美男堂の事件手帳

2022 韓国KBS 2TV 高在賢、尹羅英

 Netflixで予告編での主人公の不思議なおどりのようなものが気になってみてみた。サスペンスでもありコメディでもある刑事ドラマ。

登場人物・世界観

 ナム・ハンジュンは元プロファイラーで現在は美男堂で男の巫女をしている。妹のナム・ヘジュンはハッカーとして美男堂を手伝っている。また友人のコン・スチョルも腕っぷしの強さで美男堂を支えている。時に警察とぶつかることもあり、鬼と恐れられている警察庁の女性刑事ハン・ジェヒと対立する。チェ検事はハン・ジェヒにほのかな思いを寄せつつ、ハン刑事を検察の側からサポートする。

物語の始まり

 ナム・ハンジュンは美男堂でVIP顧客を持っている。会社の経営者などだ。彼らの問題を解決してあげて、荒稼ぎをしているが、ある時に法に触れるような問題が発生する。警察沙汰になる問題を何とか法の目をかいくぐって解決してあげるが、警察としては犯罪者を擁護しているように見えて、事件を追うハン刑事のチームと対立する。そうして話が進むにつれて、なぜナム・ハンジュンが男の巫女をしているかが明らかになってくる。

テーマ

 あえて描かれているテーマを挙げるならば、犯人が仕掛けている罠にかかりつつも何度も立ち上がっていく粘り強さ、困難にも立ち向かう勇気などだとは思う。ただ犯人を追っているのが警察ではないので、”正義を貫くには不正も厭わない”というのが面白いストーリー展開を生んでいる。他にも「正義とは何か?」「人は自分の性質を乗り越えられるのか?」などの本質的な疑問がストーリーに織り込まれている。

最後に

 ”現代ドラマ”なので、随所に唐突に出てくる”広告”は正直、鼻につく。突然、唐揚げのチェーン店にいたりとか。あと気になるのはナム・ハンジュンを演じたソ・イングクの演技。男の巫女としての演技は素晴らしかったが、恋愛の演技は何か淡泊さがある気がする。うーん、気のせいか、、女性ファンはどう思うのだろう。。とはいえ、物語としては殺人が出てくるのでエグさもあるが、状況が二転三転して手に汗を握る展開は楽しめた。

 多少のご都合主義もありコメディ要素もあるが、全体としては深みのあるサイコ・サスペンス・スリラーだと思う。ドキドキしたい人にはおすすめです!

オスマン帝国: 皇帝たちの夜明け

2020 Karga Seven STXエンターテインメント エムレ・シャーヒン

 コンスタンティノープルの陥落を読んで、オスマン帝国に興味が興味が湧いてきたところにたまたまNetflixで”オスマン帝国”の文字があったので、見てみた。まさにメフメト2世によるコンスタンティノープルの陥落を描いている全6回のドキュドラマ(ドキュメント劇)になっている。先に読んだ塩野先生の書籍の復習にもちょうどよかったので興味深く鑑賞できた。

登場人物・世界観

 主人公はオスマン帝国の20代のメフメト2世。まさにコンスタンティノープルを落とそうというとこと。その周りにはキリスト教国からメフメト2世の父親ムラト2世のもとに嫁いだ継母のマラ。子供の時から知る大宰相ハリルパシャは首相という立場だが、ともに権力を持つものとして緊張関係がある。またビザンツ帝国側では傭兵隊長のジュスティニアーニがスルタンに対峙して奮闘する様子が描かれる。メフメト2世 vs ジュスティニアーニという構図である。

物語の始まり・構成

 メフメト2世が父親の死を知らせる連絡を受けるところから物語が始まる。スルタンの座を確かにしようと、急いで首都に駆けつける。ハリルパシャは我が王よと迎え入れる。このシリーズはドラマ仕立てだが、途中にオスマン帝国関係の書籍の著者などによる解説が入り、より理由や細かい背景を説明してもらえるようになっている。またドラマは幼少時代に一度父親が引退してスルタンを継いだ時代に戻ったりもする。そうしてコンスタンティノープルでの戦闘がはじめって行く。

気になったポイント ー 裏切り

 印象的だったのは、ジェノバ商人vsヴェネチア商人という構図だけでなく、相互の内通者がいて、それぞれの動機で戦闘を終わらせように努力しているだけでなく、自分の利益のために両方に取り入っている商人がいて自体を複雑にしていたということである。ドラマの中ではどちらかというとスルタン側に有利になっていたように感じた。

最後に

 戦闘の全体像や金角湾などの位置関係などがCGで表現されていて理解しやすかった。ただドキュメントではあるがドラマということもあり、メフメト2世が瀕死状態なったり、ジュスティニアーニと至近距離で対峙したりするような過剰演出もあったが、エンターテイメントなので仕方がないとする。映像によって歴史上の人物が生き生きと動くことで印象が深まったのは間違いない。

 トルコで制作されたもののためかオスマン帝国側から描かれているので、オスマン帝国に興味がある人にはうってつけで、実力のあるメフメト2世にも魅了されること間違いなしである。

ロードス島攻防記

1991 新潮社 塩野 七生

 22歳のメフメト2世が1453年のコンスタンティノープルを陥落させてがその後、1480年にメシヒ・パシャにロードス島を攻めさせるが、聖ヨハネ騎士団は守り切った。その70年後、1522年夏である。今度はメフメト2世のひ孫である28歳のスレイマン1世が直々にロードス島を訪れ、戦線を指揮する。様々な小説などになっているロードス島での攻防を小説仕立てにした歴史書籍である。

物語の始まり

 物語は20歳になったばかりで騎士団に入団しているジェノバ出身のアントニオから始まる。彼は古代にはバラの花咲く島として名付けられた楽園のようなロードス島に降り立つ。そこでローマの大貴族である25歳のオルシーニに出会い、交流を深める。それから騎士団の構成や歴史などが語られる。騎士団は徐々にトルコとの戦いに備えていくが、トルコ軍もロードス島に近づいてくる。戦いが始まると、オルシーニはギリシアの下層民に身をやつし敵陣に潜入などをする活躍をする。

 塩野七生の海戦三部作とされている一作目のコンスタンティノープルの陥落では、物語が複数の登場人物の視点から語られるので、ややゴチャゴチャしている感があったのが、本作ではアントニオ一人が全面に出ているのでスッキリと分かりやすかった。

気になったポイント – 技術者魂

 ヴェネチア共和国陸軍の技術将校だったマルティネンゴは1516年になって、クレタ島の城塞総監督としてクレタや周辺地域の城塞の強化と整備に力を注いでいた。そのマルティネンゴをロードス島の聖ヨハネ騎士団の騎士が訪ねて、ロードス島の城塞監督になってもらいたいという騎士団長の意向を伝えた。トルコの攻撃が迫りくる中、東地中海一に堅牢な城塞を強化するという仕事に魅力を見出したマルティネンゴは、国の任務を離れ脱出してロードス島に赴く。
 戦いが始まると、防御側はトルコの大砲を無力化する城壁で応戦するが、攻撃側もそれを打ち破る作を繰り出してくる。また攻撃側は坑道を正確に掘り進める技術を発達させ、地下から攻撃を進めていく。防衛側は城壁の下で爆発する地雷に悩まされるが、マルティネンゴはそれを検知する技術も導入する。しかし戦いが激化する中で、彼は右目を負傷する。それでも病室から城塞監督として戦いに参加し続ける。

 当たり前だが技術というのは目的を達するために使う道具であり、技術以前にマルティネンゴがその目的のために身を粉にして戦う姿は心を打たれた。城塞については、塩野氏の城壁や稜堡(りょうほう)の細かい説明が続いて、コンスタンティノープルと比べてどのような理由で何が違うかというのが解説されていてわかりやすかった。一方で地図が少なくて、どの場所をどの国の騎士団が防衛しているという記述は少し分かりにくかったが、読み終わったあとに巻末に地図があることに気付いた。

気になったポイント – トルコの経済力

 和平の途中でトルコ陣営に赴いたオルシーニは4ヶ月感でトルコ側の4万4千人の戦死者があり、ほぼ同数の病死者と事故死者がいることを知る。砲弾に至っては8万5先発も使っていうことが分かる。

 昔は人というものが今のようにたくさんいなかったと読んだが、現代にしたって万人単位の死者には異常を感じる。普通の戦いであれば大敗だと思う。途方も無い数の人々を動員して死んでも国が崩壊しないというのはトルコの経済力と中央集権的な力であったのか。最終的にはたくさんの人やモノを動員した物量作戦によってトルコは勝てたのを確認できた。トルコというのは近代の消耗戦を戦っていたのかもしれない。

最後に

 最後に聖ヨハネ騎士団のその後について書かれている。現在は独立国であり、現在の77代目の団長の下で、医療活動を続けている。その活動は世界中の赤字に変形十字のしるしを付けた病院や研究所に見ることができ、現代の”騎士たち”が今も活躍しているということである。赤十字の創設などもきっとこのような活動に影響を受けているだろうし、この騎士団が過去のものではなく、今にも繋がっている歴史であるというのには心を打たれた。

 ロードス島の戦いについて知りたい人はもちろん、今も世界で活躍している騎士団の歴史を知りたいという方にもおすすめである。

ドント・ルック・アップ (原題:Don’t Look Up)

2021 Netflix アダム・マッケイ 

 Netflixで少し気になってはいたが見ていなかった。そうしているうちに毎週買っているビッグイシューの中でジェニファー・ローレンスがこの映画に関連したインタビューを受けていた。内容は映画よりキャリアについて多く語られている印象だったが、映画にも興味が湧いてきた。
 地球に隕石が落ちるというパニック映画では典型的な設定ではあるが、少し違う視点で描いているブラックコメディである。

登場人物・世界観

 ケイト・ディビアスキーはミシガン州立大学の天文学博士課程に在籍している。担当教授はランドール・ミンディ博士。NASA側では惑星防衛調整室長テディ・オグルソープ博士がサポートしてくれる。政府側の人間としてジェニー・オルレアン大統領とその息子の補佐官。世論を作るメディア側としては朝の番組の司会のジャック・ブレマーとブリー・エヴァンティーが登場する。

物語の始まり

 ある日、ケイトは偶然に木星の付近の彗星を見つける。報告を受けたランドール博士が軌道計算してみると、6ヶ月後に地球に衝突する計算になる。NASAに相談するとそこでも同じ計算結果になり、彗星の半径を聞いたテディ博士は言葉を失う。地球に甚大な被害をもたらすからだ。
 すぐに大統領に相談するもまったく興味を示さない。メディアにリークして朝の番組に出るも芸能人の恋愛ゴシップと同列の扱いを受ける。この危機的状況をどうやって世間に伝えるか頭を抱える。

テーマ

 大統領は支持率。メディアは視聴率。経営者は利益。すべて地球あってのことであるが、地球や国民の危機にはまったく興味がない。ケイト自身の母親さえ「お父さんも私も、彗星で雇用を創出するという計画に賛成なの」と娘の言うことを聞かない。

 「見上げてはいけない」というタイトルは「真実を見てはいけない」という意味であろう。支持率、視聴率、利益を拡大するのに悲しいかな真実は必要ない。誰もが情報を発信できる時代だが、情報過多で溺れそうな人たちは権威が発する情報に縋るのかもしれない。人は見たいものしか見ない。私自身も例のワクチンかどうか分からないものにリスクがあることを、薬を開発していた英語論文を読める父に説明しても届かず、悲しい思いもした。

最後に

 この物語は他人事ではない。ワクチンの薬害騒動は正にこれだが、それ以外でも沢山ある。政治家は選挙に通ること、メディアはスポンサー企業の言いなり、経営者は利益・利回り。この政治家が献金を沢山してくれる企業のいいなりだとすると、結局は企業経営者や投資家の言いなりで日本は動いている。世界的にそうなのかもしれない。誰も国民の危機など気にしていないのだ。地球がなくなってもお構いなしの人と同じように、日本の人口が恐ろしいスピードで減っていって、日本がなくなってもお構いなしなのである。すべて日本あったのことであっても。

 ブラック・コメディで後味は良くないが、この愚かな世界を少し客観的に見ることができる映画である。政府のやっていることは的を得ていないと感じている人にはおすすめかも。

ヘルシンキ 生活の練習

2021 筑摩書房 朴沙羅

「日本との最大の違いは、保育園に入る権利は、保護者である親の労働状況にではなく、子供の教育を受ける権利に紐付いていることである」

フィンランドの保育園のことが書いてあると読んで手にとった。日本の保育園の利用者としては気になるところだ。二児の母であり社会学を専門とする筆者のフィンランドへの移住体験を中心としたエッセイ。

本の構成

 著者は父親が在日韓国人で母親が日本人の”ハーフ在日”である。6歳と2歳の子を持つ母親でもある。話はヘルシンキの職場に採用され、フィンランドへの移住を決意するところから始まる。ヘルシンキに降り立つと、家探し、銀行口座解説、保育園探し、と外国での生活に必要なことを行う。その中で保育園や就学前教育の制度なども説明される。外国人IDはカードのプラスチック(ラミネートフィルム?)がないということで2周間のところが4週間待たされたりして、最悪だというような感想も漏らす。決してフィンランドが日本よりも素晴らしいというような論調ではない。
 中盤は保育園の内容や、子育てなどで精神的に追い詰められて外国人向けの相談所に電話した話。後半は自分の過去の生い立ちなどを中心に語られる。

 口座が作れての保育園のことを越えて日本や自分の生い立ちについても書かれている。

 筆者は在日社会にもなじめず日本社会でもマイノリティーとして暮らしていて、もともと生まれなどを気にしなくても良い外国への憧れもあったことが語られている。日本で在日+女性+母親というのはハッキリ言って三重苦だ。日本社会は在日を嫌い排除し、女性を嫌い排除し、母親を嫌い排除し、おそらく(舌打ちされたり)子どもも嫌っている。筆者が外国を目指すのは理解できる。もしかしてユダヤ人も同じようにして世界中に散らばっているのかもとも思う。一方で社会学が専門なので細かい社会制度などが客観的に語られて、日本と比較されている。

気になったポイント ー 日本社会の息苦しさ

「私は日本にいるとき、ずっと息苦しいような、とてもひどい社会に生きているような気がしていた。その感覚はうそではない。実際に、2020年の3月から4月にかけて、日本に住んでいた知人の心理的な負担感や閉塞感は、紛れもなく本当で、それは自殺者の数となって現れている。」

 2020年5月のオンライン調査によると、日本の指導者の評価は世界で最低、逆にフィンランド政府は概ね評価されていた。一方で人口あたりの死者は日本のほうが少なく、補償の規模も日本の方が多い。筆者は日本人たちが苦しいと感じている理由は政府・政治と別なところに起因しているのではない?と疑問を呈している。

 私も息苦しいと感じているのを見ることがあるので、これは重要な点だと感じた。個人的には多くの人が暗黙的に作り出す”世間”の狭量なスタンダード(標準化されたルール)などが生きにくくしている気もする。そのスタンダードの一つが”おもてなし”だ。タクシーやコンビニでも海外のサービスに慣れると日本の”おもてなし”的な対応は異様さすら感じる。一昔前は少しぶっきらぼうでも良かったのではないか。社会が個人に求めるハードルが変に上がってしまい、適応障害者を生み出しているのだとしたら、”おもてなし”は消えてなくなってほしい。

気になったポイント ー 共助と公助

「京都で通っている保育園は、(中略)保護者の共同体でもある。(中略) 保育園だけを比較するなら、おそらく京都の保育園のほうが、子供と親を育てる共同体としてのスキルの蓄積と保護者・保育士・経営者の団結力と友情において、この、ヘルシンキの畑の学ん赤にある保育園絵より優れているように感じる。
 でも、そんな共同体も、保育園の先生たちの情熱や努力も、保護者の熱意や協力も、もしかすると必要ないのかもしれない。保護者の労働時間が短く、保育が労働者の福利厚生でなく子ども個々人の権利として制度化されているならば。そして皆がある種の『あたたかさ』を求めないのであれば。」

フィンランドの保育園は朝の八時から八時半までの間に登園すると、給食の朝ごはんが食べられる!行事もほぼなく、保護者どうしの交流もない。日本の弁当文化を「すごいねー」と言われる一方で「それはいつ必要なの?」と聞かれる。公助を充実させる運動をせずに、自助や共助で何とかしようとしてしまう日本。それが今の不幸な日本を演出している一要素だとも私には読めた。

気になったポイント ー スキル

「『正直さ』『忍耐力』『勇気』『感謝』『謙虚さ』『共感』『自己規律』などなどを『才能』でなく『スキル』ととることについて、なんとなく狐につままれたような気分だった。(中略)
 私は、思いやりや根気や好奇心や感受性といったものは、性格や性質だと思ってきた。けれどもそれらは、どうも子どもたちの通う保育園では、練習するべき、あるいは練習することが可能な技術だと考えられている。」

 保育園の面談で子どもが練習が足りているスキルはどれかとスキルが書いてあるカードを並べだした。日本では性格や性質と理解されているものが”スキル”として理解されていて、保育園の先生たちは「いいところ」「悪いところ」という発想を持っていなくて、「練習が足りていること」「練習が足りていないこと」と捉えている。

 この発想は面白い。このような発想で子どももそうだが、親とかマネージャの上司など、暗黙知になっているようなスキルを可視化して練習するようにすれば世の中もっと良くなるのではないか。よくよく考えると私の所属するスーパーホワイト企業はマネージャーに対してかなり頻繁に研修をしている。何度も練習を重ねているのかもしれない。

気になったポイント ー 在日コリアンと平和

「中学生あたりから、何度か『日本と韓国が戦争になったら、お前はどちらにつくのか?』と質問されるたびに、くちでは『どっちでしょうねー』と言いつつ、心の中では『私がどうしたらいいかオロオロしている間に、お前みたいなやつが私を殺しに来るだろうから、私がその質問の答えを考える必要はない』と思っていた」

 たしかに在日コリアンの人は関東大震災でもデマが流れて殺されたらしいので、有事の際に在日コリアンの虐殺は起こりうる。筆者の両親が子どもよりも自分の人生を優先し、戦争反対の集会やデモにをしたことを作者は苦々しく記憶している。けれど、上の話にあるように有事に命の危険にさらされるのであれば、戦争などを避けようとする運動を積極的に行うのはもっともな気もする。筆者は戦争は辛く苦しいことという戦争反対な立場をとっているが、戦争は誰かの経済的な利益のために行われ、一般国民が犠牲になる。そして残念なことにそのような経済的な利益のために一般国民が犠牲を強いられるのは戦争だけではなくて、現在の日本や世界で現在進行系で見かけることである。

最後に

 作者は最後に『たくさん友達を作って、粘り強く、できる範囲で、みんなで力を合わせて社会を変えていこう』と呼びかける。人々が助け合う制度のある社会や”公”がある国があることで、それは人々の力で作っていけるのだと感じた。

 フィンランドの諸制度や保育園などを知りたい人だけでなく、保育園・幼稚園を使っている子育て中の親たちには響くないようがあるはずなので、ぜひに読んでもらいたい。

地図でスッと頭に入る古事記と日本書紀

2020 昭文社 瀧音 能之(監修)

 やはり古事記はロマンが溢れている。図書館でちょっと目に入ったので借りてしまった。

本の構成

 古事記と日本書紀が5章に分かれて解説されている。序章は「はやわかり古事記・日本書紀」で記紀の成り立ちについて、第一章「天地の始まり」はスサノオによる大蛇退治まで、第二章「神々の物語」はオオクニヌシの話から初代天皇の誕生まで、第三章「ヤマト政権の誕生」ではヤマトタケルやホムダワケの皇位継承まで、第四章「古代天皇の躍動」ではオオサザキの仁政からアナホノミコ殺人事件まで、第五章「日本の誕生」では武烈天皇から壬申の乱を経て日本誕生まで、それぞれ見開きで分かりやすい図で説明されている。

気になったポイント – 神話

 オオクニヌシの話も伊予や播磨の風土記にも記載があるという、またオキナガタラシヒメも日本書紀では一章かけて解説しているというので、当然に存在したのだと思う。
 この神話を神話でないという考古学的な発見などがあったらいいなぁと多くの人が思っているとはおもうが、やはり自分も考えてしまう。シュリーマン的な投資や発見は常に憧れる。天の岩戸の話も皆既日食とかは調べようと思っていて、調べていない…。

気になったポイント – 高天原

 天津神が住んでいる高天原。イザナギとイザナミは高天原の神々と相談しながら国作りを勧めいる。アマテラスは高天原からオオナムチに使者を遣わしたりしている。
 高天原とはどこなのか?何なのか?は気になる。海洋国家だった昔は海の向こうだったのかなとかも思ったり、妄想が止まらない。

最後に

 とにもかくにも古事記・日本書紀は日本人のアイデンティティに関る物語であるのは間違いないが、なかなか読む機会がないとは思うので、まずはこのような取っ付き易い書籍を手に取るのはおすすめです!

文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの 上・下

2012 草思社 ジャレド・ダイアモンド(著), 楡井 浩一(訳)

 ジャレド・ダイヤモンド氏による「銃、病原菌・鉄」に続く著作であり、様々な文明の崩壊を考察する内容となっている。全体としては現代の環境問題への対応について問題提起をしている内容に読めた。

本の構成

 4部16章で成り立っている。文明の崩壊を招く要素として環境被害、気候変動、近隣の敵対集団、有効的な取引相手、環境問題への社会の対応の5つを挙げてこの観点で各文明を分析する。第一部「現代のモンタナ」では過去の鉱業からの汚染と、森林伐採の必要と経済的な効率、古くからの暮らしと土地開発の摩擦について、第二部「過去の社会」ではイースター島での森林資源の不足による崩壊、ピトケアン島・ヘンダーソン島での人口に対する資源不足による崩壊、アメリカのアナサジ族の森林伐採と旱魃による崩壊、マヤの敵と旱魃による崩壊、スカンジナビア半島から外海に進出し移住したヴァイキングの行く末、特にグリーンランドの興亡について、加えてニューギニア・ティコピア・日本の成功例について、第三部「現代の社会」では、ルワンダでの大虐殺の土地問題にまつわる背景、一つの島に隣り合うドミニカとハイチ、中国の人口・食糧・環境問題、痩せた土地を搾取するオーストラリア、第四部「将来に向けて」では、社会がなぜ壊滅的な方向に向かうか、大企業と環境対策の良い事例と悪い事例、十二の環境問題と反論やこれからについて語る。

気になったポイント – 支配者層の非合理

 支配者層が無駄なものを浪費したり自分だけ裕福な暮らしをしたりと、非合理的な決定をしていたのが社会が崩壊した原因の一つなのではないか、とあった。イースター島の社会階層やグリーンランドにも社会階層あり、それらによる弊害である。

 社会階層は社会のアイデンティティを維持するために必要なものだったのではないかというのが自分の考えである。滅亡した社会にはあったが多くの現存している社会にも存在する。それがないと集団としての物語が失われてしまい、人々が野生化してしまったら、それこそがら文明が崩壊してしまうのではないかとも感じる。

最後に

 崩壊した社会は環境が痩せていて人類が適応するのが難しい場所だったという印象で、度重なる旱魃などの環境変化で崩壊するケースもある。その地域がどのくらいの人口を養えるかが重要だったが、現在では地球規模のやりとりで養える人口が変わっている。

 その土地が持っている潜在能力が重要だったが、現在の地球はどのくらいの人口を養うことができるのか、興味は膨らむ。過去の文明崩壊や世界の環境問題に興味がある人にはおすすめです!

ピンポン

2002 アスミック・エース 曽利文彦

 名前はよく聞いたことがあったが、見たことがなかった。窪塚洋介さんが出ていると知っていたが、少し窪塚洋介さんがメディアに取り上げられていたので、興味が出てきてNetflixでみた。

登場人物・世界観

 星野(窪塚洋介)はペコと呼ばれているが、高校一年生で卓球で頂点を目指すと言っているが、卓球部の練習ではマイペースでさぼってばかりいる。エキセントリックな正確である。幼馴染の月元(井浦 新)はスマイルと呼ばれていて、ペコといっしょに卓球部に所属しているが昔のいじめもあり厭世的で卓球にも身が入らない。卓球部顧問である小泉丈(竹中直人)は月元の才能を見抜き伸ばしたいと考えているが本人のやる気がなく、なかなか振り向いてもらえない。

物語の始まり

 ペコは小さい頃から練習している卓球場タムロでたむろして地元の男性などと対戦している。月本は先輩から部活に来ないペコを呼んでこいと言われて、卓球場に向かう。道中いじめからペコに助けられた昔を思い返して、卓球に打ち込んで自信に満ちているペコに憧れていたのを思い出す。翌日はふたりとも部活に出るもサボって隣の学校に道場破りに行くもチャイナイと呼ばれる強豪にペコは完敗する。顧問の小泉はインターハイに向けて月元に特訓を付けたいがなかなか相手にしてもらえない。そうしてインターハイを迎え、二人ともボロボロに破れるのである。

テーマ

 物語は星野と月元の成長の物語である。自分の殻に閉じこもっている月元が真に自分と世界に向かい合おうとしてあがく青春も眩しい。男と男の戦いやラブコールやジェラシーで、女性の影がないのは気になる。。

最後に

 片瀬高校という設定だが、片瀬江ノ島の見慣れた海岸や江ノ島などが出てきてほっこりする。路面電車とかも出して綺麗な江ノ島のプロモーション仕立てにしても良かった気もする。あとは何と言っても随所に出てくる卓球のCGやその他のCGは自然でほとんど分からない。こういうCGは素晴らしいなぁと思う。

 卓球に心得がある人もない人も楽しく見るエンターテイメント映画である。ぜひこのCGは見てほしいとも思う。

「民族」で読み解く世界史 教養として知っておきたい

2018 日本実業出版社 宇山 卓栄

 民族という切り口が面白そうで手にとったが、世界全体を民族の切り口で語っていて非常に面白かった。

本の構成

 8部24章で構成されている。第一部「民族はこうして始まった」では民族は人種や国民とどう違いのか、大まかな語族による分類、インドヨーロッパ語族の「白人」のルーツについてを説明する。第二部「東アジアと日本」では中国の王朝と民族について、中華思想、日本と渡来人・白村江の戦いについて、朝鮮半島の王朝と民族について説明しています。第三部「世界を支配したヨーロッパの国々」ではローマ人の末裔のラテン人・ビザンツ帝国の流れをくむスラブ人・ヨーロッパを開墾したゲルマン人について、ノルマン人による王朝、北欧信仰について説明しています。第四部「インド・中東・中央アジア」ではインドに流入したモンゴル人とカースト制、イスラム勢力に倒れたイラン人の国、非アラブ人の国とベルベル人、西に移動していってハンガリー・ブルガリア・フィンランドまで達したトルコ人、三系統のユダヤ人とイスラエル建国を説明している。第五部「複雑に入り組む東南アジアの諸民族」では東アジアの語族たち、ベトナム人・タイ人・クメール人のインドシナ半島の三勢力と流入したミャンマー人、マレー人・ジャワ人の王国について説明している。第六部「アメリカ、アフリカ、民族に刻まれた侵略と対立の傷跡」ではラテンアメリカ人、アフリカの4語族と奴隷貿易、ワスプとブラックインディアンについて説明しています。第七部「大帝国の成立ー民族の融和」では4つのモンゴル人の国とモンゴル帝国の経済モデルと西走、満州人のビジネスモデルと清帝国の宥和政策と民族主義、オスマン帝国の民族融和政策と民族ナショナリズムによる分裂と列強による分割とクルド人について説明しています。第八部「民族の血糖が教える世界」では、主権国家と国民国家の違いとグローバリズムに対する反動、アメリカで発展した白人優位主義と排日思想や黄禍論について説明しています。

気になったポイント – バスク人の先祖

 バスク人はクロマニョン人の末裔という説は興味深かった。モンゴロイドは原人と混血していないというが、本当なのだろうか…。

気になったポイント – 民族の移動の関連性

 ゲルマン人の第一の移動でローマ帝国の侵食したが、その後にウマイヤ朝のヨーロッパへの侵攻に対抗するためにバラバラだったゲルマン人が統合されてフランク族のカール大帝の帝国ができた。第二のゲルマン人の移動はヴァイキングの活動で、ノルマン朝やルス族によるノブゴロイド朝(ロシア)と説明されている。ゲルマン人を押し出したフン族は謎だが、トルコ人がはじめに西に移動して、その後モンゴルアジアではチベット人の国の南詔から派生したミャンマー人の流入やタイに流入した雲南の中国系など。

 世界史には民族の移動が様々な結果を生み出しているのだろうけれども、素人には関連性がはっきりと理解できて面白かった。

気になったポイント – 各民族のビジネスモデル

 インド・ヨーロッパ語族が小アジア中東で起こしたヒッタイト王国での製鉄技術の独占で儲けた。突厥も製鉄で儲けて中国に侵食していく。東ローマ帝国は東方貿易で儲けるが、温暖化とゲルマン人の開墾により東方貿易が縮小し東ローマ帝国も縮小していく。ノルマン人は海上の交易ネットワークを形成し巨万の富の蓄積した。モンゴル人はシルクロードの交易を整備して通行料をとって儲けた。大航海時代でシルクロードの交易が下火になってくるとインドに下ってムガル帝国を作った。満州人はモンゴル、明王朝、朝鮮との互市貿易で儲けた。クメール人の扶南やインドシナ半島のシュリーヴィジャヤ王国はインドと中国の海上貿易で栄える。アユタヤ朝はポルトガルなど大航海時代の交易で儲ける。砂糖・綿花の価格低下したり奴隷を再生産して奴隷貿易がなくなった。

気になったポイント – 文化の吸収

 文化の面でも統治の観点もあったとは思うが、文化を吸収するということが起こっていた。中国文化についてはモンゴル人の北魏の婚姻の奨励、突厥の中華思想の推進、清の中華同化制作などが見られる一方で、モンゴルのフビライは漢字を国家の公用語と認めなかったりしている。

最後に

 ノルマン朝がイギリスとフランスの一部を領地にしていたというのは古代日本の状況と似ていて興味深かった。やはり海洋民族はそのような支配になるのではないか。日本の勉強のためにも世界史は面白い。

 かなり広範囲の世界史を扱っているわりにコンパクトで図解なども多く読みやすいです。世界史の流れや各民族のルーツなどを知りたい人にはおすすめです!

ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来 上・下

2018 河出書房新社 ユヴァル・ノア・ハラリ(著), 柴田裕之(訳)

ハラリさんのサピエンス全史の次の作品として気になったので、読んでみた。

本の構成

 飢饉と疫病と戦争を乗り越えたホモサピエンスには次の課題が必要だ。1つ目は死を乗り越えること。2つ目は幸福感を我が物にすること。加速する資本主義がもたらす科学の進歩は止められない。マルクスの思想が資本家の行動を変えたように、新しい知識も再帰的に未来を変えるために予測もできない。

 第一部では他の動物たちを比較して、共同主観とがホモサピエンスを特別なものにしていると説く。第二部ではホモサピエンスは共同主観によってお金、神、国家、起業を作り、科学でそれを強化してきたと説く。もっと力を得るために人生の意味を捨て、人の自由意思を権威とする自由主義的な人間至上主義を打ち立てた。第三部では自由主義的な人間は自由意志の存在を礎にしているが、自由意志はあるのか?感情を持たないアルゴリズムの方が首尾よく働くし正確で人々は心地よいので、社会システム全体がアルゴリズムやデータによって決定するような方向に変化していくと説明する。

ポイント ー 第一部:ホモサピエンスの特別性

 世界の大型動物の重さを比較すると3割が人類、6割が家畜、野生動物は1割。アミニズムでは人間は野生動物の一部だったが、農業革命によって人間が動物たちと話せなくなったアダムとイブの神話があるが、つまり家畜が生まれた。聖書などでは動物たちとの繋がりが廃されて、神を通して人は自然(動物)にアクセスする。農業革命が有神論の宗教を生み出し、神と人間の世界を作り、動物の残酷な利用を正当化した。その次に起こった科学革命は人間至上主義の人間だけの世界を誕生させた。(生物はアルゴリズム。感覚もアルゴリズム、ほとんどの決定をしている。)

 人は強力だがそれは豚の命より人の命が尊いことになるか?人間には不滅の魂があって、動物にはないからだと一神教は答えるが、科学的に人間には魂が発見されていない。人間には意識ある心があるからだと答えもある。魂は物語だが、心は主観的経験だ。心は存在理由が分かっていない。感情はなぜあるのか?記憶や創造や思考は結局アルゴリズムではないか。心も発見されていないとすれば、それはエーテルと同じ想像上の産物ではないか?心がなくてもアルゴリズムは目的を達成するので、なくても良いのではないか。では人間以外の動物には心はないのか?ラットにも心はある。チンパンジーも人間と同じように不平等を良しとしなかったりする。ではなぜ人間が優れているのか?それは大規模に協力できるからだ。共同主観とも言える「意味のウェブ」がそれを可能にしている。

ポイント ー 第二部:ホモサピエンスが作った世界

 「意味のウェブ」ではどんな物語が語られているか?動物は客観的世界と自分の感覚の世界で暮らしているが、人間にはお金、神、国家、起業の物語の世界もある。ファラオもエルヴィス・プレスリーも何もしていなかったが虚構のシンボルとして存在し、実際の現実を動かした。グーグルなどの企業という虚構も実際の現実を動かしている。貨幣が創造の産物の紙切れだ!と否定するとかなり生きづらいのと同じように十字軍が送られていた頃にキリスト教の聖典や古代エジプトでファラオの神聖を否定して生きるのは難しかった。現代でも紙切れが世界の価値観を作る。紙幣、学位、経典。それらの虚構は評価基準を提示するので、集団の目標も左右する。キリスト教が戦争を起こしたりして人々を苦しめる。現在でもふと気付くと虚構であるはずの国家や貨幣や企業のために人生を犠牲にしていたりする。

 科学は虚構に取って代わる普遍的な事実と思う人もいるが、虚構を現実に合わせるために科学は現実を変えることができるので神話と宗教の力を強めた。宗教とは霊性や超自然的な力、神の存在ではなく、変えることができない道徳律の体系に人類が支配されているという。それによって社会秩序を維持して大規模な協力体制を組織するものである。霊的な旅とはそれとは真反対のもので、道徳律から逃れようとする試みのことだ。また科学は幸せや良し悪しなどの人間の行動の判断基準を作るものではない。科学と宗教はどちらも集団的な組織としては、心理より秩序と力を優先する。両者は相性が良い。ということで、人間至上主義の教義は科学理論に取って代わることはない。歴史を通じて、科学は人間至上主義との間の取り決めを形にしていったと見ることができる。

 現代人は力と引き換えに人生の意味を捨てる約束をした。過去の虚構の中では人生に意味があったが、その世界観によって人の行動は制限されていた。現代は絶え間ない研究、発明、発見、成長を続けているが、意味もなく結末もない。しかし資本主義は信用経済を通じて経済成長を良いもの、優先すべきものと規定して、家族との絆よりも優先すべきものと価値判断を提供し、宗教の領域にも入ってきている。資本主義のサイクルに終わりはなく「これ以上は成長しなくて良い」とはならない。また原材料とエネルギーには限界があるが、知識に限界はない。北京の大気汚染など成長による不利益を富裕層は新しい方法で回避する。一方で温室効果ガスなどによる被害を貧しい人は回避できない。資本主義には経済破綻や生態系のメルトダウンというリスクはあるが、今の所起こっていない。グローバルな協力によって飢饉や疫病、戦争を抑え込んでいる。しかし競争のストレスが多く、意味のない世界を人間はどうやって生き延びているのか?それが人間史上主義だ。

 力を提供してくれる代わりに、人生の意味を与えてくれる宇宙の構想の存在を信じるのをやめる必要がある。意味を失う・神の死は社会の崩壊を招くが、今の所、力を維持しつつ、社会の崩壊を回避している。意味も神も自然の方もない生活への対応策は、人間至上主義が提供してくれた。かつては美や善、真実は人々が決めるものではなく権威が決めるものだった。人間至上主義では人々は自分の欲求に従い行動すればよいが、嫌な思いをする他人がいてはならないというのは規範である。政治は有権者によって決まり、製品は消費者によって判断される。教育も自ら考えることが重視されるようになった。神の世界には何もなくなり、自分の内なる世界が重視されるようになった。中世は知識=聖書x論理だったが、現在は知識=経験x感性だ。
 人間至上主義も宗教と同じように3つの宗派に分かれた。自由主義的な人間至上主義、ロシアに主導された社会主義的な人間至上主義、ヒットラーに主導された進化論的な人間至上主義である。自由主義は各人の自由のコンフリクトに対しては民主主義で解決しようとするが民主主義は基本的な事項で合意した集団が必要なため国家などの形態をとっている。社会主義は自分の欲望よりも国家や中間組織の意向を優先させる。進化論的な人間至上主義者は特定の国が人類を進歩させ、それを阻害する他の国を根絶やしにするべきだとした。社会主義も工業化についていけずに、自由主義が生き残った。

ポイント ー 第三部:ホモサピエンスの苦悩と未来

 自由主義の哲学は科学的発見がある。2016年の世界は個人主義、人権、民主主義、自由市場の自由主義のパッケージに支配されている。自由主義が個人を重視するのは人間には自由意志があるという前提があるからだ。一方で現代科学は自由を発見できておらず、選択に携わっているのは決定論とランダム性である。ダーウィンの進化論の前提は人の行動が遺伝子に依るという決定論で自由意志を否定している。また欲望に従うことが自由とされているが、人は自分の欲望を選ぶことはできない。そして研究室では電極でラットの欲望をコントロールできているし、人の脳を電極で刺激して鬱を改善させる実験もされている。

 さらに人間の自由意志の選択を権威としている自由主義の脅威は3つある。一つ目は高度なテクノロジーによって今まで必要だった仕事でも人が不要になること。2つ目は決定がアルゴリズムによってなされて、それを人は心地よく感じるようになるので、アルゴリズムが決定する世界になること。3つ目は人が経済力によってアップデートされたエリートと無用の人たちに二分されること。

 自由主義が崩壊したらどのようなイデオロギーが子孫の進化を支配するのか。1つ目はテクノ人間至上主義だ。テクノロジーによって人間の心をアップデートして第二の認知革命を起こしホモデウスを生み出す必要性を説く。しかし心の研究範囲は限られていてアメリカ人が大半でネアンデルタール人の感覚や他の哺乳類や生物の感覚なども研究できていない。また人間の感覚をコントロールできたとすれば人間至上主義が拠り所にする意思をコントロールできることになり、矛盾を抱える。

 2つ目はデータ至上主義だ。自由市場資本主義と国家統制下共産主義はデータ処理の観点でいうと前者は分散型処理、後者は集中型処理である。政治が世界の変化についてこれないからといって、市場に委ねると市場にとって良いことばかりをするようになり、温暖化やAIの危険への対処を怠る。また人類の発展をプロセッサによる分散処理とその接続というデータ処理の観点で捉えることもできる。データ市場主義者の中には情報の自由を説く人もいる。個人情報の自由はプライバシーの問題があるが、人はSNSを通じてすでに多くのデータを”シェア”している。結婚における伴侶の選択もキャリアの選択も”感情”に依るのでなく、アルゴリズムに依る方がよいのかもしれない。

 

人は自分の欲望を選ぶことはできないー哲学。電力、人口知能は過去のデータ。非論理的に選択しているかもしれない。

最後

 本書にかかれていることは可能性であるという。3つの問いがある。生物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?知能が意識から分離しつつあるが、知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?高度な知識を備えたアルゴリズムが自分より自分を知る時に社会や政治や日常生活はどうなるか?と締めている。

 いろいろ自分の視点からのツッコミができるので面白い。ホモサピエンスの分析では哺乳類との比較をメインにしているが、実は鳥類とか昆虫とかだって共同主観は持っていないかもしれないが重要な地位を占めないのだろうか。将来は知能をもったロボットとの戦争ではなく、カラスとの戦争になるとかだったら面白い。二酸化炭素の話が出てくるが、それも宗教じゃね?また人の自由意思についてスピノザなどがすでに考察している。
 最後にはアルゴリズムとデータを推しているが、そこまで推すほどのものでない気もする。世界を知覚するためにもっと多種多量のセンサがいるし、それを計算するために巨大なコンピュータが必要で、巨大な電力もいる。またデータを使った予想は過去の成功例からの結論に過ぎない。また人間の合理的でない部分は簡単にはモデルかできないと思うし、中央集中的なアルゴリズムでなく、分散並列的なアルゴリズムが良いとなった場合には人間の方が省電力で住むかもしれない。ただ核融合とかで人類が無限のエネルギーを手に入れたら、それこそ世界は一変するだろう。

 ハラリさんはマルクスの予言は偉大で世界を変えたと言っているので、ハラリさんも予言で未来を変えたいのではと思うけど、話がグーグルなどの最近の話なので、10年後に読んだら古めかしい話になっているのかしら。人類の未来について考えてみたい人や、ハラリさんの説にツッコミを入れたい人はおすすめです!