ボクらを作った映画たち (原題: The Movies That Made Us) シーズン1~2

2019-2021

 本も面白いし、劇も面白いが、映画も面白い。脚本、演技、美術、カメラ、音楽、それに特殊効果やCGも加わっての総合芸術と言っても良い。ヒット作と呼ばれる作品たちはどこか理路整然としていてスキがないようにも見えるが、本当のところはどうなのだろうか。誰もがよく知っている映画たちの製作の裏側を知ることができるドキュメンタリー。

構成

 シーズン1は「ダーティ・ダンシング」「ホーム・アローン」「ゴースト・バスターズ」「ダイ・ハード」、シーズン2では「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「プリティ・ウーマン」「ジュラシック・パーク」「フォレスト・ガンプ」を紹介している。
 映画の企画がどのように生まれていったのか?から始まり、脚本がどのように作られて、それがどこかの映画会社の目に止まって、予算などの壁を打ち破り、何とか撮影までこぎつける。たいていそこでもトラブルがいろいろあり、何とか撮影が終わる。実際に携わった人たちの証言を聞きながら、時系列に起こったことを様々な人の視点から証言してもらい、製作中の難題を語っていき、映画の成功までの道のりを描く。最後に当時、撮影に使った現場を関係者が思い出を語りながら歩く。

ポイント – どんどん変わる脚本

 まず脚本がどんどん変わっていくのは当たり前のようだったが、スポンサーから脚本に基本プロットを変えるように言われるダーティ・ダンシング。クリスマスに改変したホーム・アローン。説得され設定を変更したゴーストバスターズ。基本プロットを作った脚本家がクビになるダイハード。制作会社の指示の中でタイトルの変更だけは食い止めたバック・トゥ・ザ・フューチャー。ダークな脚本をディズニー風に書き換えたプリティ・ウーマン。宇宙に行ったりしていた原作を書き換えたフォレスト・ガンプ。いろいろな人の手で磨き上げられていくものだとは思うが、やはり大変な作業だ。

ポイント – 偶然

 偶然の数々に驚かされる。綿密な計画に基づいて製作されていると想いきや、様々な偶然によって映画製作の道がひらけていったりする。ダーティ・ダンシングのキャスティングは監督がたまたま俳優を知っていたり、配給会社を転々としたプリティ・ウーマンが最後にディズニーの子会社に行き着いたとか。ジュラシックパークはCGありきで始まったものだと思っていたが、そうではなかった。ホームアローンは巨匠にお願いしたらまさかOKして映画の雰囲気がまったく違ったものになったり。ダイハードでは脚本は撮影を追いかけるように書かれていたが、話の運びに苦労して言う中、偶然、現場での俳優のジョークを良い設定を思いつく。才能があつまって真摯に仕事に向き合っているからこそ、生まれる”偶然”なのだろうけど、そこからヒット作が生まれているのは興味深い。

ポイント – キャスティング

 キャスティングにも苦労しているのを知った。ダーティ・ダンシングの主役同士の諍いや、ホーム・アローンの相性。バック・トゥ・ザ・フューチャーはなんと主役とその恋人役を撮影6週目でで変えている。ゴーストバスターは脚本を執筆中にキャスティングしようとしていた友人がなくなたり、肝心の主人公たちがなかなか揃わない。ダイハードは弱い主人公でキャスティングに苦労したが、その”弱い主人公”が以後の映画の青写真になった。プリティ・ウーマンは主役に断られたがジュリア・ロバーツがリチャード・ギアをいとめた。

ポイント – 制作会社との関係

 音楽もお金がかかる部分でダーティ・ダンシングでは脚本家のエレノアが選んだ曲を使うのには苦労していたり。ホーム・アローンは予算が却下されてストップになり途中で制作会社が変わっている。ゴーストバスターでも予算の関係で著作権を買えずにタイトルが決まらず2つのタイトル用に2回撮影したりもしている。またゴーストバスターは予算は十分だったが条件に付けられたスケジュールは厳しく、途中でさらに厳しくなる。フォレスト・ガンプも予算の関係でシーンのカットの圧力があるが、監督がお金を出したり隠れて撮影をしたりと強行した。

最後に

 とにかく、どの作品も作品を愛する人達がありとあらゆる困難を乗り越えて、完成に行き着いている。非常な情熱を持ってその映画の企画を実現させたかったというプロデューサーや脚本家を見ると嬉しくなる。自叙伝的な脚本を書いたダーティ・ダンシングのエレノアとリンダや、フォレスト・ガンプのウェンディも。特に実績もなかったりする作家の場合には何年も我慢強くチャンスをまったりしている。フォレスト・ガンプでは監督やトムハンクスがギャラを減額したりもしている。このような執念には心を打たれる。

 どれもヒット作なので知っている作品だと思う。製作の裏側や情熱的なプロデューサーたちを知ると、更に作品たちを好きになることが間違いない。映画好きにはおすすめのうドキュメンタリーです。

ヒヤマケンタロウの妊娠

2022 Netflix 箱田優子、菊地健雄

なぜかNetflixで子どもが見ていると言っていたので見てみたが、かなり衝撃的な内容だった。坂井恵理氏の漫画作品が原作のドラマ作品。

登場人物・世界観

桧山健太郎はイケメンでモテモテのできる広告マン。職場は「男が育児に振り回されるとかバカバカしい」とか言っちゃう社員がいるマッチョな感じで、男尊女卑的な感じがある。自身も「よく産むよなぁ、子ども。男でも女でも仕事のジャマになっちゃうし」というスタンス。いろいろな女性に手を出してみるが定まらない。一番落ち着くのが亜季。仕事での成功を第一に考えているのもあり”面倒くさくない大人の関係”という感じ。さらに女手一つで桧山を育ててきた母も関わってくるが、母子家庭で育った檜山は子供時代にあまり良い思い出がない。

物語の始まり

仕事で自分の手柄で大きな仕事も取れそうで順風満帆で進む中、何か吐き気をもよおすような気持ち悪さがこみ上げてくることが増えてくる。あまりの気持ち悪さに会議を中座するほどになり、ついに病院に行く。エコーで検査されると、どこかで見た医師が診察にきて妊娠を告げられる。何かの間違いだと逃げる主人公。すぐに妊娠検査薬を買ってテストをするが結果は、、、

妊娠するまでの男マッチョ社会の描写がこれ大丈夫なのか?という感じの日本のザ男尊女卑会社。おそらくこういう会社は今でも現存しているのだとは思う。

テーマ

子どもにまつわることを男性は関わらなくて良いと仕事以外の家族関連のことを少し小馬鹿にしているエリートビジネスマンが妊娠を通じて、男尊女卑的な世界を目の当たりにする。また、世界への見方が変わっていくとともに、行動が変わっていく様子が清々しい。あぶり出されてくる男尊女卑社会は桧山に重くのしかかってくるが、何か自分のできる行動をしようとする。

男性と女性の大きな差異を生んでいるが妊娠と出産。その一番大きな差異を逆転させることにより大きな効果を生んでいる。逆転により男性社会を客観視することができる。このアイデアには脱帽だし、この世界はおかしいでしょ?と問いかけているのは素晴らしいと思う。アキが仕事一筋なので、男性が妊娠しているのに仕事を優先してしまう女性になって、逆転感がうまく出ている。

最後に

とにかくの日本社会の男性感女性感が一気に逆回転して、自分の物言いが自分に降り掛かってくるのが本当におかしい。さらに檜山は状況を変えていこうとしているのが素晴らしい。男性はこんなもんだからその中で女性はうまく生きていこうね!というドラマも多いなか、この設定の抜群の切れ味で世界を切りまくるドラマになっていて好きになった。

このドラマは男性が見るべきものだろう。子どもがいる男性は見るのが必死だし、これから結婚するようなカップルにもぜひこれを一緒に見てから相手を決めるべきだと思う。

Shall we ダンス?

1996 東宝 周防正行

 古い映画で2回ほど過去に見たことがあったと思う。当時も面白かったが、気付けば主人公と同じような年になっていた。どのように感じるか知りたかったのと、子どもに見せてみたかったので見せてみた。

登場人物・世界観

 東京の会社の経理課長である杉山正平(役所広司)は妻の昌子、娘の千景との三人暮らし。真面目な性格で遅くまで飲み歩くこともない。小さなダンス教室でダンス講師をしている舞(草刈民代)は佇まいから風格のある。ダンス仲間として同時に入会した服部(徳井優)や田中(田口浩正)と仲良くなり、ひょんなことから会社の同僚の青木(竹中直人)とも出会い親交を深めていく。

物語の始まり

 杉山正平は郊外に庭付きの家を買い、人生の大きなハードルをクリアーした。仕事にも家庭にも何の不満もないが、何か張り合いもない。心の奥には満ち足りない何かを抱えた杉山は帰宅途中の停車駅で、小さなダンス教室の窓辺に佇む女性を見つける。電車でいつも窓から見えるその女性に心を惹かれ、その気持がどんどん膨らんでいく。数日経ったある日、思い切ってそのダンス教室を訪れる。彼女がダンス講師であることを知り、気付くと社交ダンスに登録をしていた。
 社交ダンスの先生は舞ではなかったが、ダンスをする仲間に出会い真摯にダンスに向き合ううちにいつしか社交ダンスに没頭していく。

テーマ

 それまで体験したことがないダンスとそれを愛する人達に出会い、困難もあるけれどそれらを乗り越え、再び人生の喜びを発見していく、というのをコミカルに描いているので見てて疲れない。その中の著しい成長や仲間たち、ダンスパートナーとのやり取りなどは嬉しく楽しい気持ちになる。

 ダンスそのものもテーマであろう。ダンスがうまくなっていくシーンや、本物のダンスシーンは美しい。カメラを回したくなる気持ちも分かる。ダンスそのもののパワーも十分に味わえる。この映画で社交ダンスをしたくなる気持ちも分かる。

最後に

 再び見ると家族とのシーンなどが印象に残ると思ったが、そんなにこれまでの感じ方と違うところはなかったように思えた。では私が好きな点は何だろう?と改めて考えると、やっぱりたま子先生役の草村礼子さんだ。足取りおぼつかない杉山に優しく教えるシーン。階段を登って柔らかい口調で「大会に出てみようよ」と杉山を誘うシーン。たま子先生の話すフランクな語尾とこの声質。これが当たり役で賞も沢山とったのだから、みんな大好きに違いない!こんな優しい人にみんな出会いたいのだ。

 ということで、人生はそこそこ順調に進んでいるけど、何か毎日に物足りないような人。熱い社交ダンスの世界を垣間見たい人。何より草村礼子が好きな人。そんな人にはおすすめの一本です!

地図でスッと頭に入る古代史

2021 昭文社 瀧音能之(監修)

日本の古代史は日に日に興味が出てきてるので、図書館で見かけて薄くてわかりやすそうな本だったので手にとってしまった。

本の構成

 第一章で「縄文・弥生時代」、第二章で「古墳時代」、第三章で「飛鳥時代」、第四章で「奈良時代」にフォーカスして、トピックを取り上げて、図を伴って解説していく。途中にクローズアップ古代史という章を設けて、従来の説から変わっているものについて、最新の説を解説している。

気になったポイント 従来説と新発見

 教科書でも語られているという最新の説で知らなかったことはいろいろあったので興味深かった。仁徳天皇陵とされていた古墳が築造時期と天皇が活躍した時代と合わないことから、大仙陵と改められていたのは驚いた。一方で聖徳太子が実在しなかったという説はさすがにありえない気がした。

最後に

 あまり詳しくないのもあり、聞いたことがあるなぁという感覚で、綺麗な絵を見ながら流し読みしてしまったところもあったが、目を引くところもあった。黒曜石の分布や、古代の出雲大社がかなり高層の建物だったことなどは興味深かった。

 詳しくない人も気軽に手にとって読み進められるので、初心者への歴史の解説本としておすすめです!

地図でスッと頭に入る古事記と日本書紀

2020 昭文社 瀧音 能之(監修)

 やはり古事記はロマンが溢れている。図書館でちょっと目に入ったので借りてしまった。

本の構成

 古事記と日本書紀が5章に分かれて解説されている。序章は「はやわかり古事記・日本書紀」で記紀の成り立ちについて、第一章「天地の始まり」はスサノオによる大蛇退治まで、第二章「神々の物語」はオオクニヌシの話から初代天皇の誕生まで、第三章「ヤマト政権の誕生」ではヤマトタケルやホムダワケの皇位継承まで、第四章「古代天皇の躍動」ではオオサザキの仁政からアナホノミコ殺人事件まで、第五章「日本の誕生」では武烈天皇から壬申の乱を経て日本誕生まで、それぞれ見開きで分かりやすい図で説明されている。

気になったポイント – 神話

 オオクニヌシの話も伊予や播磨の風土記にも記載があるという、またオキナガタラシヒメも日本書紀では一章かけて解説しているというので、当然に存在したのだと思う。
 この神話を神話でないという考古学的な発見などがあったらいいなぁと多くの人が思っているとはおもうが、やはり自分も考えてしまう。シュリーマン的な投資や発見は常に憧れる。天の岩戸の話も皆既日食とかは調べようと思っていて、調べていない…。

気になったポイント – 高天原

 天津神が住んでいる高天原。イザナギとイザナミは高天原の神々と相談しながら国作りを勧めいる。アマテラスは高天原からオオナムチに使者を遣わしたりしている。
 高天原とはどこなのか?何なのか?は気になる。海洋国家だった昔は海の向こうだったのかなとかも思ったり、妄想が止まらない。

最後に

 とにもかくにも古事記・日本書紀は日本人のアイデンティティに関る物語であるのは間違いないが、なかなか読む機会がないとは思うので、まずはこのような取っ付き易い書籍を手に取るのはおすすめです!

21 Lessons 上・下

2019 河出書房新社 ユヴァル・ノア・ハラリ(著), 柴田裕之(訳)

ハラリ氏のサピエンス全史で過去の歴史を読んで、ホモデウスで人類の未来を読んだ。21 Lessonsでは「今、ここ」にフォーカスしてハラリ氏が現代の課題について語る。

本の構成

全21章で構成されており、それが5つのテーマに分類されている。第一部「テクノロジー面の難題」で自由市場資本主義の窮地について語り、第二部「政治面の難題」では第一部で取り上げられた問題についての対応を詳しく考察する。第三部「絶望と希望」では直面するテクノロジーの問題の難題は政治的な対立を生むもののうまくすれば人類は難局に対処できると展望し、第四部「真実」ではポスト真実という概念に取り組み、悪行と正義の区別、現実と虚構の境界についての理解を問う。最後に「レジリエンス」でこの混迷の時代に人生において何をなすべきか?どのような技能を必要とするか?何を言えるかを考える。

ポイント – テクノロジー面の難題

 (幻滅) 世界では反自由主義が進んでいるが、自由主義は経済、政治、個人と分けることができるので、各国で自由主義の範囲を選択して採用するかもしれない。自由主義は経済的な成長によって人々を統合してきたが、生態系の危機の原因になっている。新しい物語が必要になっている。
 (雇用) 人間には身体的な能力と認知的な能力の二種類があり、過去の機械は身体的な能力を使う仕事を奪ってきた。人工知能は認知的な能力を使う仕事を奪っていくと考えられている。人間の「直感」を必要とする課題でもAIは人間を凌ぎうる。芸術分野の音楽でも個人にあった曲や大衆が好む曲を作曲できるようになる。何もする必要がなくなった人類は存在意義の喪失と戦う必要がある。そういう人たちに向けて最低所得保障をするというアイデアがある。もう一つは最低サービス補償であり、政府が様々なサービスを無償で提供する共産主義が目指してたものだ。
 (自由) 多くの人は「自由意志」を信じる自由主義者だ。人々は神々に権限を託しすごしていたが、最近になって人々に権限を移した。しかしまたアルゴリズムに権限を移すかもしれない。身体の管理もバイオメトリックセンサが検知する異常に対応することになり、個人の趣味嗜好も自分異常にアルゴリズムが理解するようになるかもしれない。しかし自動運転では事故の際、運転者を助けるか歩行者を助けるかの選択に迫られるケースではアルゴリズムでは選択できない。アルゴリズムとバイオメトリックセンサによる監視社会や個人差別も危惧される。
 (平等) 一部の集団のみがグローバル化の成果を独占していき、不平等が進んでいる。バイオテクノロジーによって身体的能力や認知的能力をアップデートする場合には富裕層のみその恩恵を味分けて、生物的なカーストに分かれかねない。一部のエリートに富と権力が集中するのを防ぎたいなら、データの所有権の統制が重要だが、政府が国有化するとデジタル独裁国家になりかねない。

ポイント – 政治面の難題

 (コミュニティ) SNSにより自分の感覚よりオンライン上の人がどう感じるかを気にしている。人類は教会や国民国家なしで生きてきたので、それらはなしでも生きられるが、自分の身体や感覚と疎遠になったまま生きると混乱を覚える可能性がある。
 (文明) 民族も宗教も個人も変遷を経て変化し続ける。生物の文化とは対象的に、人間の部族は時とともに融合し、次第に大きな集団を形成する。現在は大きな集団を形成するばかりでなく、各国は等しく地図帳に記載されて、政党や普通選挙があり、人権を尊重するような国民国家で構成されている。それらには同じようなフォーマットの国旗や国家があり、一つの文明を構成している。
 (ナショナリズム) 人々はナショナリズムによる孤立を支持するようになってきている。国民国家はサピエンスの歴史の中では新しいもので、部族などでは対応できない難題に対応するために生まれた。ナショナリズムを信じる人は喜んで戦地に赴いたが、核兵器が使われたことで彼らも核戦争を恐れるようになった。ナショナリストの中には孤立主義を訴える人もいるが、多くの国では輸入なしでは自国民に十分な食料を提供することさえできないし、製品の価格も高騰する。核兵器がある中ではナショナリズムの権力政治に逆戻りするのは危険である。気候変動、サピエンスが技術によって変化していくような課題に対しては国家レベルでの答えはない。
 (宗教) 宗教は農業や医療が得意でなかったから科学に譲った。宗教が得意だったのは解釈することだった。宗教は経済も得意でなかったがどんな経済政策が選ばれても、それをクルアーンの解釈で正当化できる。人類がAIに大きな権限を与えることがあっても、賛成でも反対でも教義の中から解釈を見つけて正当化するだろう。とはいえ、人類の力の源泉である集団の協力は集団のアイデンティティに依存しており、多くの集団のアイデンティティは未だ宗教的な神話に基づいている。カーストや女性嫌悪の差別を支持するような宗教もあるが、人々を分割する宗教伝統は人々を団結させる。日本は近代化を成し遂げるにあたり神道を国家神道に作り変えることで熱狂的な忠誠心を生んだ。今日では多くの国家が日本にならって宗教に頼って独自のアイデンティティを維持している。
 (移民) 移民には様々な議論がある。移民受け入れは義務か?移民はその国の文化に同化するひつようがあるか?移民が社会の正員になるのにどのくらいの時間がかかるか?などである。移民反対派は人種でなく文化によって差別している。(外国人への義務)

ポイント – 絶望と希望

 (テロ) テロは「恐怖」というこの言葉の文字通りの意味が現しているように、物的損害を引き起こすのではなく恐れを広めることで政治情勢が変わるのを期待する軍事前略だ。国家がテロリストの挑戦を受けて立てば、たいてい彼らを叩き潰すことに成功する。テロによって生じた物的損害は微々たるものなので、それについて何もしないことも可能だが、荒々しく公然と反応し、テロリストの思う壺にはまる。国家がこうした挑発に乗らないでいるのが難しいのは、現代国家の正当性が、公共の領域には政治的暴力を寄せ付けないという約束に基づいているからだ。けれど国家はいつか核兵器を入手しようとするかもしれないとかといった理由で、反体制派のあらゆる集団を迫害し始めたりしないように、なおさら用心するべきだ。
 (戦争) 世界の緊張は高まっているが、2018年と1914年の間には重要な違いがあり、1914年には世界中のエリート層は戦争に大きな魅力を感じていたが、2018年には戦争による成功は絶滅危惧種のように珍しいものに見える。21世紀に主要国が戦争を起こして勝利を収めるのがこれほど難しいのは経済的な性質の変化がある。過去は経済的な資産は主に物だったが、21世紀では技術的な知識や組織の知識からなる。そして知識は戦争ではどうしても征服できない。だが戦争が損でも愚かな人間は戦争を起こすかもしれない。ただ新たな世界戦争が避けられないと決めてかかるのは自己実現的予言になってしまうので危険だ。
 (謙虚さ) ほとんどの人は、自分が世界の中心で、自分の文化が人類史の要だと信じがちだ。筆者のルーツであるユダヤ人も人類の歴史にさほど影響を与えなかった。多くの宗教も謙虚さの価値を褒め添えておきながら、けっきょく、自らがこの宇宙で最も重要だと考える。
 (神) 人は自分の無知に「神」という大層な名前をつける。そしてなぜかこの「神」と呼んでいる宇宙の神秘によって人の行動を規定しようとする。道徳とは「神の命令に従うこと」ではない。人間は社会的な動物であり、そのため、人間の幸福は他者との関係に大きく依存しているため、他者の悲惨さを自然に気にかける。道徳的な生活を送るためには神の名を持ち出す必要はない。
 (世俗主義) 世俗主義は宗教の否定ではなく、首尾一貫した価値基準によって定義され、世俗主義的な価値観の多くは様々な宗教にも共有されている。宗教の機関がその理想から外れているように、世俗主義の機関もその理想に遠く及ばないことがある。世俗主義の理想とは真実に対する責務であり、真実は観察と証拠に基づいているというものだ。苦しみを理解する思いやりも重要な責務である。この2つの責務は、経済的平等や政治的平等への責務にも繋がっていく。責任も大切にしており、大きな崇高な力が世界を救ってくれると信じてはおらず、生身の人間である自分たちが自分たちのすることに責任を負うと考えている。世界が悲惨な場所であれば、解決策を見出すのは自分たちの義務である。宗教やイデオロギーには影の面があるが、世俗主義の科学の良いところは誤りを認めるところだ。

ポイント – 真実

 (無知) 個々の人間はこの世界についてわずかしか知らないし、歴史が進むに連れて、個人の知識はますます乏しくなっていった。人間が地球の主人になれたのは、大きな集団でいっしょに考えるという、比類のない能力のおかげだったのだ。集団思考と個人の無知の問題につきまとわれているのは、大統領やCEOも同じだ。世の中を支配しているときには、忙しすぎて真実を発見するのは難しい。さらに巨大な権力は必ず真実を歪めてしまう。権力とは、現実をありのままに見ることではなく、周囲の空間そのものを歪めるブラックホールのような働きをする。もし本当に真実を知りたかったら、権力のブラックホールから脱出して、たっぷり時間を浪費しながら周辺をあちこちうろつきまわってみる必要がある。ただ周辺部にはすばらしい、革新的な見識がいくつかあるかもしれないが、主に、無知な憶測や、偽りであることが証明されているモデル、迷信的な心情、馬鹿げた陰謀論で満ちている。
 (正義) 複雑なグローバルな世界で正義を実行に移すのが難しい。さらに因果関係が細かく分岐していて複雑で、具体的な因果関係が理解できない。近代以降の歴史上で最大級の犯罪は、憎しみや強欲が招いただけでなく、無知と無関心におうところがなおさらお大きかった。イギリスの淑女足し費は地獄のようなプランテーションのことをしらずに角砂糖をお茶に入れた。グローバルな問題を論じるときには、不利な境遇にあるさまざまな集団の見地よりもグローバルなエリート層の見地を優先する危険がある。世界の様々な道徳的な問題を理解しようとしても理解できない。規模を縮小したり、人間ドラマに的を絞ったり、陰謀論をでっち上げたりする。最後の方法は全知というドグマに導かれるままについていく方法だ。
 (ポスト・トゥルース) 歴史にざっと目を通すと、プロパガンダや偽情報はけっして新しいものではないことがわかるし、国家や国民の存在をまるごと否定したり、似非国家を作り出したりする週間さえ、はるか昔までさがのぼる。実際には人間はつねにポスト・トゥルースの時代に生きてきた。ホモ・サピエンスはポスト・トゥルースの種であり、その力は常に虚構を作り出し、それを信じることにかかっている。私達は、非常に多くの見ず知らずの同類と協力できる唯一の哺乳類であり、それは人間だけが虚構の物語を創作して広め、膨大な数の他者を説得して信じ込ませることができるからだ。人々を団結させる転では、偽りの物語のほうが真実よりも本質的な強みを持っている。集団への忠誠心がどれほどのものかを判断したかったら、人々に真実を信じるように頼むよりも、馬鹿げたことを信じるように求めるほうが、はるかに優れた試金石になる。真実と力が手を携えて進める道のりには、自ずと限度がある。世界について真実を知りたければ、力を放棄しなければならない。信頼できる情報が欲しければ、たっぷりとお金を払わなくてはならない。自分に重要な問題に対しては、関連する科学文献を読む努力をすることだ。
 (SF) 21世紀初頭における最も重要な芸術のジャンルはSFかもしれない。今日のSFの最悪の罪は、知能を意識と行動する傾向にある点かもしれない。この混同のせいで、SFはロボットと人間が戦争になるのではないかと、過剰な心配を抱いているが、実際に恐れる必要があるのは、アルゴリズムによって力を得られた少数の超人エリート層と、力を奪われたホモ・サピエンスから成る巨大な下層階級との争いだ。『マトリックス』の中に閉じ込められた人間には正真正銘の自己があり、その事故はテクノロジーを使ったありとあらゆる操作に影響されずに保たれるし、マトリックスの外には本物の現実が待ち受けていて、主人公が一生懸命試みさえすれば、その現実にアクセスできると決めてかかっている。現在のテクノロジーと科学の革命が意味しているのは、正真正銘の個人と正真正銘の現実をアルゴリズムやテレビカメラで操作しうるということではなく、新正性は神話であるということだ。だが私達の精神的経験は、それでもやはり現実のものだ。痛みは痛みであり、恐れは恐れであり、愛は愛だ。『すばらしい新世界』では世界政府が先進的なバイオテクノロジーとソーシャル・エンジニアリングを使い、誰もがつねに満足し、誰一人反抗する理由をもたないようにしている。読みてはまごついてしまう。それがどうしてディストピアなのかはっきり指摘するのが難しいからだ。

ポイント ー レジリエンス

 (教育)今日私達は、2050年に中国や世界のその他の国々がどうなっているか、想像もつかない。21世紀の今、私達は膨大な量の情報にさらされているので、必要としているのは情報でなく、情報の意味を理解したり、重要なものとそうでないものを見分けたりする能力、そして何より、大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力だ。それでは私達は何をおしえるべきか?多くの教育の専門家は、学校は方針を転換し、「4つのC」、すなわち「Critical thinking」「communication」「collaboration」「creativity」を教えるべきだと主張している。より一般的に言うと学校は専門的な技能に重点をおかず、汎用性のある生活技能を重視すべきだという。変化し続ける世界で生き延び、栄えるには、精神的柔軟性と情緒的なバランスがたっぷり必要だ。自分が最も知っているものの一部を捨て去ることを繰り返さざるをえず、未知のものにも平然と対応できなくてはならないだろう。とういうわけで、15歳の子供に私が与えられる最善の助言は、大人に頼りすぎないこと、だ。代わりに何が頼れるだろうか。テクノロジーだろうか。アルゴリズムはあなたがどこに行き、何を買い、誰に会うか見ている。アルゴリズムの方があなたのことをより理解しているのであれば権限はアルゴリズムに移る。
 (意味) 私は何者か?人生で何をするべきか?人生の意味とはなにか?筆者はイスラエルに生まれたがユダヤ教が訴える物語をどうも信じられなかった。長くても3千年の歴史しかもたないユダヤ民族が1万3年後にも存在することすら疑わしく、2億年後はサピエンスがいるかどうか不明と感じた。何かしら魂か霊が自分の死後も生き延びると思えない人は何か実態のあるものを残そうとする。しかしそれもなかなかうまく行かない。筆者の祖母の親族はひとり残らずナチスに殺された。何も残せないとしたら、この世界をほんの少しだけでも良くできれば十分なのではないか?ロマンスや恋もつましい物語だ。ほとんどの物語は、土台の強さでなくむしろ屋根の重みでまとまりを保っている。物語を信じさせるために儀式がある。孔子が作り出した儒教の儀式への執着は時代遅れの現れとみなされてきたが、周辺に長命の社会構造を生み出した。人生の究極の真実を知りたければ儀式は大きな障害となる。だが孔子のようにもし社会の安定と調和に関しがあるのなら、真実は不都合なことが多いのに対して、様々な儀式はおおいに役に立つ。特に自己犠牲は説得力があり殉じる人抜きで維持できる神や国家や革命はほとんどない。また人は物語を複数同時に信じてきた。その一つが自由主義だ。それは宇宙は自分に意味を与えてくれず、反対に自分が宇宙に意味を与えるものだ。自由主義の物語は自己を表現したり実現したりする自由を追い求めるように私に支持する。だが、「自己」も自由も共に、古代のお飛び話から借りてきた架空のもので、「自由意志」も欲することには自由があるが、選ぶことことには文化的な圧力があり自由はない。自分の頭に浮かんできたことはどこから浮かんできたのか?それを選んで浮かんできたのか?私達は外の世界を支配していない、天候も決めていない。体の中のできごとも支配していない。自分の血圧も支配していない。自分の脳さえ支配していない。ニューロンがいつ発火するかもしないしていない。そうして自分の欲望も支配していないし、自分の欲望に対する反応もしないしていないことに気付くべきだ。自由意志を信じていないと何にも関心が持てないのではないかという思う人もいるが、反対に深い好奇心が湧いてくる。自分の頭に浮かんでくる思考や欲望が自分と思っている間は自分について深く知ろうとする努力をしなくなるが、「この考えは私ではない」と悟ると自分が何者かがまったくわからなくなる。これはどんな人間にも胸躍る発見の旅の始まりとなる。現在ではSNSで粉飾された自己を作ることで本当の自分だと誤解する人もいる。幻想の自己は視覚的で本当の経験は身体的である。ブッダの教えによると宇宙の3つの基本的な現実は、万物は絶えず変化していること、永続する本質を持つものは何一つないこと、完全に満足できるものはないことだという。というわけでブッダによれば、人生には何の意味もなく、人々はどんな意味も生み出す必要はないという。私たちは、意味などないことに気づき、それによって空虚な現象への執着や同一化が引き起こす苦しみから解放されるだけでいい。ただ現実と虚構を区別するのが得意でない。区別が難しいときはそれが苦しむか?を問うと良い。戦争で国家は苦しまないが人々は苦しむ。政治家が犠牲、永遠、純粋、救済とか言い出したら注意が必要だ。
 (瞑想) 筆者は重大の頃は歴史や宗教や資本主義なども聞き、本も呼んだがそれらはすべて虚構だと思い、真実を見つけられるか見当もつかなかった。大学では真実を見つけられると思ったが、人生にまつわる大きな疑問に対する、満足の行く答えはあたえてくれなかった。趣味で哲学書をたくさん読み議論もしたが本当の見識はほとんど得られなかった。親友のロンがヴィパッサナー瞑想の講座を受けることを勧めてきて、はじめは断っていたが、ついに10日環の講習に行くことにした。瞑想について知らなかったので込み入った神秘的な理論を伴うものだと思っていたが、瞑想の教えがどれほど実践的なものかをしって仰天した。自分の呼吸を観察していて最初に学んだのは、これまであれほど多くの本を読み、大学であれほど多くの講座に出席してきたにもかかわらず、自分の心については無知に等しく、心を制御するのがほぼ不可能だということだった。どれほど努力しても、息が自分の鼻を出入りする実状を10秒と観察しないうちに、心がどこかへさまよいだしてしまう。自分は永年、自分が人生の主人であり、自己ブランドのCEOだとばかり思い込んでいた。だが、瞑想を数時間してみただけで、自分をほとんど制御できないことが分かった。じぶんはCEOではなく、せいぜい守衛程度のものだったのだ。筆者は自分の感覚を観察する10日環のこの講習で、そのときまでの全人生で学んだことよりも多くを自分自身と人間一般について学んだように思った。そしてそれにはどんな物語も学説も神話も受け入れる必要はなかった。

最後に

 あまりにも重要な要素が多く、要素を抽出するのも大変な内容量で、かつ、その間に古今東西の歴史的な事象が折り挟まれている。膨大な知の結晶であるのは間違いないのが、最後は瞑想で締めくくられているのが面白い。
 私はどちらかというと進歩主義者だが、筆者はもしかしたら非進歩主義者なのかもしれないとも思う。人類の未来は生産活動が機械に置き換わって、仕事の意味も変わって、デジタル共産主義が一部取り入れられるかもしれない。それでも今までと同じように強いものと弱いものの対立や多少の行き来もあったりする世界なのかもしれない。さらにもしかしたら人類は5万年後も生きている可能性はあると思う。10万年後も生きている可能性もある。その時の人から見ると、そして今は時代の進歩が遅い、原始の時代を生きているのかもしれない。宇宙には終わりがなく永遠に発展的に続いていき、人類の範囲はどんどん拡大していき、宇宙の泡の周辺を伝って銀河を移動するのかもしれない。その時からすると今はアフリカを出る前の人類にような地球を出られない人類なのかもしれない。そして地球を出る人類は何世代化に分かれていて、5万年後に地球を出る人類は10万年後に地球を出る人類に倒されるかもしれない。
 その時は人類はどのように発展しているだろうか。とりあえずよく眠れるベットや究極のヨガやストレッチやマッサージで身体的なバランスは完璧になっていて、ほとんどの病気や精神疾患からも解放されて、うつ病は風邪のようになっていて、認知症や総合失調症も治せるかならないようになっていたりするのだろうか。

 とにかくいろいろ考えさせられて面白かった。ぜひ多くの人に読んでいただきたい作品です!

ウイルス学者の責任 (PHP新書)

2022 PHP研究所 宮沢 孝幸

 宮沢先生はウイルス学の専門家だが、藤井聡先生といっしょにYouTube番組に出られたりしていた。初期の頃から政府の対策に疑問を呈していらっしゃったので、応援する気もあり、買ってみた。

本の構成

 本書は六章立てになっています。一章では国のコロナウイルス政策を批判していて、自身の考えと訴えた施策を説明している。二章ではワクチンの構造や仕組みなどと考え。特に子どもや妊婦に対しての影響を心配している。三章では先生が過去に実際に遭遇したDNAを書き換えるレトロウイルスにまつわる2つの事件に立ち向かった経緯と結果を紹介。猫ではありますが、ワクチンの中にレトロウイルスが入っていたというもので衝撃的です。会社側の不正義について書かれています。四章では自身が関わった今市事件についてです。唯一の物証である猫の毛のミトコンドリアの一致が鍵になっていて、その反証に携わり、国側の不正義を垣間見ます。五章では研究者として大切にしていること、六章ではネイチャーに論文が発表されたりしている自身の研究者としての歴史を語っている。

ポイント ー 世界的な国や会社の不正義

 先生が見つけた試薬の問題を放置する会社やアメリカの機関。日本でも猫のワクチンの問題について農水省は動かない。それで論文にして発表するという手段で対抗している。また今市事件については科学的にありえないことが”科学的に検証された証拠”として検察が提出して、一人の人の人生を左右している。

 統計もそうだが、一般の人が”科学的”というような言葉を聞いたら、自分では検証ができないので信じてしまう。そういうことを国が言い出したら、まずは疑わなくてはいけないのだと改めて思った。

ポイント ー 組織論

 五章では研究室の運営のことも書かれているが、恩師の姿勢などにならったりして自身の方向性も語っている。「ダメだと言われている人を大切にする組織が強い」というのは共感した。ダメな人を排除しようとすると次のダメな人を探してきて、組織として安定性がかける。ダメと言われている人を大切にして、その人にも役割を与えて、組織運営をするのが良いと。いろいろな個性が集まって仕事をするのが良いと至極まっとうなことをおっしゃられていた。

 きっと国とか大きな組織についても同じことが言える気がした。ダメと言われているような人も役割を与えられて幸せに暮らす国が良いのだと思う。国は良い研究でなくて、良い組織を作っている人にお金をもっと投入すべきだと思う。

最後に

 自分の能力を自分のためだけに使う人に対しては正直、残念に思う。長いものに巻かれている人も残念に思う。宮沢先生はそうではない。別のところで「能力のある人はそれを人のために使え」とおっしゃっているのを聞いたし、ご自身でもそれを実践なされていると思う。利他の精神を持った人が増えれば世の中が良くなると思う。そして利他の精神を持った人が多かったからこそ日本が発展したのだと思う。自分もこう有りたいと思う人に出会えてよかったと思う。

 コロナウイルスやmRNAワクチンについて知りたい人や、宮沢先生の歴史について知りたい人にはうってつけの一冊です。

 

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの 上・下

2012 草思社 ジャレド・ダイアモンド(著), 楡井 浩一(訳)

 ジャレド・ダイヤモンド氏による「銃、病原菌・鉄」に続く著作であり、様々な文明の崩壊を考察する内容となっている。全体としては現代の環境問題への対応について問題提起をしている内容に読めた。

本の構成

 4部16章で成り立っている。文明の崩壊を招く要素として環境被害、気候変動、近隣の敵対集団、有効的な取引相手、環境問題への社会の対応の5つを挙げてこの観点で各文明を分析する。第一部「現代のモンタナ」では過去の鉱業からの汚染と、森林伐採の必要と経済的な効率、古くからの暮らしと土地開発の摩擦について、第二部「過去の社会」ではイースター島での森林資源の不足による崩壊、ピトケアン島・ヘンダーソン島での人口に対する資源不足による崩壊、アメリカのアナサジ族の森林伐採と旱魃による崩壊、マヤの敵と旱魃による崩壊、スカンジナビア半島から外海に進出し移住したヴァイキングの行く末、特にグリーンランドの興亡について、加えてニューギニア・ティコピア・日本の成功例について、第三部「現代の社会」では、ルワンダでの大虐殺の土地問題にまつわる背景、一つの島に隣り合うドミニカとハイチ、中国の人口・食糧・環境問題、痩せた土地を搾取するオーストラリア、第四部「将来に向けて」では、社会がなぜ壊滅的な方向に向かうか、大企業と環境対策の良い事例と悪い事例、十二の環境問題と反論やこれからについて語る。

気になったポイント – 支配者層の非合理

 支配者層が無駄なものを浪費したり自分だけ裕福な暮らしをしたりと、非合理的な決定をしていたのが社会が崩壊した原因の一つなのではないか、とあった。イースター島の社会階層やグリーンランドにも社会階層あり、それらによる弊害である。

 社会階層は社会のアイデンティティを維持するために必要なものだったのではないかというのが自分の考えである。滅亡した社会にはあったが多くの現存している社会にも存在する。それがないと集団としての物語が失われてしまい、人々が野生化してしまったら、それこそがら文明が崩壊してしまうのではないかとも感じる。

最後に

 崩壊した社会は環境が痩せていて人類が適応するのが難しい場所だったという印象で、度重なる旱魃などの環境変化で崩壊するケースもある。その地域がどのくらいの人口を養えるかが重要だったが、現在では地球規模のやりとりで養える人口が変わっている。

 その土地が持っている潜在能力が重要だったが、現在の地球はどのくらいの人口を養うことができるのか、興味は膨らむ。過去の文明崩壊や世界の環境問題に興味がある人にはおすすめです!

「王室」で読み解く世界史 教養として知っておきたい

2018 日本実業出版社 宇山 卓栄

 「王室」という目を引くタイトルで手にとった。

本の構成

 十部25章で構成されて、地域ごとに部に分かれている。第一部「世界の王室を理解するために」で世界に残っている王室の数、王とは何か、日本の天皇について説明している。第二部「ヨーロッパの君主たち」では王と皇帝の違いやドイツ・フランス・イタリアと、イギリス・ロシア・北欧の違い、さらに教皇について説明する。第三部「イギリス、フランス、オランダ」ではイギリス王室の歴史、フランスにはなぜ王室がないか、オランダ王室の歴史とイギリスとの関係を解説する。第四部「スペイン、ベルギー、ドイツなど」でスペインのハプスブルグ家、ハプスブルグ家とネーデルラントのベルギーをめぐるオランダとの関係とイギリスの思惑、ヨーロッパに残るミニ公国など、ドイツ・イタリアの王室の最後を説明する。第五部「北ヨーロッパ、東ヨーロッパ」ではスウェーデン王室、デンマーク王室、ノルウェー王室のルーツ、ロシアのロマノフ朝、欧州アジア境界の複合国家について説明する。第六部「中国」では中国の皇帝や万世一系を阻んだ易姓革命、清が王族を残さなかった理由と日本との関係、第七部「朝鮮」では日本による朝鮮の併合、李氏朝鮮による統治の実際、李氏と日本の関係を解説する。第八部「東南アジア、インド・中央アジア」では最も裕福なタイ王室の歴史、カンボジア・マレーシア・ブルネイ・ベトナムの王朝の最後、モンゴル系のティムール帝国・ムガル帝国を説明する。第九部「中東」で王室を持つサウジアラビアとアラビア半島の国家、ムハンマドの子孫が王となった国々、オスマン帝国とイランの王室を説明する。第十部「アフリカ、アメリカ」では残ったアフリカの王国、ラテンアメリカのインカ帝国の崩壊などを説明する。

気になったポイント1 – 日本

 第一部では少なくとも1500年続く日本の万世一系の天皇の特異性について説明している。その理由としては男系天皇と側室の子供の扱いをヨーロッパとの違いとして大きく取り上げている。その他、フランス革命では民衆が王を処刑したが、日本で民衆が天皇を処刑するなどはありえないと論じている。

 アジアでも側室の子供が王を継承するとなると、アジアの国家ももう少し長く続いても良い気がする。地理的な理由もあるとは思うが、他のところでも語られている日本は権威と権力を分離したというのも大きいと思っている。他の本では東南アジアで権威を持つ集団が王を追認したようなものも読んだが、なぜその国家は存続しなかったのかも気になるところだ。経済的な安定などだろうか…。

気になったポイント2 – ヨーロッパ

 周辺部の王国:イギリス・ロシア・北欧・東欧の違いとして、中心部の王国:ドイツ・フランス・イタリアと、王国の形成が周辺部は土着性・血縁性から自然発生的に生まれたのに対して、中心部は西ローマ帝国分裂から生まれている違いがあり、中心部の王国の王権が弱いと説明している。

 イギリスは王室をまだ持ちつづけEUからの独立を遂げたが、このような経済的なつながりかアイデンティティのどちらを優先するかに関わっていたりしないかとも思った。また国家が広範に及ぶと王の力が弱くなるというのは興味深い。ローマも領地の拡大に応じて、王政→共和制と変わっているのは関係があるような気もした。

気になったポイント3 – 市民革命

 フランス革命は民衆が王を処刑して王政を廃止したが、アジア・中東・アフリカも植民地からの独立の際には王政が廃止されている例がある。

 政権を倒すというような意味合いだと思うが、それぞれの王朝が地域によってどのように変わるのか。過去の王国はどのように倒されたのか、どのように存続したのかの傾向のようなものはを知りたい。

最後に

 内容が盛りだくさんであった。王室の歴史というのは支配者層の歴史かもしれない。支配者層がどう移動したり、どこをどのくらい支配したのか。現在の王室だけでなく古い王室についてももっと知りたくなった。

 いずれにしても世界各国の27の王室、特に日本の王室について知りたい人にはおすすめです!

「宗教」で読み解く世界史 教養として知っておきたい

2020 日本実業出版社 宇山卓栄

宗教は世界史の中で大きな要素であって興味があったので手に取った。一つ一つのチャプターが短いので、扱っている範囲は広いが読みやすく工夫されている。

本の構成

 四部32章で構成されている。第一部「東アジア」では、中華思想と宗教である儒教を信じる中国、小中華に服した朝鮮、成文や組織のない神道を重んじる日本、儒教・仏教の影響を受けたが中華に組み込まれなかったベトナム、清に制服されたイスラム教の新疆ウイグル自治区、中国とは別文化の仏教国の雲南、中国から逃げ逃れた道教が信奉されている台湾について説明。

 第二部「インド・東南アジア」では、選民思想をもったバラモン教は王朝が国をまとめるための仏教に押されたがヒンズー教に変遷し地方豪族が信仰するようになったインド、アンコール朝はヒンドゥー教だったもののその後仏教国として栄えたタイ・ミャンマー・カンボジア、中国の混乱で海上貿易の収益源を失った仏教国シュリーヴィジャヤ王国、王朝が自分と共に民と富裕層の利益を図り建設されたアンコールワットなどのヒンドゥー教の王国、インドで発展した商人に時事されたジャイナ教・宗教的に分断されたパンジャーブ地方で生まれた戦闘色の強いシク教、インドをイスラム化して統一できなかったムガル帝国、イギリス統治で分割させられたイスラム教国パキスタン、仏教のアーリア系シンハラ人とヒンドゥー教のドラヴィダ系タミル人との内戦になっているスリランカ、ムガル帝国を引きづいでイスラム教のバングラディッシュ、マラッカ王国のイスラム教を引き続き中国資本に対してイスラム主義で対抗しているマレーシアやインドネシアについて説明。

 第三部「ヨーロッパ」では、カトリックの教皇による緩やかな教皇の連合体による支配と腐敗による瓦解、教会との利権闘争に利用され印刷技術によって広まったプロテスタント、営利を推奨しブルジョアを取り込んだ経営者カルヴァン、資金が集まって大航海時代をスペインと新教徒が集まるアントワープを潰して没落した敬虔なカトリックのフェリペ2世、新教徒が毛織物産業で経済発展をさせてスペインを倒したイギリスとオランダ、ブルジョアを取り込むためプロテスタントも取り込んだイギリス国教会、メアリ1世が諸侯と和解するためにカトリックを復活させるがエリザベス一成がイギリス国教会を復活、カトリックのアイルランド人とイギリスの対立、プロテスタントを使ってカトリックを排除し王権を確立したデンマーク、オランダ新興勢力はハプスブルグ家との代理戦争を支援しついにオーストリアだけになったカトリックのハプスブルグ家、フランスはユグノーの支援を受けたアンリ4世に始まりそれを覆して新興ブルジョアの財を接収しようとしたルイ14世さらに反動で合理主義で混迷を極めたフランス革命、ローマの分裂で生まれたギリシア正教とビザンツ帝国崩壊で独立した各国の正教、東方正教会の最高祭祀者となったロシア皇帝、ポーランド・ハンガリーはドイツに近くカトリックが主流、プロテスタントが根付かずカトリックに戻ったチェコやスロバキア、イギリスの貧困層のプロテスタンとピューリタンが移住したアメリカ、カトリックのヒスパニック系。

 第四部「中東・中央アジア・アフリカ」では、通商を重視したイスラム教、アラブ人軍人のクーデターで生まれた軍人のウマイヤ朝、軍人の重用をやめたが分裂を招いたアッパース朝、イスラム商人に支えられた戦闘のプロのクルド人のサラディンは戦争で商機を失うのを嫌った商人たちに財政援助を止められ、利権を狙うリチャード一世に敗れる、トルコ人軍人のマルムーク朝はモンゴルの進撃を止めてインド洋交易の利権も抑えるがポルトガルの大砲に敗れ利権を失いオスマン帝国に吸収される、宗教民族に寛容なオスマンの発展と衰退、近代化を阻んだイスラムの要因と改革したトルコのケマル、シーア派の十二イマーム派のイランとアメリカその他の国とのグレートゲーム、中国マネーに支配されつつある中央アジア五カ国、イスラム教国でモンゴル系のティムール帝国、それを滅ぼしたトルコ系のシャバイニ朝、それを滅ぼした無神論でイスラムを弾圧した南下したロシア、その後ソ連は西側諸国への対抗するためイスラム教に懐柔的に対応、崩壊後はイスラムが復権したが弾圧によりイスラム信仰は緩やかに、富を肯定するユダヤ教とその不満から生まれたキリスト教、アフリカでの北のイスラム教と南のキリスト教の分断、コプト教の流れを汲むエチオピア

気になったポイント – 宗教は強力なソフトツール

 宗教は国内に向かっては「ソフトツールとして、思考や思想を共有し、一つの価値理念に向かって協働することができる」また国外に向かっては「公然性をもった対外工作ツールとして政治的に利用されてきた」というような、「宗教は救済」というようなナイーブなものでないと語っている。

 たしかに民族を超えて協働するには宗教という物語が一番成功してきた気がする。しかし今は資本主義というのはまさにソフトツールで思考や思想を共有し、一つの価値理念に向かって会社などを通じて協働している。

気になったポイント – 利子

 利子は以前から気になっていたが、イスラム教は利子は貧富を拡大するからとらないとあり、それが近代化を阻んでいると書いてあった。一方でカトリックは認めていなかったが認めた。カルヴァンは5%を許容して商業が発展。溜め込んだお金を外に回すために重要である気がする。利子についてはもっと勉強したい。

最後に

 「宗教地政学」の本と銘打っているが、国や地域ごとの宗教の遷移と対立などがよくわかった。宗教という切り口で世界史をみたい人にはおすすめです!