ウ・ヨンウ弁護士は天才肌

2022 ENAチャンネル ユ・インシク

 Netflixのおすすめに表示されて自閉症に関連していたので、気になった。自閉症といえば過去にも本を読んだこともあるが、「ザ・コンサルタント (原題: The Accountant)」も好きな大好きな映画だ。見てみると楽しくて心に響くドラマだった。

登場人物・世界観

 ウ・ヨンウは新米の弁護士である。小さい頃から挙動が普通ではなく医者に自閉スペクトラム症と診断されるが、一方で驚異的な記憶力に恵まれ、その特技を生かして見事に弁護士になった。その後なんとか一つの法律事務所に所属して、弁護士として歩み始める。優しい父親、理解して評価してくれる優しい上司ミョンソク、いつも味方をしてくれる同僚でロースクール時代の同級生スヨンもいるが、一方でライバル視をしてくるクォンなどもいる。また訟務チームのジュノはモテモテの爽やかイケメンだが、いつしかウ・ヨンウが気になっていく、という少女漫画的なストーリーにもなっている。

物語の始まり

 幼少時代は外的なショックでパニックになってしまったり、トランポリンを飛び続けるような不思議な子だったが、ふとしたことから部屋にあった刑法の全文を暗記していることが分かる。弁護士になり初出社の日を迎えるが、満員電車のストレスを大好きなクジラを思い浮かべることでやり過ごそうとする。なんとか会社にたどり着いて上司に面会するものの、”自閉スペクトラム症”と説明された上に言葉遊びのような早口の自己紹介をされると上司は持て余してしまう。しかし、その上司も仕事を進めていく中で、ウ・ヨンウの実力に気づいていく。

テーマ ー 誰もがもっている社会との摩擦

 ウ・ヨンウは回転ドアをうまく通れない。ドアを開けて部屋に入るときに間をおいて入る。物理的な世界においても何かウ・ヨンウがうまく行動できないような仕組みになっている。気持ちの世界でも人の気持がわからなかったり、言動が直接的でオブラートには包まれていないことが、他の人を気まずくさせたりもする。

 社会は自分専用にはできていない。誰しもが多かれ少なかれ社会との摩擦を抱えている。主人公は社会の大多数の人たちと違う性質を持っているので、特にその摩擦が多い。その社会の中で普通の人は妥協しながら生きている。先日もADHDの方がものすごい努力で”普通のフリ”をして生きているという辛い投稿をSNSで読んだが、ウ・ヨンウはそのようなフリもできない。そんな素のままの自分で社会に向き合って奮闘している主人公はこのドラマの魅力の一つであるのは間違いない。また、そんな主人公が仕事をしていく中で社会の不条理や、マイノリティに対する社会の矛盾や差別なども浮き彫りになっている。

最後に

 このドラマの大きな魅力は”普通以下に見える主人公が天才的な活躍をする”という少し陳腐なスーパーマン的な構図だろう。けれど、それがいい!弁護士という社会的地位がある人達を主人公が蹴散らすのが爽快である。また女性には”普通以下に見える主人公がイケメンに好かれる”という少し陳腐な少女漫画的な展開も惹かれるポイントになるはず。まあ、よく見るとこのシンプルな髪型でも普通に可愛い女優さんである。
 そんなこんなで万人が楽しめる良質な社会派エンターテイメントですのでぜひ!害もなさそうなので小学生の娘にも紹介しましたが、面白く見ていました。

コンスタンティノープルの陥落

2009 新潮社 塩野 七生

「スルタン・マホメットは二十二歳、均整のとれた身体つきで、身の丈は、並より高い方に属する。武術に長じ、親しみよりは威圧感を与える。ほとんど笑わず、慎重でいながら、いかなる偏見にも捕われていない。一度決めたことは必ず実行し、それをする時は実に大胆に行う。

 アレクサンドロス大王と同じ栄光を望み、毎日、ローマ史を、チリアコ・ダンコーナともう一人のイタリア人に読ませて聴く。ヘロドトス、リヴィウス、クルティウス等の歴史書や、法王たちの伝記、皇帝の評伝、フランス王の話、ロンゴバルド王たちの話を好む。トルコ語、アラビア語、ギリシア語、スラブ語を話し、イタリアの地理にくわしい。アエネーアスが住んだ土地から、法王の住む都、皇帝の宮廷がある町、全ヨーロッパの国々などが色分けされ印しを付けられた地図を持っている。

 支配することに特別な欲望を感じており、地理と軍事技術に最も強い関心を示す。われわれ西洋人に対する誘導尋問が実に巧みだ。このような手強い相手をキリスト教徒は相手にしなければならないのである」

p.128のヴェネチア共和国特使マルチェッロに随行した副官ラングスキの報告

 ローマ帝国から続きビザンツ帝国に引き継がれた首都コンスタンティノープルの陥落。それは1000年のローマ帝国の終わりであり、ローマ文明の終焉をも意味していた。数多くの記録が残っている歴史的な瞬間を両方の陣営から描いた物語仕立ての歴史小説である。

 ローマ帝国の終わりにつながる戦闘を22歳の若いスルタンであるメフメト二世が主導していたというのは驚異である。後世に月日まで明確に伝えられているコンスタンティノープルの陥落を知りたいと手にとった一冊である。

本の構成

 物語は49歳のビザンツ帝国のコンスタンティヌス11世とトルコ(オスマン帝国)の22歳のスルタン・マホメット、それぞれの生い立ちから始まる。後世に記録を残した6人の人々を紹介し、彼らそれぞれから見たコンスタンティノープルの陥落を描く。そのうち一人はマホメットの美しい小姓トルサンでスルタン側の視点を担う。序盤はビザンツ帝国側が三重の城壁に守られてトルコ側が劣勢になるが、スルタンの奇策も功を奏し、ビザンツ帝国側が押されてくる。

 塩野先生の文章は読みやすく、分量も多くはないので、物語はすらすらと読みすすめることができた。一方で物語さを出しているためか地図などが少なく戦闘の全体像などを捉えにくい。ローマ人の物語のような戦場の地図などがあればもっと良かったが、他の資料などを見るしかない。

気になったポイント1ー 大砲という技術革新

 この戦闘ではスルタンが巨大な大砲の開発に成功することで、何度も敵を撃退したコンスタンティノープルの三重の城壁に挑もうとしている。さまざまな技術革新はローマでも重要だったが、新しい技術に投資できる国力があったからこそ、この戦闘を有利にできたと読めた。この他にもジェノバ人の船をコントロールする技術や、坑道を掘る技術とそれを探知する技術。

 火薬から始まって、コンピュータ、レーダー、GPS、インターネットなど。戦争を有利にするために生まれた技術はいろいろあるが、この時代も戦争によって技術は発達し、技術に投資ができる経済力がある組織が勢力を拡大していたことを確認できた。

気になったポイント2 ー それぞれの弱さ

 ジェノバ勢とヴェネチア勢の仲間割れや、なかなか応援に来ないヴェネチア軍など、商人たちはトルコとの通商が先立つのか単純に反トルコでまとまることができず折に触れて反発し合う。一方のトルコも陸上戦は混成部隊だが背後に構える常備軍のイエニチェリに切られるのが怖くて前進するしかない。そうして決死での前進が強さを生み出している。ただ常備軍を持たない海戦では急ごしらえの海軍ではジェノバなどの海の民たちには太刀打ちができず敗戦を経験する。

 包囲されるビザンツ帝国も消耗戦だが、包囲しているトルコも10万の兵の食料を調達したり、士気を保つのも簡単ではない。どちらかが優勢というわけではなく、ギリギリの戦いだったというのは印象的だった。

最後に

 包囲を50日続けていても、砲撃を絶え間なく続けていても、外壁を越えた人は一人もいなかった。そんなときにカリル・パシャは説得する。「攻略は断念し、包囲は解くべきである。亡きスルタンも経験したことだから、撤退は決して恥ではない。無謀こそ、大国をひきいる者の、してはならないことである。」と。しかしそれでもスルタン・マホメット諦めなかった。そしてコンスタンティノープルを陥落させ、キリスト教世界に衝撃を与えた。

 ところで、アレクサンドロス大王に憧れたスルタン・マホメットが憧れた人のように”大王”として扱われているかというと、今のところそうでもない。それは彼の功績というよりも後世への伝え方だったりするのかもしれないとも思うが、学者を連れて遠征をしていたアレクサンドロス大王ほど伝える努力をしていないからなのかもしれないし、世界がもっと複雑になっていたからかもしれないし、積極的なスルタンと消極的な官僚機構が拮抗していたからもれないし、現在のギリシア文明から派生している西欧文明に情報が支配されているからかもしれない。スルタン・マホメットは相当な実力者であると感じるが、彼の世界一の地位と財力を持って、明確な目標に向かって努力しても叶わないこともあるのかもしれないとも感じた。

 短くて読みやすいので、ローマ帝国の最後の日に触れたい人におすすめな一冊である。

大英帝国という経験 (興亡の世界史 16)

2007 講談社 井野瀬 久美惠

ブレグジットで話題になった国はどういう国なのか?かつてどのように帝国になってどのように植民地を失ったのか?同じ島国としては気になるので読み始めた。奴隷やアイデンティティなどの興味深い問題が深く掘り下げられていて非常に勉強になった。

本の構成

 18世紀の「アメリカの喪失」の経験から始まり、「連合王国と帝国再編」でスコットランドとの関係を描き、「移民たちの帝国」でアメリカ・カナダ・オーストラリアに移住していく人たちを描き、「奴隷を開放する帝国」で奴隷貿易でも受けた過去を精算して奴隷解放を主導したクラークソンと歴史を紐解く。「モノの帝国」では紅茶の歴史を植民地支配とともに振り返り、1851年の万国博覧会から続く商品文化の発達を語る。「女王陛下の大英帝国」ではプライベートのイメージを作るヴィクトリア女王とその奴隷解放に進む上を描く。「帝国は楽し」でエジプト展やトマス・クック社による商業化される旅行・ミュージカルなど文化面をカバーし、「女たちの大英帝国」で女性の移民・フローラショウやメアリキングズリなどのレディトラベラ・メアリシーコルの海外での活躍に触れる。「準備された衰退」で南アフリカ戦争とそれに関係したフーリガン・ボーイスカウト運動とさらに日英同盟の始まりと終わりを語り、最後に「帝国の遺産」でガートルード・ベルとイラク建国の顛末に続き移民とアイデンティティで締め、大英帝国の歴史と現在の問題にもつなげる。

気になったポイント1 ローマ帝国衰亡史

 ローマ帝国衰亡史は哲人皇帝マルクス・アレニウスが亡くなるところからビザンツ帝国が滅亡するまでの帝国が縮小していく過程を描いたギボンによる歴史物語だが、国会議員でもあったギボンのローマ帝国衰亡史がアメリカの喪失の体験と関わりがあったというのはまったく知らなかった。ギボンも参戦したというフランスとの七年戦争で積み上がった負債の一部をアメリカに追わせようとしたところからアメリカとの対立が始まっているが、ローマ帝国衰亡史がアメリカ独立の同時期に描かれていて、さらに国会議員としてアメリカ喪失を間近で見ていたというのも驚いた。

気になったポイント2 アイデンティティ

 スコットランド人の徴兵やジャコバイドの反乱やスコットランド帝国を作ろうとしたが失敗して、イングランドの経済的な締め付けにより大英帝国に取り込まれていったことなどは、イングランドを理解するうえでは非常に重要なピースであった。またそれが風と共に去りぬの下地になっているというのも興味深かった。
 植民地にいた奴隷も現在につながる重要な問題で、奴隷問題に対して尽力したクラークソンは素晴らしい人物に映った。しかし紅茶も奴隷によって支えられていたもので、紅茶のリプトンのブランド名にも「帝国」の文字があるのは知らなかった。インドや南アフリカ戦争など帝国と敵対した外国人たちの扱いのツケもイングランドは払っていて、現在の国内問題にも通じているのは興味深い。思えば日本の在日朝鮮人問題も同じような構造かもしれない。

最後に

 奴隷や女性などに関連するテーマを掘り下げて書いてあるので、非常に興味深く読めた。細かい文化的なテーマにも触れていて楽しめるのと共に、主にアイデンティティに関わる大英帝国に生きる人々の思考も理解でき、ブレグジットの背景に横たわる大きなものも感じることができた気がする。また、女性の著者だからか女性の活躍にスポットが当てられていたのも良かった。

 ということで、近代のイングランドの歴史や文化を知りたい・学びたい人にはおすすめです!

ボクらを作った映画たち (原題: The Movies That Made Us) シーズン1~2

2019-2021

 本も面白いし、劇も面白いが、映画も面白い。脚本、演技、美術、カメラ、音楽、それに特殊効果やCGも加わっての総合芸術と言っても良い。ヒット作と呼ばれる作品たちはどこか理路整然としていてスキがないようにも見えるが、本当のところはどうなのだろうか。誰もがよく知っている映画たちの製作の裏側を知ることができるドキュメンタリー。

構成

 シーズン1は「ダーティ・ダンシング」「ホーム・アローン」「ゴースト・バスターズ」「ダイ・ハード」、シーズン2では「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「プリティ・ウーマン」「ジュラシック・パーク」「フォレスト・ガンプ」を紹介している。
 映画の企画がどのように生まれていったのか?から始まり、脚本がどのように作られて、それがどこかの映画会社の目に止まって、予算などの壁を打ち破り、何とか撮影までこぎつける。たいていそこでもトラブルがいろいろあり、何とか撮影が終わる。実際に携わった人たちの証言を聞きながら、時系列に起こったことを様々な人の視点から証言してもらい、製作中の難題を語っていき、映画の成功までの道のりを描く。最後に当時、撮影に使った現場を関係者が思い出を語りながら歩く。

ポイント – どんどん変わる脚本

 まず脚本がどんどん変わっていくのは当たり前のようだったが、スポンサーから脚本に基本プロットを変えるように言われるダーティ・ダンシング。クリスマスに改変したホーム・アローン。説得され設定を変更したゴーストバスターズ。基本プロットを作った脚本家がクビになるダイハード。制作会社の指示の中でタイトルの変更だけは食い止めたバック・トゥ・ザ・フューチャー。ダークな脚本をディズニー風に書き換えたプリティ・ウーマン。宇宙に行ったりしていた原作を書き換えたフォレスト・ガンプ。いろいろな人の手で磨き上げられていくものだとは思うが、やはり大変な作業だ。

ポイント – 偶然

 偶然の数々に驚かされる。綿密な計画に基づいて製作されていると想いきや、様々な偶然によって映画製作の道がひらけていったりする。ダーティ・ダンシングのキャスティングは監督がたまたま俳優を知っていたり、配給会社を転々としたプリティ・ウーマンが最後にディズニーの子会社に行き着いたとか。ジュラシックパークはCGありきで始まったものだと思っていたが、そうではなかった。ホームアローンは巨匠にお願いしたらまさかOKして映画の雰囲気がまったく違ったものになったり。ダイハードでは脚本は撮影を追いかけるように書かれていたが、話の運びに苦労して言う中、偶然、現場での俳優のジョークを良い設定を思いつく。才能があつまって真摯に仕事に向き合っているからこそ、生まれる”偶然”なのだろうけど、そこからヒット作が生まれているのは興味深い。

ポイント – キャスティング

 キャスティングにも苦労しているのを知った。ダーティ・ダンシングの主役同士の諍いや、ホーム・アローンの相性。バック・トゥ・ザ・フューチャーはなんと主役とその恋人役を撮影6週目でで変えている。ゴーストバスターは脚本を執筆中にキャスティングしようとしていた友人がなくなたり、肝心の主人公たちがなかなか揃わない。ダイハードは弱い主人公でキャスティングに苦労したが、その”弱い主人公”が以後の映画の青写真になった。プリティ・ウーマンは主役に断られたがジュリア・ロバーツがリチャード・ギアをいとめた。

ポイント – 制作会社との関係

 音楽もお金がかかる部分でダーティ・ダンシングでは脚本家のエレノアが選んだ曲を使うのには苦労していたり。ホーム・アローンは予算が却下されてストップになり途中で制作会社が変わっている。ゴーストバスターでも予算の関係で著作権を買えずにタイトルが決まらず2つのタイトル用に2回撮影したりもしている。またゴーストバスターは予算は十分だったが条件に付けられたスケジュールは厳しく、途中でさらに厳しくなる。フォレスト・ガンプも予算の関係でシーンのカットの圧力があるが、監督がお金を出したり隠れて撮影をしたりと強行した。

最後に

 とにかく、どの作品も作品を愛する人達がありとあらゆる困難を乗り越えて、完成に行き着いている。非常な情熱を持ってその映画の企画を実現させたかったというプロデューサーや脚本家を見ると嬉しくなる。自叙伝的な脚本を書いたダーティ・ダンシングのエレノアとリンダや、フォレスト・ガンプのウェンディも。特に実績もなかったりする作家の場合には何年も我慢強くチャンスをまったりしている。フォレスト・ガンプでは監督やトムハンクスがギャラを減額したりもしている。このような執念には心を打たれる。

 どれもヒット作なので知っている作品だと思う。製作の裏側や情熱的なプロデューサーたちを知ると、更に作品たちを好きになることが間違いない。映画好きにはおすすめのうドキュメンタリーです。

ヒヤマケンタロウの妊娠

2022 Netflix 箱田優子、菊地健雄

なぜかNetflixで子どもが見ていると言っていたので見てみたが、かなり衝撃的な内容だった。坂井恵理氏の漫画作品が原作のドラマ作品。

登場人物・世界観

桧山健太郎はイケメンでモテモテのできる広告マン。職場は「男が育児に振り回されるとかバカバカしい」とか言っちゃう社員がいるマッチョな感じで、男尊女卑的な感じがある。自身も「よく産むよなぁ、子ども。男でも女でも仕事のジャマになっちゃうし」というスタンス。いろいろな女性に手を出してみるが定まらない。一番落ち着くのが亜季。仕事での成功を第一に考えているのもあり”面倒くさくない大人の関係”という感じ。さらに女手一つで桧山を育ててきた母も関わってくるが、母子家庭で育った檜山は子供時代にあまり良い思い出がない。

物語の始まり

仕事で自分の手柄で大きな仕事も取れそうで順風満帆で進む中、何か吐き気をもよおすような気持ち悪さがこみ上げてくることが増えてくる。あまりの気持ち悪さに会議を中座するほどになり、ついに病院に行く。エコーで検査されると、どこかで見た医師が診察にきて妊娠を告げられる。何かの間違いだと逃げる主人公。すぐに妊娠検査薬を買ってテストをするが結果は、、、

妊娠するまでの男マッチョ社会の描写がこれ大丈夫なのか?という感じの日本のザ男尊女卑会社。おそらくこういう会社は今でも現存しているのだとは思う。

テーマ

子どもにまつわることを男性は関わらなくて良いと仕事以外の家族関連のことを少し小馬鹿にしているエリートビジネスマンが妊娠を通じて、男尊女卑的な世界を目の当たりにする。また、世界への見方が変わっていくとともに、行動が変わっていく様子が清々しい。あぶり出されてくる男尊女卑社会は桧山に重くのしかかってくるが、何か自分のできる行動をしようとする。

男性と女性の大きな差異を生んでいるが妊娠と出産。その一番大きな差異を逆転させることにより大きな効果を生んでいる。逆転により男性社会を客観視することができる。このアイデアには脱帽だし、この世界はおかしいでしょ?と問いかけているのは素晴らしいと思う。アキが仕事一筋なので、男性が妊娠しているのに仕事を優先してしまう女性になって、逆転感がうまく出ている。

最後に

とにかくの日本社会の男性感女性感が一気に逆回転して、自分の物言いが自分に降り掛かってくるのが本当におかしい。さらに檜山は状況を変えていこうとしているのが素晴らしい。男性はこんなもんだからその中で女性はうまく生きていこうね!というドラマも多いなか、この設定の抜群の切れ味で世界を切りまくるドラマになっていて好きになった。

このドラマは男性が見るべきものだろう。子どもがいる男性は見るのが必死だし、これから結婚するようなカップルにもぜひこれを一緒に見てから相手を決めるべきだと思う。

Shall we ダンス?

1996 東宝 周防正行

 古い映画で2回ほど過去に見たことがあったと思う。当時も面白かったが、気付けば主人公と同じような年になっていた。どのように感じるか知りたかったのと、子どもに見せてみたかったので見せてみた。

登場人物・世界観

 東京の会社の経理課長である杉山正平(役所広司)は妻の昌子、娘の千景との三人暮らし。真面目な性格で遅くまで飲み歩くこともない。小さなダンス教室でダンス講師をしている舞(草刈民代)は佇まいから風格のある。ダンス仲間として同時に入会した服部(徳井優)や田中(田口浩正)と仲良くなり、ひょんなことから会社の同僚の青木(竹中直人)とも出会い親交を深めていく。

物語の始まり

 杉山正平は郊外に庭付きの家を買い、人生の大きなハードルをクリアーした。仕事にも家庭にも何の不満もないが、何か張り合いもない。心の奥には満ち足りない何かを抱えた杉山は帰宅途中の停車駅で、小さなダンス教室の窓辺に佇む女性を見つける。電車でいつも窓から見えるその女性に心を惹かれ、その気持がどんどん膨らんでいく。数日経ったある日、思い切ってそのダンス教室を訪れる。彼女がダンス講師であることを知り、気付くと社交ダンスに登録をしていた。
 社交ダンスの先生は舞ではなかったが、ダンスをする仲間に出会い真摯にダンスに向き合ううちにいつしか社交ダンスに没頭していく。

テーマ

 それまで体験したことがないダンスとそれを愛する人達に出会い、困難もあるけれどそれらを乗り越え、再び人生の喜びを発見していく、というのをコミカルに描いているので見てて疲れない。その中の著しい成長や仲間たち、ダンスパートナーとのやり取りなどは嬉しく楽しい気持ちになる。

 ダンスそのものもテーマであろう。ダンスがうまくなっていくシーンや、本物のダンスシーンは美しい。カメラを回したくなる気持ちも分かる。ダンスそのもののパワーも十分に味わえる。この映画で社交ダンスをしたくなる気持ちも分かる。

最後に

 再び見ると家族とのシーンなどが印象に残ると思ったが、そんなにこれまでの感じ方と違うところはなかったように思えた。では私が好きな点は何だろう?と改めて考えると、やっぱりたま子先生役の草村礼子さんだ。足取りおぼつかない杉山に優しく教えるシーン。階段を登って柔らかい口調で「大会に出てみようよ」と杉山を誘うシーン。たま子先生の話すフランクな語尾とこの声質。これが当たり役で賞も沢山とったのだから、みんな大好きに違いない!こんな優しい人にみんな出会いたいのだ。

 ということで、人生はそこそこ順調に進んでいるけど、何か毎日に物足りないような人。熱い社交ダンスの世界を垣間見たい人。何より草村礼子が好きな人。そんな人にはおすすめの一本です!

地図でスッと頭に入る古代史

2021 昭文社 瀧音能之(監修)

日本の古代史は日に日に興味が出てきてるので、図書館で見かけて薄くてわかりやすそうな本だったので手にとってしまった。

本の構成

 第一章で「縄文・弥生時代」、第二章で「古墳時代」、第三章で「飛鳥時代」、第四章で「奈良時代」にフォーカスして、トピックを取り上げて、図を伴って解説していく。途中にクローズアップ古代史という章を設けて、従来の説から変わっているものについて、最新の説を解説している。

気になったポイント 従来説と新発見

 教科書でも語られているという最新の説で知らなかったことはいろいろあったので興味深かった。仁徳天皇陵とされていた古墳が築造時期と天皇が活躍した時代と合わないことから、大仙陵と改められていたのは驚いた。一方で聖徳太子が実在しなかったという説はさすがにありえない気がした。

最後に

 あまり詳しくないのもあり、聞いたことがあるなぁという感覚で、綺麗な絵を見ながら流し読みしてしまったところもあったが、目を引くところもあった。黒曜石の分布や、古代の出雲大社がかなり高層の建物だったことなどは興味深かった。

 詳しくない人も気軽に手にとって読み進められるので、初心者への歴史の解説本としておすすめです!

21 Lessons 上・下

2019 河出書房新社 ユヴァル・ノア・ハラリ(著), 柴田裕之(訳)

ハラリ氏のサピエンス全史で過去の歴史を読んで、ホモデウスで人類の未来を読んだ。21 Lessonsでは「今、ここ」にフォーカスしてハラリ氏が現代の課題について語る。

本の構成

全21章で構成されており、それが5つのテーマに分類されている。第一部「テクノロジー面の難題」で自由市場資本主義の窮地について語り、第二部「政治面の難題」では第一部で取り上げられた問題についての対応を詳しく考察する。第三部「絶望と希望」では直面するテクノロジーの問題の難題は政治的な対立を生むもののうまくすれば人類は難局に対処できると展望し、第四部「真実」ではポスト真実という概念に取り組み、悪行と正義の区別、現実と虚構の境界についての理解を問う。最後に「レジリエンス」でこの混迷の時代に人生において何をなすべきか?どのような技能を必要とするか?何を言えるかを考える。

ポイント – テクノロジー面の難題

 (幻滅) 世界では反自由主義が進んでいるが、自由主義は経済、政治、個人と分けることができるので、各国で自由主義の範囲を選択して採用するかもしれない。自由主義は経済的な成長によって人々を統合してきたが、生態系の危機の原因になっている。新しい物語が必要になっている。
 (雇用) 人間には身体的な能力と認知的な能力の二種類があり、過去の機械は身体的な能力を使う仕事を奪ってきた。人工知能は認知的な能力を使う仕事を奪っていくと考えられている。人間の「直感」を必要とする課題でもAIは人間を凌ぎうる。芸術分野の音楽でも個人にあった曲や大衆が好む曲を作曲できるようになる。何もする必要がなくなった人類は存在意義の喪失と戦う必要がある。そういう人たちに向けて最低所得保障をするというアイデアがある。もう一つは最低サービス補償であり、政府が様々なサービスを無償で提供する共産主義が目指してたものだ。
 (自由) 多くの人は「自由意志」を信じる自由主義者だ。人々は神々に権限を託しすごしていたが、最近になって人々に権限を移した。しかしまたアルゴリズムに権限を移すかもしれない。身体の管理もバイオメトリックセンサが検知する異常に対応することになり、個人の趣味嗜好も自分異常にアルゴリズムが理解するようになるかもしれない。しかし自動運転では事故の際、運転者を助けるか歩行者を助けるかの選択に迫られるケースではアルゴリズムでは選択できない。アルゴリズムとバイオメトリックセンサによる監視社会や個人差別も危惧される。
 (平等) 一部の集団のみがグローバル化の成果を独占していき、不平等が進んでいる。バイオテクノロジーによって身体的能力や認知的能力をアップデートする場合には富裕層のみその恩恵を味分けて、生物的なカーストに分かれかねない。一部のエリートに富と権力が集中するのを防ぎたいなら、データの所有権の統制が重要だが、政府が国有化するとデジタル独裁国家になりかねない。

ポイント – 政治面の難題

 (コミュニティ) SNSにより自分の感覚よりオンライン上の人がどう感じるかを気にしている。人類は教会や国民国家なしで生きてきたので、それらはなしでも生きられるが、自分の身体や感覚と疎遠になったまま生きると混乱を覚える可能性がある。
 (文明) 民族も宗教も個人も変遷を経て変化し続ける。生物の文化とは対象的に、人間の部族は時とともに融合し、次第に大きな集団を形成する。現在は大きな集団を形成するばかりでなく、各国は等しく地図帳に記載されて、政党や普通選挙があり、人権を尊重するような国民国家で構成されている。それらには同じようなフォーマットの国旗や国家があり、一つの文明を構成している。
 (ナショナリズム) 人々はナショナリズムによる孤立を支持するようになってきている。国民国家はサピエンスの歴史の中では新しいもので、部族などでは対応できない難題に対応するために生まれた。ナショナリズムを信じる人は喜んで戦地に赴いたが、核兵器が使われたことで彼らも核戦争を恐れるようになった。ナショナリストの中には孤立主義を訴える人もいるが、多くの国では輸入なしでは自国民に十分な食料を提供することさえできないし、製品の価格も高騰する。核兵器がある中ではナショナリズムの権力政治に逆戻りするのは危険である。気候変動、サピエンスが技術によって変化していくような課題に対しては国家レベルでの答えはない。
 (宗教) 宗教は農業や医療が得意でなかったから科学に譲った。宗教が得意だったのは解釈することだった。宗教は経済も得意でなかったがどんな経済政策が選ばれても、それをクルアーンの解釈で正当化できる。人類がAIに大きな権限を与えることがあっても、賛成でも反対でも教義の中から解釈を見つけて正当化するだろう。とはいえ、人類の力の源泉である集団の協力は集団のアイデンティティに依存しており、多くの集団のアイデンティティは未だ宗教的な神話に基づいている。カーストや女性嫌悪の差別を支持するような宗教もあるが、人々を分割する宗教伝統は人々を団結させる。日本は近代化を成し遂げるにあたり神道を国家神道に作り変えることで熱狂的な忠誠心を生んだ。今日では多くの国家が日本にならって宗教に頼って独自のアイデンティティを維持している。
 (移民) 移民には様々な議論がある。移民受け入れは義務か?移民はその国の文化に同化するひつようがあるか?移民が社会の正員になるのにどのくらいの時間がかかるか?などである。移民反対派は人種でなく文化によって差別している。(外国人への義務)

ポイント – 絶望と希望

 (テロ) テロは「恐怖」というこの言葉の文字通りの意味が現しているように、物的損害を引き起こすのではなく恐れを広めることで政治情勢が変わるのを期待する軍事前略だ。国家がテロリストの挑戦を受けて立てば、たいてい彼らを叩き潰すことに成功する。テロによって生じた物的損害は微々たるものなので、それについて何もしないことも可能だが、荒々しく公然と反応し、テロリストの思う壺にはまる。国家がこうした挑発に乗らないでいるのが難しいのは、現代国家の正当性が、公共の領域には政治的暴力を寄せ付けないという約束に基づいているからだ。けれど国家はいつか核兵器を入手しようとするかもしれないとかといった理由で、反体制派のあらゆる集団を迫害し始めたりしないように、なおさら用心するべきだ。
 (戦争) 世界の緊張は高まっているが、2018年と1914年の間には重要な違いがあり、1914年には世界中のエリート層は戦争に大きな魅力を感じていたが、2018年には戦争による成功は絶滅危惧種のように珍しいものに見える。21世紀に主要国が戦争を起こして勝利を収めるのがこれほど難しいのは経済的な性質の変化がある。過去は経済的な資産は主に物だったが、21世紀では技術的な知識や組織の知識からなる。そして知識は戦争ではどうしても征服できない。だが戦争が損でも愚かな人間は戦争を起こすかもしれない。ただ新たな世界戦争が避けられないと決めてかかるのは自己実現的予言になってしまうので危険だ。
 (謙虚さ) ほとんどの人は、自分が世界の中心で、自分の文化が人類史の要だと信じがちだ。筆者のルーツであるユダヤ人も人類の歴史にさほど影響を与えなかった。多くの宗教も謙虚さの価値を褒め添えておきながら、けっきょく、自らがこの宇宙で最も重要だと考える。
 (神) 人は自分の無知に「神」という大層な名前をつける。そしてなぜかこの「神」と呼んでいる宇宙の神秘によって人の行動を規定しようとする。道徳とは「神の命令に従うこと」ではない。人間は社会的な動物であり、そのため、人間の幸福は他者との関係に大きく依存しているため、他者の悲惨さを自然に気にかける。道徳的な生活を送るためには神の名を持ち出す必要はない。
 (世俗主義) 世俗主義は宗教の否定ではなく、首尾一貫した価値基準によって定義され、世俗主義的な価値観の多くは様々な宗教にも共有されている。宗教の機関がその理想から外れているように、世俗主義の機関もその理想に遠く及ばないことがある。世俗主義の理想とは真実に対する責務であり、真実は観察と証拠に基づいているというものだ。苦しみを理解する思いやりも重要な責務である。この2つの責務は、経済的平等や政治的平等への責務にも繋がっていく。責任も大切にしており、大きな崇高な力が世界を救ってくれると信じてはおらず、生身の人間である自分たちが自分たちのすることに責任を負うと考えている。世界が悲惨な場所であれば、解決策を見出すのは自分たちの義務である。宗教やイデオロギーには影の面があるが、世俗主義の科学の良いところは誤りを認めるところだ。

ポイント – 真実

 (無知) 個々の人間はこの世界についてわずかしか知らないし、歴史が進むに連れて、個人の知識はますます乏しくなっていった。人間が地球の主人になれたのは、大きな集団でいっしょに考えるという、比類のない能力のおかげだったのだ。集団思考と個人の無知の問題につきまとわれているのは、大統領やCEOも同じだ。世の中を支配しているときには、忙しすぎて真実を発見するのは難しい。さらに巨大な権力は必ず真実を歪めてしまう。権力とは、現実をありのままに見ることではなく、周囲の空間そのものを歪めるブラックホールのような働きをする。もし本当に真実を知りたかったら、権力のブラックホールから脱出して、たっぷり時間を浪費しながら周辺をあちこちうろつきまわってみる必要がある。ただ周辺部にはすばらしい、革新的な見識がいくつかあるかもしれないが、主に、無知な憶測や、偽りであることが証明されているモデル、迷信的な心情、馬鹿げた陰謀論で満ちている。
 (正義) 複雑なグローバルな世界で正義を実行に移すのが難しい。さらに因果関係が細かく分岐していて複雑で、具体的な因果関係が理解できない。近代以降の歴史上で最大級の犯罪は、憎しみや強欲が招いただけでなく、無知と無関心におうところがなおさらお大きかった。イギリスの淑女足し費は地獄のようなプランテーションのことをしらずに角砂糖をお茶に入れた。グローバルな問題を論じるときには、不利な境遇にあるさまざまな集団の見地よりもグローバルなエリート層の見地を優先する危険がある。世界の様々な道徳的な問題を理解しようとしても理解できない。規模を縮小したり、人間ドラマに的を絞ったり、陰謀論をでっち上げたりする。最後の方法は全知というドグマに導かれるままについていく方法だ。
 (ポスト・トゥルース) 歴史にざっと目を通すと、プロパガンダや偽情報はけっして新しいものではないことがわかるし、国家や国民の存在をまるごと否定したり、似非国家を作り出したりする週間さえ、はるか昔までさがのぼる。実際には人間はつねにポスト・トゥルースの時代に生きてきた。ホモ・サピエンスはポスト・トゥルースの種であり、その力は常に虚構を作り出し、それを信じることにかかっている。私達は、非常に多くの見ず知らずの同類と協力できる唯一の哺乳類であり、それは人間だけが虚構の物語を創作して広め、膨大な数の他者を説得して信じ込ませることができるからだ。人々を団結させる転では、偽りの物語のほうが真実よりも本質的な強みを持っている。集団への忠誠心がどれほどのものかを判断したかったら、人々に真実を信じるように頼むよりも、馬鹿げたことを信じるように求めるほうが、はるかに優れた試金石になる。真実と力が手を携えて進める道のりには、自ずと限度がある。世界について真実を知りたければ、力を放棄しなければならない。信頼できる情報が欲しければ、たっぷりとお金を払わなくてはならない。自分に重要な問題に対しては、関連する科学文献を読む努力をすることだ。
 (SF) 21世紀初頭における最も重要な芸術のジャンルはSFかもしれない。今日のSFの最悪の罪は、知能を意識と行動する傾向にある点かもしれない。この混同のせいで、SFはロボットと人間が戦争になるのではないかと、過剰な心配を抱いているが、実際に恐れる必要があるのは、アルゴリズムによって力を得られた少数の超人エリート層と、力を奪われたホモ・サピエンスから成る巨大な下層階級との争いだ。『マトリックス』の中に閉じ込められた人間には正真正銘の自己があり、その事故はテクノロジーを使ったありとあらゆる操作に影響されずに保たれるし、マトリックスの外には本物の現実が待ち受けていて、主人公が一生懸命試みさえすれば、その現実にアクセスできると決めてかかっている。現在のテクノロジーと科学の革命が意味しているのは、正真正銘の個人と正真正銘の現実をアルゴリズムやテレビカメラで操作しうるということではなく、新正性は神話であるということだ。だが私達の精神的経験は、それでもやはり現実のものだ。痛みは痛みであり、恐れは恐れであり、愛は愛だ。『すばらしい新世界』では世界政府が先進的なバイオテクノロジーとソーシャル・エンジニアリングを使い、誰もがつねに満足し、誰一人反抗する理由をもたないようにしている。読みてはまごついてしまう。それがどうしてディストピアなのかはっきり指摘するのが難しいからだ。

ポイント ー レジリエンス

 (教育)今日私達は、2050年に中国や世界のその他の国々がどうなっているか、想像もつかない。21世紀の今、私達は膨大な量の情報にさらされているので、必要としているのは情報でなく、情報の意味を理解したり、重要なものとそうでないものを見分けたりする能力、そして何より、大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力だ。それでは私達は何をおしえるべきか?多くの教育の専門家は、学校は方針を転換し、「4つのC」、すなわち「Critical thinking」「communication」「collaboration」「creativity」を教えるべきだと主張している。より一般的に言うと学校は専門的な技能に重点をおかず、汎用性のある生活技能を重視すべきだという。変化し続ける世界で生き延び、栄えるには、精神的柔軟性と情緒的なバランスがたっぷり必要だ。自分が最も知っているものの一部を捨て去ることを繰り返さざるをえず、未知のものにも平然と対応できなくてはならないだろう。とういうわけで、15歳の子供に私が与えられる最善の助言は、大人に頼りすぎないこと、だ。代わりに何が頼れるだろうか。テクノロジーだろうか。アルゴリズムはあなたがどこに行き、何を買い、誰に会うか見ている。アルゴリズムの方があなたのことをより理解しているのであれば権限はアルゴリズムに移る。
 (意味) 私は何者か?人生で何をするべきか?人生の意味とはなにか?筆者はイスラエルに生まれたがユダヤ教が訴える物語をどうも信じられなかった。長くても3千年の歴史しかもたないユダヤ民族が1万3年後にも存在することすら疑わしく、2億年後はサピエンスがいるかどうか不明と感じた。何かしら魂か霊が自分の死後も生き延びると思えない人は何か実態のあるものを残そうとする。しかしそれもなかなかうまく行かない。筆者の祖母の親族はひとり残らずナチスに殺された。何も残せないとしたら、この世界をほんの少しだけでも良くできれば十分なのではないか?ロマンスや恋もつましい物語だ。ほとんどの物語は、土台の強さでなくむしろ屋根の重みでまとまりを保っている。物語を信じさせるために儀式がある。孔子が作り出した儒教の儀式への執着は時代遅れの現れとみなされてきたが、周辺に長命の社会構造を生み出した。人生の究極の真実を知りたければ儀式は大きな障害となる。だが孔子のようにもし社会の安定と調和に関しがあるのなら、真実は不都合なことが多いのに対して、様々な儀式はおおいに役に立つ。特に自己犠牲は説得力があり殉じる人抜きで維持できる神や国家や革命はほとんどない。また人は物語を複数同時に信じてきた。その一つが自由主義だ。それは宇宙は自分に意味を与えてくれず、反対に自分が宇宙に意味を与えるものだ。自由主義の物語は自己を表現したり実現したりする自由を追い求めるように私に支持する。だが、「自己」も自由も共に、古代のお飛び話から借りてきた架空のもので、「自由意志」も欲することには自由があるが、選ぶことことには文化的な圧力があり自由はない。自分の頭に浮かんできたことはどこから浮かんできたのか?それを選んで浮かんできたのか?私達は外の世界を支配していない、天候も決めていない。体の中のできごとも支配していない。自分の血圧も支配していない。自分の脳さえ支配していない。ニューロンがいつ発火するかもしないしていない。そうして自分の欲望も支配していないし、自分の欲望に対する反応もしないしていないことに気付くべきだ。自由意志を信じていないと何にも関心が持てないのではないかという思う人もいるが、反対に深い好奇心が湧いてくる。自分の頭に浮かんでくる思考や欲望が自分と思っている間は自分について深く知ろうとする努力をしなくなるが、「この考えは私ではない」と悟ると自分が何者かがまったくわからなくなる。これはどんな人間にも胸躍る発見の旅の始まりとなる。現在ではSNSで粉飾された自己を作ることで本当の自分だと誤解する人もいる。幻想の自己は視覚的で本当の経験は身体的である。ブッダの教えによると宇宙の3つの基本的な現実は、万物は絶えず変化していること、永続する本質を持つものは何一つないこと、完全に満足できるものはないことだという。というわけでブッダによれば、人生には何の意味もなく、人々はどんな意味も生み出す必要はないという。私たちは、意味などないことに気づき、それによって空虚な現象への執着や同一化が引き起こす苦しみから解放されるだけでいい。ただ現実と虚構を区別するのが得意でない。区別が難しいときはそれが苦しむか?を問うと良い。戦争で国家は苦しまないが人々は苦しむ。政治家が犠牲、永遠、純粋、救済とか言い出したら注意が必要だ。
 (瞑想) 筆者は重大の頃は歴史や宗教や資本主義なども聞き、本も呼んだがそれらはすべて虚構だと思い、真実を見つけられるか見当もつかなかった。大学では真実を見つけられると思ったが、人生にまつわる大きな疑問に対する、満足の行く答えはあたえてくれなかった。趣味で哲学書をたくさん読み議論もしたが本当の見識はほとんど得られなかった。親友のロンがヴィパッサナー瞑想の講座を受けることを勧めてきて、はじめは断っていたが、ついに10日環の講習に行くことにした。瞑想について知らなかったので込み入った神秘的な理論を伴うものだと思っていたが、瞑想の教えがどれほど実践的なものかをしって仰天した。自分の呼吸を観察していて最初に学んだのは、これまであれほど多くの本を読み、大学であれほど多くの講座に出席してきたにもかかわらず、自分の心については無知に等しく、心を制御するのがほぼ不可能だということだった。どれほど努力しても、息が自分の鼻を出入りする実状を10秒と観察しないうちに、心がどこかへさまよいだしてしまう。自分は永年、自分が人生の主人であり、自己ブランドのCEOだとばかり思い込んでいた。だが、瞑想を数時間してみただけで、自分をほとんど制御できないことが分かった。じぶんはCEOではなく、せいぜい守衛程度のものだったのだ。筆者は自分の感覚を観察する10日環のこの講習で、そのときまでの全人生で学んだことよりも多くを自分自身と人間一般について学んだように思った。そしてそれにはどんな物語も学説も神話も受け入れる必要はなかった。

最後に

 あまりにも重要な要素が多く、要素を抽出するのも大変な内容量で、かつ、その間に古今東西の歴史的な事象が折り挟まれている。膨大な知の結晶であるのは間違いないのが、最後は瞑想で締めくくられているのが面白い。
 私はどちらかというと進歩主義者だが、筆者はもしかしたら非進歩主義者なのかもしれないとも思う。人類の未来は生産活動が機械に置き換わって、仕事の意味も変わって、デジタル共産主義が一部取り入れられるかもしれない。それでも今までと同じように強いものと弱いものの対立や多少の行き来もあったりする世界なのかもしれない。さらにもしかしたら人類は5万年後も生きている可能性はあると思う。10万年後も生きている可能性もある。その時の人から見ると、そして今は時代の進歩が遅い、原始の時代を生きているのかもしれない。宇宙には終わりがなく永遠に発展的に続いていき、人類の範囲はどんどん拡大していき、宇宙の泡の周辺を伝って銀河を移動するのかもしれない。その時からすると今はアフリカを出る前の人類にような地球を出られない人類なのかもしれない。そして地球を出る人類は何世代化に分かれていて、5万年後に地球を出る人類は10万年後に地球を出る人類に倒されるかもしれない。
 その時は人類はどのように発展しているだろうか。とりあえずよく眠れるベットや究極のヨガやストレッチやマッサージで身体的なバランスは完璧になっていて、ほとんどの病気や精神疾患からも解放されて、うつ病は風邪のようになっていて、認知症や総合失調症も治せるかならないようになっていたりするのだろうか。

 とにかくいろいろ考えさせられて面白かった。ぜひ多くの人に読んでいただきたい作品です!

「王室」で読み解く世界史 教養として知っておきたい

2018 日本実業出版社 宇山 卓栄

 「王室」という目を引くタイトルで手にとった。

本の構成

 十部25章で構成されて、地域ごとに部に分かれている。第一部「世界の王室を理解するために」で世界に残っている王室の数、王とは何か、日本の天皇について説明している。第二部「ヨーロッパの君主たち」では王と皇帝の違いやドイツ・フランス・イタリアと、イギリス・ロシア・北欧の違い、さらに教皇について説明する。第三部「イギリス、フランス、オランダ」ではイギリス王室の歴史、フランスにはなぜ王室がないか、オランダ王室の歴史とイギリスとの関係を解説する。第四部「スペイン、ベルギー、ドイツなど」でスペインのハプスブルグ家、ハプスブルグ家とネーデルラントのベルギーをめぐるオランダとの関係とイギリスの思惑、ヨーロッパに残るミニ公国など、ドイツ・イタリアの王室の最後を説明する。第五部「北ヨーロッパ、東ヨーロッパ」ではスウェーデン王室、デンマーク王室、ノルウェー王室のルーツ、ロシアのロマノフ朝、欧州アジア境界の複合国家について説明する。第六部「中国」では中国の皇帝や万世一系を阻んだ易姓革命、清が王族を残さなかった理由と日本との関係、第七部「朝鮮」では日本による朝鮮の併合、李氏朝鮮による統治の実際、李氏と日本の関係を解説する。第八部「東南アジア、インド・中央アジア」では最も裕福なタイ王室の歴史、カンボジア・マレーシア・ブルネイ・ベトナムの王朝の最後、モンゴル系のティムール帝国・ムガル帝国を説明する。第九部「中東」で王室を持つサウジアラビアとアラビア半島の国家、ムハンマドの子孫が王となった国々、オスマン帝国とイランの王室を説明する。第十部「アフリカ、アメリカ」では残ったアフリカの王国、ラテンアメリカのインカ帝国の崩壊などを説明する。

気になったポイント1 – 日本

 第一部では少なくとも1500年続く日本の万世一系の天皇の特異性について説明している。その理由としては男系天皇と側室の子供の扱いをヨーロッパとの違いとして大きく取り上げている。その他、フランス革命では民衆が王を処刑したが、日本で民衆が天皇を処刑するなどはありえないと論じている。

 アジアでも側室の子供が王を継承するとなると、アジアの国家ももう少し長く続いても良い気がする。地理的な理由もあるとは思うが、他のところでも語られている日本は権威と権力を分離したというのも大きいと思っている。他の本では東南アジアで権威を持つ集団が王を追認したようなものも読んだが、なぜその国家は存続しなかったのかも気になるところだ。経済的な安定などだろうか…。

気になったポイント2 – ヨーロッパ

 周辺部の王国:イギリス・ロシア・北欧・東欧の違いとして、中心部の王国:ドイツ・フランス・イタリアと、王国の形成が周辺部は土着性・血縁性から自然発生的に生まれたのに対して、中心部は西ローマ帝国分裂から生まれている違いがあり、中心部の王国の王権が弱いと説明している。

 イギリスは王室をまだ持ちつづけEUからの独立を遂げたが、このような経済的なつながりかアイデンティティのどちらを優先するかに関わっていたりしないかとも思った。また国家が広範に及ぶと王の力が弱くなるというのは興味深い。ローマも領地の拡大に応じて、王政→共和制と変わっているのは関係があるような気もした。

気になったポイント3 – 市民革命

 フランス革命は民衆が王を処刑して王政を廃止したが、アジア・中東・アフリカも植民地からの独立の際には王政が廃止されている例がある。

 政権を倒すというような意味合いだと思うが、それぞれの王朝が地域によってどのように変わるのか。過去の王国はどのように倒されたのか、どのように存続したのかの傾向のようなものはを知りたい。

最後に

 内容が盛りだくさんであった。王室の歴史というのは支配者層の歴史かもしれない。支配者層がどう移動したり、どこをどのくらい支配したのか。現在の王室だけでなく古い王室についてももっと知りたくなった。

 いずれにしても世界各国の27の王室、特に日本の王室について知りたい人にはおすすめです!

「宗教」で読み解く世界史 教養として知っておきたい

2020 日本実業出版社 宇山卓栄

宗教は世界史の中で大きな要素であって興味があったので手に取った。一つ一つのチャプターが短いので、扱っている範囲は広いが読みやすく工夫されている。

本の構成

 四部32章で構成されている。第一部「東アジア」では、中華思想と宗教である儒教を信じる中国、小中華に服した朝鮮、成文や組織のない神道を重んじる日本、儒教・仏教の影響を受けたが中華に組み込まれなかったベトナム、清に制服されたイスラム教の新疆ウイグル自治区、中国とは別文化の仏教国の雲南、中国から逃げ逃れた道教が信奉されている台湾について説明。

 第二部「インド・東南アジア」では、選民思想をもったバラモン教は王朝が国をまとめるための仏教に押されたがヒンズー教に変遷し地方豪族が信仰するようになったインド、アンコール朝はヒンドゥー教だったもののその後仏教国として栄えたタイ・ミャンマー・カンボジア、中国の混乱で海上貿易の収益源を失った仏教国シュリーヴィジャヤ王国、王朝が自分と共に民と富裕層の利益を図り建設されたアンコールワットなどのヒンドゥー教の王国、インドで発展した商人に時事されたジャイナ教・宗教的に分断されたパンジャーブ地方で生まれた戦闘色の強いシク教、インドをイスラム化して統一できなかったムガル帝国、イギリス統治で分割させられたイスラム教国パキスタン、仏教のアーリア系シンハラ人とヒンドゥー教のドラヴィダ系タミル人との内戦になっているスリランカ、ムガル帝国を引きづいでイスラム教のバングラディッシュ、マラッカ王国のイスラム教を引き続き中国資本に対してイスラム主義で対抗しているマレーシアやインドネシアについて説明。

 第三部「ヨーロッパ」では、カトリックの教皇による緩やかな教皇の連合体による支配と腐敗による瓦解、教会との利権闘争に利用され印刷技術によって広まったプロテスタント、営利を推奨しブルジョアを取り込んだ経営者カルヴァン、資金が集まって大航海時代をスペインと新教徒が集まるアントワープを潰して没落した敬虔なカトリックのフェリペ2世、新教徒が毛織物産業で経済発展をさせてスペインを倒したイギリスとオランダ、ブルジョアを取り込むためプロテスタントも取り込んだイギリス国教会、メアリ1世が諸侯と和解するためにカトリックを復活させるがエリザベス一成がイギリス国教会を復活、カトリックのアイルランド人とイギリスの対立、プロテスタントを使ってカトリックを排除し王権を確立したデンマーク、オランダ新興勢力はハプスブルグ家との代理戦争を支援しついにオーストリアだけになったカトリックのハプスブルグ家、フランスはユグノーの支援を受けたアンリ4世に始まりそれを覆して新興ブルジョアの財を接収しようとしたルイ14世さらに反動で合理主義で混迷を極めたフランス革命、ローマの分裂で生まれたギリシア正教とビザンツ帝国崩壊で独立した各国の正教、東方正教会の最高祭祀者となったロシア皇帝、ポーランド・ハンガリーはドイツに近くカトリックが主流、プロテスタントが根付かずカトリックに戻ったチェコやスロバキア、イギリスの貧困層のプロテスタンとピューリタンが移住したアメリカ、カトリックのヒスパニック系。

 第四部「中東・中央アジア・アフリカ」では、通商を重視したイスラム教、アラブ人軍人のクーデターで生まれた軍人のウマイヤ朝、軍人の重用をやめたが分裂を招いたアッパース朝、イスラム商人に支えられた戦闘のプロのクルド人のサラディンは戦争で商機を失うのを嫌った商人たちに財政援助を止められ、利権を狙うリチャード一世に敗れる、トルコ人軍人のマルムーク朝はモンゴルの進撃を止めてインド洋交易の利権も抑えるがポルトガルの大砲に敗れ利権を失いオスマン帝国に吸収される、宗教民族に寛容なオスマンの発展と衰退、近代化を阻んだイスラムの要因と改革したトルコのケマル、シーア派の十二イマーム派のイランとアメリカその他の国とのグレートゲーム、中国マネーに支配されつつある中央アジア五カ国、イスラム教国でモンゴル系のティムール帝国、それを滅ぼしたトルコ系のシャバイニ朝、それを滅ぼした無神論でイスラムを弾圧した南下したロシア、その後ソ連は西側諸国への対抗するためイスラム教に懐柔的に対応、崩壊後はイスラムが復権したが弾圧によりイスラム信仰は緩やかに、富を肯定するユダヤ教とその不満から生まれたキリスト教、アフリカでの北のイスラム教と南のキリスト教の分断、コプト教の流れを汲むエチオピア

気になったポイント – 宗教は強力なソフトツール

 宗教は国内に向かっては「ソフトツールとして、思考や思想を共有し、一つの価値理念に向かって協働することができる」また国外に向かっては「公然性をもった対外工作ツールとして政治的に利用されてきた」というような、「宗教は救済」というようなナイーブなものでないと語っている。

 たしかに民族を超えて協働するには宗教という物語が一番成功してきた気がする。しかし今は資本主義というのはまさにソフトツールで思考や思想を共有し、一つの価値理念に向かって会社などを通じて協働している。

気になったポイント – 利子

 利子は以前から気になっていたが、イスラム教は利子は貧富を拡大するからとらないとあり、それが近代化を阻んでいると書いてあった。一方でカトリックは認めていなかったが認めた。カルヴァンは5%を許容して商業が発展。溜め込んだお金を外に回すために重要である気がする。利子についてはもっと勉強したい。

最後に

 「宗教地政学」の本と銘打っているが、国や地域ごとの宗教の遷移と対立などがよくわかった。宗教という切り口で世界史をみたい人にはおすすめです!