2000 幻冬舎 山本 文緒
32歳付近の山本さんの日記。
テレビ番組の“いいとも”が見れなくて、オリンピックに毒ずく山本さんというのも笑ってしまった。親近感覚える。鬱傾向について触れられているが元気になってほしい。おまけのインド旅行記も面白い。
2000 幻冬舎 山本 文緒
32歳付近の山本さんの日記。
テレビ番組の“いいとも”が見れなくて、オリンピックに毒ずく山本さんというのも笑ってしまった。親近感覚える。鬱傾向について触れられているが元気になってほしい。おまけのインド旅行記も面白い。
1996 角川書店 山本 文緒
広告代理店勤務のスマートな男と結婚した蒼子は、6回目の結婚記念日に年下の恋人と旅行中、自分とそっくりな容姿の蒼子と出会った。彼女は自分とまったく同じ記憶を持ち、違う相手と結婚した自分自身だった。そして彼女とお互いのパートナーを交換することにした。別の人生を選択できたら?ホラーより怖いファンタジー。
2005 角川書店 山本 文緒
31歳の女性をテーマにした30もの短編集。
どうやって、こんなに沢山の人たちを作り出せるのだろう?と不思議。ちょっとテーマとは離れているけど「バンド」は普通にグッと来た。『「息子」「チャンネル権」「空」「当事者」が好き。どれもスゴイけど、これを読む自分に後ろめたさというか不健全さを感じる…。
1998 角川書店 山本 文緒
働く女性をテーマにした15の短編集。
山本節は若干影を潜めて、普通にほろりとする。エッセイの方に書いてあったが、『自分は作家ではなく、自分の仕事が作家なのだ』と。この言葉に通じるものもあった。うん、仕事で考えることがある女性にはお薦めかな?
2001 角川書店 山本 文緒
結婚をテーマにした短編集。
結婚の予定がある人は読んではダメです。
鬱になること間違いなし!!
ホラーです。きっと現実はこんなんじゃないよ。もっと幸せ一杯なんだよ。同僚に気持ち悪いスプラッター映画の冒頭を見せられたので、仕返しに「ますお」を読めと貸し出しました。
2005 文芸春秋 重松 清
新聞に掲載された広告。小学校の卒業記念に埋めたタイムカプセルを掘り出すというもの。40歳前後になった旧友たちと26年ぶりにかつての新興住宅地の母校で再会する。行き詰まる現実に向き合うそれぞれの人生。人生の黄昏に生きる彼らの幸せとは。
家庭や会社などをテーマにしているが、ぬるい。自分が「疾走」を意識しすぎなのか。
白泉社 菅野 文
剣道部の主将でキリリとした風貌の飛鳥。質実剛健、絵に描いたような日本男児。しかし彼は少女マンガ、ぬぐるみが好き、料理はうまいし、お菓子も作れる「オトメン」でした。
料理をサラっと作れるってカッコいいよなぁ~。超あこがれる。俺もオトメン目指してがんばりたいと思いました。え??やっぱり萌えより、トクンでしょ?
陰気な雰囲気のせいで怖がられてしまう“貞子”。でも本名は爽子。自分と違う爽やかな風早に憧れを抱きはじめる。
妹のお薦めでショウガナク読みました(と言っておく)まあ、さすがに学園ものはキツイだろうと思っていたが、いや、もう、これがド真ん中!クラスの端っこにいるのだけど、真摯に生きているっていうヒロインがドつぼです。友情もいいし、なんかウジウジしていないストーリーがイイ!悶々状態に突入する伏線を鮮やかに裏切っていく。これはドラマ化か映画化するでしょう。早く次の巻でないかなぁ~。
2002 講談社 アレックス カー, Alex Kerr
学生時代、小笠原諸島に行ったときのことである。
私は誰もいない浜に行ってみたいと地図を広げて、そこを目指した。近づいていくにしたがって予想通りに人があまりいなくなり、うれしくなってくる。しかし、浜の目前までくると、数人の土木作業員が道で作業をしている。誰もいない浜に通じる土の道は、新しいアスファルトで塗り固められようとしていた。この後、移り住みたいけど仕事が無い人が土木作業に従事しているという話を島の人に聞く。
このとき公共事業の何たるかを少しずつ理解しはじめた。
この本はアレックス氏が日本の変化を憂いて、外国向けに書いた書籍の日本版である。氏は日本で生まれ育ち日本が好きであるからこそ、日本の変化を憂いている。本の中では、以前から言われている不必要な道路やハコモノや、それを主導している勢力、教育や娯楽文化に至るまで、あらゆる面から日本を切っている。「犬と鬼」というのは「韓非子」の絵師が「描くのが難しいもの」として挙げた「犬馬は難く、鬼魅は易し」に由来する。
都知事選に立候補した黒川氏も登場する。彼がどうやって資産を築いたか。なぜ彼が出馬して、何をやりたかったのかもハッキリとわかった。X-SEED4000やそれに類するプロジェクトなどは調べてみると驚く。外れた顎が戻らない。アワアワ。
その一方で、当然、重視されるはずのことにはお金が回っていないとアレックス氏は嘆く。電柱、電線も諸外国では消えてなくなっているものらしい。また日本はそれほど狭いわけでもなく、住環境が悪いのは別の原因とのこと。
思い返すと、イタリアで知人が住んでいる団地を訪れた際、すべての窓に垂れているカーテンが同じ緑色だった。他の建物のカーテンもすべて緑色だった。また、湿度が低いという事情もあるが、洗濯物が干してある窓も一つもない。景観を重視する厳しい条例があるのだろう。ドイツ在住のいとこが住環境が良いとの話を思い出す。
自然に関しても、諸外国では自然を破壊するという理由でテトラポッドを除去したり、コンクリートで塗り固められた川を自然に戻したり、ダムが撤去されたりもしているらしい。京都議定書に関連した予算で道路も作られているという話がどこかにあった。
彼の提言の一つとしては、土木産業から観光業へのシフトだ。土木産業は日本の雇用を下支えしているもので、なくなったらどうするの?と思ってしまうが、観光業が受け皿になるというのは良い案だと思った。
いずれにしても、一度動き出したら止まらない官僚制度を誰かが止めなくてはいけないのは間違いない。最近、憲法改正に端を発した「日本の形」みたいな議論をそこここで見かけるが、それは身近で具体的な問題から目をそらすための官僚の策略じゃないの?と思ってしまう。それこそ、憲法は鬼で、年金などは犬なのかもしれない。そんな日本も幸か不幸かアメリカの衰退により変化を迫られている。通貨の統一をはじめ、中国や東南アジアとの関係をより強化していく方向に向かうだろう。それと共に大きく舵を切るのか、切れるのか。
日本を愛する者の一人として、憂慮すべき事態であるが、そんなに悲観したものではないと思ってしまうところもある。アメリカだってボロボロだし、アジアもBRICsも日本より遥かに悪いしと思ったり。しかし、実際に夕張市は破綻している。同様に危ない自治体もあると聞く。どこかで止めないと、このままでは日本はゆっくり死んでいくのだろう。
冒頭、「キリスト教徒でないものがナザレのイエスのことをキリスト(救世主)と呼ぶのは不謹慎だ」という文が出てきて、ハッとする。無知とは怖いものである。
どういう意図でその言葉を発したかよりも、どういう意味で受け取られるかが重要である。ことに文化や宗教についての無知は、人のアイデンティティにかかわる問題で非常に重大だ。私が自分の無知に恐怖する原因もこの辺にあるのかもしれない。
この本は、小島氏の十数年にも渡るトルコに住む民族の言語研究のフィールドワークの軌跡でもあるが、迫害された民族のアイデンティティに迫った物語でもある。全編に渡って、個々の民族への愛情に溢れている。
はじめはトルコ人の親日的な様子や旅人への深い愛情が描かれているが、それは20ページも続かない。クルド人のことになると“虫けら”“追剥”と蔑視し、温和な態度を一変させる。最近は変わってきているようだが、当時は「トルコにはトルコ人しかいない」「トルコ語しか存在しない」ことになっているというのである。トルコ内の言語はすべてトルコ語の方言で、チンギスハーンもトルコ人なら、フィンランド人もトルコ人ということらしい。
そんな中、氏は各民族の言葉を吸収し操り、多民族国家であるトルコを縦横無尽に闊歩する。それは言語の研究にとどまらない。出会った民族と近い人々との橋渡しをしたり、自分のルーツが分からない民族の祖先を、彼らが話している言葉から探りだす。ルーツを知るということは人にとって非常に重要なことであると思う。また危険を顧みず、彼らの文化を尊重する崇高な姿勢は胸を打つ。目頭が熱くなるエピソードも一つや二つではない。アレウィー教のことも初めて知った。
10年以上前の話だが、本質はあまり変わっていないのではないだろうか。ケマル・アタチュルクが好きだったけど、、、彼が親日家だったのは、もしかして、アイヌ人の虐殺などの単一民族化を推し進めた日本を参考にしたかったのかな、、、とか思ってしまう。アウアウ。