちも加わり、それぞれの欲望がパルムの地で交錯する。
他のレビューでも、「赤と黒」のジュリアン・ソレルとの比較が書かれていたけど、個人的にはソレルが好き。けれど、「パルムの僧院」は女性陣に関して、最強の布陣を整えていると思う。物語については、特に結末について、幸福とは良心とは何だろう?といろいろ考えさせらえるけど、やっぱりもう少し若いときに一度読んでおきたかった。10年後にまた読もう。
2005 日本能率協会マネジメントセンター 佐藤 義典
佐藤氏独自の数値化可能なツールによるマーケティング戦略の解説。
図が付いていて分かりやすかったし、実践的で各ツールが補完的で相互に関係しているのも興味深かった。いずれにしても使わないとダメですね。
2006 光文社 ドストエフスキー, 亀山 郁夫
十九世紀の半ば過ぎ、ロシアの田舎町に住む強欲で無信心で淫蕩な地主フョードル・カラマーゾフの三人の息子たちの物語。放蕩の限りをつくす先妻の子のドミートリイ、インテリののイワン、そして誰からも愛される清純な青年アレクセイ。この3人を揺るがす奔放で妖艶な美人、グルーシェンカをめぐって事件が起こる。キリスト教または神についての過激な論争を織り交ぜて、物語は進行する。
やっとこさ、読んだ。モーム十選の10冊目だ。岩波のものが進まなかったので、読みやすいらしい光文社の訳で読んだ。ほぼ記憶にない「罪と罰」を読んだきり、ドストエフスキーは好きではなかった。フロイトの解説本を読むと賭博依存症患者として出てきていたから、「掛け金のために小説書いてたんでしょ?」と思っていた。今もそう思ってはいるが亀山氏の解説のおかげで毛嫌い度は減った気はしている。トルストイ好きの友達とはドストエフスキーの小説は(その暗さゆえ)「ドブ川」のようだと言っていたが、このカラマーゾフの兄弟についてはアリョーシャという明るさもあり、違った印象を持った。アリョーシャという光り輝く青年と出会うためにも、神という問題のためにも読んだほうがいい本だ。
この訳そのものも読みやすいと思うが、巻末にある解説がさらに読みやすさを助長しているように思った。訳注や作者注がたくさんあるものがたまにあるが、それらを巻末に一つの文章として、巻末にまとめてくれたら読みやすいかもしれないとも思った。それにしても、亀山氏の思い入れには一番驚いたかもしれない。5巻目にある氏の考察からは熱すぎる思いが伝わってくる。「グローバルな時代の中、日本の各地でカラマーゾフの兄弟のことが話題に上れば嬉しい」ようなことが書かれていたが、グローバルな時代のせいか、私なんかは海外で読んだり話したりしていますよ、とお伝えしたい。
Brigit Viney Oxford Univ Pr (Sd) 2008年7月24日
…But sometimes both the French and the Old English words survived, with small differences in meanings: for example ask(OE) and demand(F), wedding(OE) and marriage(F), king(OE) and sovereign(F). Sometimes French words were used for life in the upper classes and Old English ones for life in the lower classes. Fore example, the words for the animals in the fields were Old English (cows, sheep, and pigs) but the words for the meat on the table were French (beef, mutton, and pork).
英語の歴史。
量の割りにいろいろ発見があって面白かった。
1999 岩波書店 金谷 治
君子は器ならず
「大学」「中庸」「孟子」にならぶ、中華圏(日本も含む?)の古典。
孔子は社会秩序を維持するための形式的な「礼」を強調している人だと思っていた。けれど、楽器に感動して音楽に没入したり、愛弟子が亡くなって悲しんだり、仁(愛すること、慈愛?)を強調したり、気さくな人だからこそ長く読み継がれているのだろう。
子の曰わく、素食を食い水を飲み、肘を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我れに於いて浮雲の如し。
1988 岩波書店 マックス ヴェーバー, 大塚 久雄
この秩序界(コスモス)は現在、圧倒的な力をもって、その機構の中に入り込んでくる一切の諸個人-直接経済的営利にたずさわる人々だけではなく-の生活のスタイルを決定しているし、おそらく将来も、化石化した燃料の最期の一片が燃えつきるまで決定し続けるだろう。
資本主義の黎明期に資本主義を加速した反営利的な積極的な禁欲的なプロテスタンティズムについての分析。
宗教の書籍も当然、読みたい。次の山だ。