生きるということ

1977 紀伊國屋書店 エーリッヒ・フロム, 佐野 哲郎

 

「メキシコで私が観察したところでは、読み書きができない人びとや、めったに字を書かない人びとは、産業化した国ぐにのすらすらと読み書きのできる人びとより、はるかにすぐれた記憶力を持っている。多くの事実の中でとりわけこの事実が示唆しているのはこうだ。読み書きの能力は決して宣伝されているほどありがたいものではなく、まして経験し想像する能力を貧困にするような材料を読むためにのみそれを使う場合は、なおさらであるということ。」

現代人の「持つ」様式と、理想の姿「ある」様式を比較、解説し、現代の文化を痛烈に批判し、新たな社会・人間を提言する。

いろいろ考えさせられる。知るということは知識を持つことではなく、「すべての覆いを剥ぎ取るもの」として説明されている。私たちの知は既成の概念で覆われている。資本主義は気づかないうちに資本主義の価値基準を人びとに埋め込んでいるのか。そうだとすると、これを剥ぎ取るのが知であろう。資本主義は資本主義を発展させる人を歓迎し、資本主義の血であるお金をより高速に回転させられる人にその血を分配する。その血をもらわない生き方はあるのか。経済って資本主義と関係ない太古の昔からあったものだから、資本主義でない経済があればいいのか。キリスト教の経済?ギルドの経済?農奴の経済?新しい価値観なんて、そう簡単にできないと思うし、やっぱりお金って一番分かりやすいから、こんなに流行っているんかなぁ。わからん。まあ何しろ種の保存が正義だろう。多様な種が生き残れる社会が存続する。

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