ピンポン

2002 アスミック・エース 曽利文彦

 名前はよく聞いたことがあったが、見たことがなかった。窪塚洋介さんが出ていると知っていたが、少し窪塚洋介さんがメディアに取り上げられていたので、興味が出てきてNetflixでみた。

登場人物・世界観

 星野(窪塚洋介)はペコと呼ばれているが、高校一年生で卓球で頂点を目指すと言っているが、卓球部の練習ではマイペースでさぼってばかりいる。エキセントリックな正確である。幼馴染の月元(井浦 新)はスマイルと呼ばれていて、ペコといっしょに卓球部に所属しているが昔のいじめもあり厭世的で卓球にも身が入らない。卓球部顧問である小泉丈(竹中直人)は月元の才能を見抜き伸ばしたいと考えているが本人のやる気がなく、なかなか振り向いてもらえない。

物語の始まり

 ペコは小さい頃から練習している卓球場タムロでたむろして地元の男性などと対戦している。月本は先輩から部活に来ないペコを呼んでこいと言われて、卓球場に向かう。道中いじめからペコに助けられた昔を思い返して、卓球に打ち込んで自信に満ちているペコに憧れていたのを思い出す。翌日はふたりとも部活に出るもサボって隣の学校に道場破りに行くもチャイナイと呼ばれる強豪にペコは完敗する。顧問の小泉はインターハイに向けて月元に特訓を付けたいがなかなか相手にしてもらえない。そうしてインターハイを迎え、二人ともボロボロに破れるのである。

テーマ

 物語は星野と月元の成長の物語である。自分の殻に閉じこもっている月元が真に自分と世界に向かい合おうとしてあがく青春も眩しい。男と男の戦いやラブコールやジェラシーで、女性の影がないのは気になる。。

最後に

 片瀬高校という設定だが、片瀬江ノ島の見慣れた海岸や江ノ島などが出てきてほっこりする。路面電車とかも出して綺麗な江ノ島のプロモーション仕立てにしても良かった気もする。あとは何と言っても随所に出てくる卓球のCGやその他のCGは自然でほとんど分からない。こういうCGは素晴らしいなぁと思う。

 卓球に心得がある人もない人も楽しく見るエンターテイメント映画である。ぜひこのCGは見てほしいとも思う。

「民族」で読み解く世界史 教養として知っておきたい

2018 日本実業出版社 宇山 卓栄

 民族という切り口が面白そうで手にとったが、世界全体を民族の切り口で語っていて非常に面白かった。

本の構成

 8部24章で構成されている。第一部「民族はこうして始まった」では民族は人種や国民とどう違いのか、大まかな語族による分類、インドヨーロッパ語族の「白人」のルーツについてを説明する。第二部「東アジアと日本」では中国の王朝と民族について、中華思想、日本と渡来人・白村江の戦いについて、朝鮮半島の王朝と民族について説明しています。第三部「世界を支配したヨーロッパの国々」ではローマ人の末裔のラテン人・ビザンツ帝国の流れをくむスラブ人・ヨーロッパを開墾したゲルマン人について、ノルマン人による王朝、北欧信仰について説明しています。第四部「インド・中東・中央アジア」ではインドに流入したモンゴル人とカースト制、イスラム勢力に倒れたイラン人の国、非アラブ人の国とベルベル人、西に移動していってハンガリー・ブルガリア・フィンランドまで達したトルコ人、三系統のユダヤ人とイスラエル建国を説明している。第五部「複雑に入り組む東南アジアの諸民族」では東アジアの語族たち、ベトナム人・タイ人・クメール人のインドシナ半島の三勢力と流入したミャンマー人、マレー人・ジャワ人の王国について説明している。第六部「アメリカ、アフリカ、民族に刻まれた侵略と対立の傷跡」ではラテンアメリカ人、アフリカの4語族と奴隷貿易、ワスプとブラックインディアンについて説明しています。第七部「大帝国の成立ー民族の融和」では4つのモンゴル人の国とモンゴル帝国の経済モデルと西走、満州人のビジネスモデルと清帝国の宥和政策と民族主義、オスマン帝国の民族融和政策と民族ナショナリズムによる分裂と列強による分割とクルド人について説明しています。第八部「民族の血糖が教える世界」では、主権国家と国民国家の違いとグローバリズムに対する反動、アメリカで発展した白人優位主義と排日思想や黄禍論について説明しています。

気になったポイント – バスク人の先祖

 バスク人はクロマニョン人の末裔という説は興味深かった。モンゴロイドは原人と混血していないというが、本当なのだろうか…。

気になったポイント – 民族の移動の関連性

 ゲルマン人の第一の移動でローマ帝国の侵食したが、その後にウマイヤ朝のヨーロッパへの侵攻に対抗するためにバラバラだったゲルマン人が統合されてフランク族のカール大帝の帝国ができた。第二のゲルマン人の移動はヴァイキングの活動で、ノルマン朝やルス族によるノブゴロイド朝(ロシア)と説明されている。ゲルマン人を押し出したフン族は謎だが、トルコ人がはじめに西に移動して、その後モンゴルアジアではチベット人の国の南詔から派生したミャンマー人の流入やタイに流入した雲南の中国系など。

 世界史には民族の移動が様々な結果を生み出しているのだろうけれども、素人には関連性がはっきりと理解できて面白かった。

気になったポイント – 各民族のビジネスモデル

 インド・ヨーロッパ語族が小アジア中東で起こしたヒッタイト王国での製鉄技術の独占で儲けた。突厥も製鉄で儲けて中国に侵食していく。東ローマ帝国は東方貿易で儲けるが、温暖化とゲルマン人の開墾により東方貿易が縮小し東ローマ帝国も縮小していく。ノルマン人は海上の交易ネットワークを形成し巨万の富の蓄積した。モンゴル人はシルクロードの交易を整備して通行料をとって儲けた。大航海時代でシルクロードの交易が下火になってくるとインドに下ってムガル帝国を作った。満州人はモンゴル、明王朝、朝鮮との互市貿易で儲けた。クメール人の扶南やインドシナ半島のシュリーヴィジャヤ王国はインドと中国の海上貿易で栄える。アユタヤ朝はポルトガルなど大航海時代の交易で儲ける。砂糖・綿花の価格低下したり奴隷を再生産して奴隷貿易がなくなった。

気になったポイント – 文化の吸収

 文化の面でも統治の観点もあったとは思うが、文化を吸収するということが起こっていた。中国文化についてはモンゴル人の北魏の婚姻の奨励、突厥の中華思想の推進、清の中華同化制作などが見られる一方で、モンゴルのフビライは漢字を国家の公用語と認めなかったりしている。

最後に

 ノルマン朝がイギリスとフランスの一部を領地にしていたというのは古代日本の状況と似ていて興味深かった。やはり海洋民族はそのような支配になるのではないか。日本の勉強のためにも世界史は面白い。

 かなり広範囲の世界史を扱っているわりにコンパクトで図解なども多く読みやすいです。世界史の流れや各民族のルーツなどを知りたい人にはおすすめです!

浅草キッド

2021 Netflix 劇団ひとり

ビートたけしの小説を元にした映画。予算もあるNetflix映画だし柳楽優弥が出演していたので気になってみてみた。

登場人物・世界観

 ビートたけし(柳楽優弥)は何かをしたいがきっかけを掴めない。深見千三郎(大泉 洋)は舞台上からお客をもたしなめるような頑固なコント芸人。ときは1970年前後でテレビが普及しだしカラー化し始めている。時代の上昇気流を感じられるような空気が漂う。その一方で古いメディアであった劇場などからは客足が少しづつ遠のいていく。

物語の始まり

 大学生活に馴染めないでいたビートたけしは、浅草にあるストリップ劇場のフランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイを始める。座長であった深見千三郎は芸人になりたいと言うたけしに少しづつタップダンスを教えて試していく。ある日、たけしが練習しているところを見た師事はその成長を評価し、前座芸人としてコントに出演させる。たけしは舞台で徐々に頭角を現していくが、テレビでの漫才ブームにあやかりたいとフランス座を飛び出す。コントを捨てて、きよしと漫才コンビを結成するも、思うようにはいかない。

テーマ

 テーマは師弟の絆であろう。深見千三郎は弟子を思って食事に誘ったり、先行きを心配したりする。一方のたけしは破門されても師匠として慕う。「師弟関係」というものの重さがよく理解できた。いろいろなところに現れていたと思う。

 深見千三郎とビートたけしのやり取りなどは粋だし、こんな師匠に付いていきたい!と思わせる温かい師匠像である。ふと師弟の絆と書いたが、そもそも絆は師弟の中に組み込まれているのかもしれない。

最後に

 見どころは柳楽優弥演じるビートたけしだと思う。モノマネではないけど似ているし、何か全体的な不器用な感じに親近感が湧く。ストリップ劇場や当時の風景などをしっかりと捉えていてあの時代に没入できる。ただ後半に向かって感動させるぜ!という演出が強い気もして、もう少しサラリとしていたも良かった。とはいえ、1970年代の雰囲気の中で、すでに伝説となっているビートたけしの半生に迫っていて素晴らしかったし、タップダンスも素晴らしかった。

 ビートたけしを知っている人は見て損のない作品である!ビートたけしを知らない人はあまりいない気もする。

働かざる者たち

2017 大映テレビ 有働佳史

 「働かないおじさん」というワードをよく聞くが、Netflixでたまたまタイトルを見て、興味が湧いた。

登場人物・世界観

 橋田一(濱田岳)は毎産新聞社の社内システムエンジニア。コンピュータシステムや個人のパソコンのトラブルを解決する裏方業務でやる気がない。副業のギャグ漫画の執筆をすることで、好きでもない業務とのバランスをとっている。新田君は同期のエース記者で新聞のトップに踊るような記事を書いている。川江菜々は派遣社員でやる気なく働いている。八木は同期が出世するなか仕事に縛られず、定時で退社し年甲斐もなく合コンに参加している。

物語の始まり

 そこそこに働いている橋田一に毎日のようにちょっかいをかけてくる八木沼豊。社内で出世している人が多いことから【伝説の94年組】と言われる同期たちの中でただ一人会社に縛られずにいる八木の姿は、自由気ままに人生を謳歌しているように見える。また忙しく働いている同期の新田の姿にも憧れる。さらにヒョンなことから川江菜々にも漫画を描いていることがばれてしまう。

テーマ

 会社に所属してい働くとは何か。ということをいろんな働かない人を見ながら考えていく。働いていないように見える人も理由があったりする。仕事に情熱をそそいで来た人も少し間違うと働かなくなったりする。

 ファイアーしたけど、やっぱり働きに戻ったという話を最近みたが、社会との繋がりとして働くことは必要なのだと思う。ただあまりにも働くことに向いていない、ストレスがあるという人は別。とはいえ、アルバイトでも働くということは少なからず責任は伴うことなので、多かれ少なかれストレスはある。みんな何かしらのバランスをとって日々を過ごしているのだとは思っていたが、このドラマを見てそれをよく理解できた。

最後に

 会社勤めをしている人にとっては一癖あるようなキャラクタたちではあるが、いそうな人たちで引き込まれてしまう。何か定まらずイベントドリブンで何とか日々をこなしている主人公も魅力的である。とはいえ、池田イライザさんの演技が一番印象に残っている。美しい。。。

 働いてはいるもののどうも面白くない、働かないオジサンがいるというようなサラリーマンにはおすすめです!

アグレッシブ烈子

2018- Netflix ラレコ

アグレッシブ烈子はもともとは番組内のアニメだったようだが、Netflixでシリーズ化されている作品。日本の社会の変なところを風刺しつつ、その中を健気に戦い抜いていく烈子を動物の姿で描いている作品。

登場人物

烈子はキャラリーマン商事株式会社の経理部に勤務するOL。普段は当たり障りなく行きているが、そのうちに怒りをためており、カラオケに行きデスメタルの歌で解消している。同じ部にはその列子に思いを寄せているハイ田君がいる。しかし、奥手というか自信が決定的になく覇気もない。人はよくいろいろ助けようとしてくれる。物語のもう一人の主人公である。そのハイ田を毒舌で切ったり上から目線で烈子にアドバイスしたりするフェネ子がいる。周りを烈子の静動を監視して、暴走する烈子を止めたり動かしたりする。

物語のはじまり

 OLになって5年後から物語は始まる。会社に行きたくない。それでも気力を振り絞ってベッドから起き出し用意をして出発する。出勤にはマイマイクを持っていくことも忘れない。通勤では満員電車で気持ち悪いおじさんに囲まれて息を吹きかけられながら電車にゆられる。やっと会社にたどり着くと疲れ果てているが、自分がサンダルで来ていることに気付く。更衣室ではキャピキャピしてウザい角田やウワサ好きのカバ美さんに襲来されてさらに疲れる。自分のデスクに着くとそして真打ちが現れる。モンスター上司のトン部長。そして雑用当番を忘れていて、急いで雑用をさせられる。さらにトン部長から「茶を入れろ、女の仕事だ」と言われて茶を入れると、お湯であると言われて「できない女はムカつくが、できない女よりマシだ」とか言われて、さっそくトイレでブチ切れる。ほとぼりを冷ますために休憩室で油を売るが、帰ってくるとさっそくトン部長から理不尽な仕事をふられて残業をする。そして残業の果にカラオケで秘密の趣味をたしなむのである。。

気になった点

 基本的には女性を中心として日本の男尊女卑社会での人々の生きにくさを表現しているものと思っている。烈子はパワハラやいやなこともあるし、女性の場合には同性も的だったりもする。しかし烈子の凄さはその状況に甘んじないで常に自ら行動していくところである。そして、それは回を追うごとにエスカレートしていき、シーズン5ではとんでもないところにまで行き着くのである。

最後に

 とにかく脚本が男性とは思えない細やかな女性視点で、日本社会の歪んだ点がよく分かるし、(Netflixは全体的にそうだけど)リベララルな視点も良くて、根強いファンがいるのは納得できる。シリーズごとに新たな展開があり烈子の世界は無限に広がっていく。あれよという間に5シーズンが終わったが、新しいシーズンも待ち遠しい。日本の会社社会に生きる皆様に是非見ていただきたい作品です!

ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来 上・下

2018 河出書房新社 ユヴァル・ノア・ハラリ(著), 柴田裕之(訳)

ハラリさんのサピエンス全史の次の作品として気になったので、読んでみた。

本の構成

 飢饉と疫病と戦争を乗り越えたホモサピエンスには次の課題が必要だ。1つ目は死を乗り越えること。2つ目は幸福感を我が物にすること。加速する資本主義がもたらす科学の進歩は止められない。マルクスの思想が資本家の行動を変えたように、新しい知識も再帰的に未来を変えるために予測もできない。

 第一部では他の動物たちを比較して、共同主観とがホモサピエンスを特別なものにしていると説く。第二部ではホモサピエンスは共同主観によってお金、神、国家、起業を作り、科学でそれを強化してきたと説く。もっと力を得るために人生の意味を捨て、人の自由意思を権威とする自由主義的な人間至上主義を打ち立てた。第三部では自由主義的な人間は自由意志の存在を礎にしているが、自由意志はあるのか?感情を持たないアルゴリズムの方が首尾よく働くし正確で人々は心地よいので、社会システム全体がアルゴリズムやデータによって決定するような方向に変化していくと説明する。

ポイント ー 第一部:ホモサピエンスの特別性

 世界の大型動物の重さを比較すると3割が人類、6割が家畜、野生動物は1割。アミニズムでは人間は野生動物の一部だったが、農業革命によって人間が動物たちと話せなくなったアダムとイブの神話があるが、つまり家畜が生まれた。聖書などでは動物たちとの繋がりが廃されて、神を通して人は自然(動物)にアクセスする。農業革命が有神論の宗教を生み出し、神と人間の世界を作り、動物の残酷な利用を正当化した。その次に起こった科学革命は人間至上主義の人間だけの世界を誕生させた。(生物はアルゴリズム。感覚もアルゴリズム、ほとんどの決定をしている。)

 人は強力だがそれは豚の命より人の命が尊いことになるか?人間には不滅の魂があって、動物にはないからだと一神教は答えるが、科学的に人間には魂が発見されていない。人間には意識ある心があるからだと答えもある。魂は物語だが、心は主観的経験だ。心は存在理由が分かっていない。感情はなぜあるのか?記憶や創造や思考は結局アルゴリズムではないか。心も発見されていないとすれば、それはエーテルと同じ想像上の産物ではないか?心がなくてもアルゴリズムは目的を達成するので、なくても良いのではないか。では人間以外の動物には心はないのか?ラットにも心はある。チンパンジーも人間と同じように不平等を良しとしなかったりする。ではなぜ人間が優れているのか?それは大規模に協力できるからだ。共同主観とも言える「意味のウェブ」がそれを可能にしている。

ポイント ー 第二部:ホモサピエンスが作った世界

 「意味のウェブ」ではどんな物語が語られているか?動物は客観的世界と自分の感覚の世界で暮らしているが、人間にはお金、神、国家、起業の物語の世界もある。ファラオもエルヴィス・プレスリーも何もしていなかったが虚構のシンボルとして存在し、実際の現実を動かした。グーグルなどの企業という虚構も実際の現実を動かしている。貨幣が創造の産物の紙切れだ!と否定するとかなり生きづらいのと同じように十字軍が送られていた頃にキリスト教の聖典や古代エジプトでファラオの神聖を否定して生きるのは難しかった。現代でも紙切れが世界の価値観を作る。紙幣、学位、経典。それらの虚構は評価基準を提示するので、集団の目標も左右する。キリスト教が戦争を起こしたりして人々を苦しめる。現在でもふと気付くと虚構であるはずの国家や貨幣や企業のために人生を犠牲にしていたりする。

 科学は虚構に取って代わる普遍的な事実と思う人もいるが、虚構を現実に合わせるために科学は現実を変えることができるので神話と宗教の力を強めた。宗教とは霊性や超自然的な力、神の存在ではなく、変えることができない道徳律の体系に人類が支配されているという。それによって社会秩序を維持して大規模な協力体制を組織するものである。霊的な旅とはそれとは真反対のもので、道徳律から逃れようとする試みのことだ。また科学は幸せや良し悪しなどの人間の行動の判断基準を作るものではない。科学と宗教はどちらも集団的な組織としては、心理より秩序と力を優先する。両者は相性が良い。ということで、人間至上主義の教義は科学理論に取って代わることはない。歴史を通じて、科学は人間至上主義との間の取り決めを形にしていったと見ることができる。

 現代人は力と引き換えに人生の意味を捨てる約束をした。過去の虚構の中では人生に意味があったが、その世界観によって人の行動は制限されていた。現代は絶え間ない研究、発明、発見、成長を続けているが、意味もなく結末もない。しかし資本主義は信用経済を通じて経済成長を良いもの、優先すべきものと規定して、家族との絆よりも優先すべきものと価値判断を提供し、宗教の領域にも入ってきている。資本主義のサイクルに終わりはなく「これ以上は成長しなくて良い」とはならない。また原材料とエネルギーには限界があるが、知識に限界はない。北京の大気汚染など成長による不利益を富裕層は新しい方法で回避する。一方で温室効果ガスなどによる被害を貧しい人は回避できない。資本主義には経済破綻や生態系のメルトダウンというリスクはあるが、今の所起こっていない。グローバルな協力によって飢饉や疫病、戦争を抑え込んでいる。しかし競争のストレスが多く、意味のない世界を人間はどうやって生き延びているのか?それが人間史上主義だ。

 力を提供してくれる代わりに、人生の意味を与えてくれる宇宙の構想の存在を信じるのをやめる必要がある。意味を失う・神の死は社会の崩壊を招くが、今の所、力を維持しつつ、社会の崩壊を回避している。意味も神も自然の方もない生活への対応策は、人間至上主義が提供してくれた。かつては美や善、真実は人々が決めるものではなく権威が決めるものだった。人間至上主義では人々は自分の欲求に従い行動すればよいが、嫌な思いをする他人がいてはならないというのは規範である。政治は有権者によって決まり、製品は消費者によって判断される。教育も自ら考えることが重視されるようになった。神の世界には何もなくなり、自分の内なる世界が重視されるようになった。中世は知識=聖書x論理だったが、現在は知識=経験x感性だ。
 人間至上主義も宗教と同じように3つの宗派に分かれた。自由主義的な人間至上主義、ロシアに主導された社会主義的な人間至上主義、ヒットラーに主導された進化論的な人間至上主義である。自由主義は各人の自由のコンフリクトに対しては民主主義で解決しようとするが民主主義は基本的な事項で合意した集団が必要なため国家などの形態をとっている。社会主義は自分の欲望よりも国家や中間組織の意向を優先させる。進化論的な人間至上主義者は特定の国が人類を進歩させ、それを阻害する他の国を根絶やしにするべきだとした。社会主義も工業化についていけずに、自由主義が生き残った。

ポイント ー 第三部:ホモサピエンスの苦悩と未来

 自由主義の哲学は科学的発見がある。2016年の世界は個人主義、人権、民主主義、自由市場の自由主義のパッケージに支配されている。自由主義が個人を重視するのは人間には自由意志があるという前提があるからだ。一方で現代科学は自由を発見できておらず、選択に携わっているのは決定論とランダム性である。ダーウィンの進化論の前提は人の行動が遺伝子に依るという決定論で自由意志を否定している。また欲望に従うことが自由とされているが、人は自分の欲望を選ぶことはできない。そして研究室では電極でラットの欲望をコントロールできているし、人の脳を電極で刺激して鬱を改善させる実験もされている。

 さらに人間の自由意志の選択を権威としている自由主義の脅威は3つある。一つ目は高度なテクノロジーによって今まで必要だった仕事でも人が不要になること。2つ目は決定がアルゴリズムによってなされて、それを人は心地よく感じるようになるので、アルゴリズムが決定する世界になること。3つ目は人が経済力によってアップデートされたエリートと無用の人たちに二分されること。

 自由主義が崩壊したらどのようなイデオロギーが子孫の進化を支配するのか。1つ目はテクノ人間至上主義だ。テクノロジーによって人間の心をアップデートして第二の認知革命を起こしホモデウスを生み出す必要性を説く。しかし心の研究範囲は限られていてアメリカ人が大半でネアンデルタール人の感覚や他の哺乳類や生物の感覚なども研究できていない。また人間の感覚をコントロールできたとすれば人間至上主義が拠り所にする意思をコントロールできることになり、矛盾を抱える。

 2つ目はデータ至上主義だ。自由市場資本主義と国家統制下共産主義はデータ処理の観点でいうと前者は分散型処理、後者は集中型処理である。政治が世界の変化についてこれないからといって、市場に委ねると市場にとって良いことばかりをするようになり、温暖化やAIの危険への対処を怠る。また人類の発展をプロセッサによる分散処理とその接続というデータ処理の観点で捉えることもできる。データ市場主義者の中には情報の自由を説く人もいる。個人情報の自由はプライバシーの問題があるが、人はSNSを通じてすでに多くのデータを”シェア”している。結婚における伴侶の選択もキャリアの選択も”感情”に依るのでなく、アルゴリズムに依る方がよいのかもしれない。

 

人は自分の欲望を選ぶことはできないー哲学。電力、人口知能は過去のデータ。非論理的に選択しているかもしれない。

最後

 本書にかかれていることは可能性であるという。3つの問いがある。生物は本当にアルゴリズムにすぎないのか?知能が意識から分離しつつあるが、知能と意識のどちらのほうが価値があるのか?高度な知識を備えたアルゴリズムが自分より自分を知る時に社会や政治や日常生活はどうなるか?と締めている。

 いろいろ自分の視点からのツッコミができるので面白い。ホモサピエンスの分析では哺乳類との比較をメインにしているが、実は鳥類とか昆虫とかだって共同主観は持っていないかもしれないが重要な地位を占めないのだろうか。将来は知能をもったロボットとの戦争ではなく、カラスとの戦争になるとかだったら面白い。二酸化炭素の話が出てくるが、それも宗教じゃね?また人の自由意思についてスピノザなどがすでに考察している。
 最後にはアルゴリズムとデータを推しているが、そこまで推すほどのものでない気もする。世界を知覚するためにもっと多種多量のセンサがいるし、それを計算するために巨大なコンピュータが必要で、巨大な電力もいる。またデータを使った予想は過去の成功例からの結論に過ぎない。また人間の合理的でない部分は簡単にはモデルかできないと思うし、中央集中的なアルゴリズムでなく、分散並列的なアルゴリズムが良いとなった場合には人間の方が省電力で住むかもしれない。ただ核融合とかで人類が無限のエネルギーを手に入れたら、それこそ世界は一変するだろう。

 ハラリさんはマルクスの予言は偉大で世界を変えたと言っているので、ハラリさんも予言で未来を変えたいのではと思うけど、話がグーグルなどの最近の話なので、10年後に読んだら古めかしい話になっているのかしら。人類の未来について考えてみたい人や、ハラリさんの説にツッコミを入れたい人はおすすめです!

ばにらさま

2021 文藝春秋 山本 文緒

 大ファンの山本文緒先生の長編が出た後にすぐに短編が出ておどろいで即買った。

本の構成

 派遣社員と付き合っている中嶋の話(ばにらさま)/専業主婦の話(わたしは大丈夫)/胡桃と舞子の付かず離れずの生活(菓子苑)/祖母の昔話(バヨリン心中)/避暑地の作家の話(20×20)/結婚しない女性の生き方の話(子供おばさん)の6編の短編が収録されている。

物語の始まり

 中嶋はもてない新入社員だが、同じ会社の派遣社員の竹山さんに誘われて付き合うことになる。竹山さんは白くて手足が冷たいので友達は「バニラさま」と呼んでいる。デートをしているが、何かチグハグな感じである。

最後に

 繊細な内容なので細かく触れたくない。もちろん分析的なこともおこがましくてできない。ただ全編に人生の物悲しさというか、やるせなさのような詰まっていると感じる。さらに読み返すと、派遣社員などへの問題提起や、没落していく日本への警告も詰まっているようにも感じた。山本先生からのメッセージなのかもしれない。

 短編で読みやすいし、女性についての話だけど多くの人に読んでもらいたい。なんとも言えない読後感を味わってもらいたい。やはり女性におすすめなのかな。けど、ぜひ男性諸君にも読んでもらいたい!

SNS-少女たちの10日間

2020 Hypermarket Film, Czech Television, Peter Kerekes, Radio and Television of Slovakia, 

SNSをめぐる少女たちがさらされている現実を撮ったドキュメンタリー。ビッグイシューで読んだいたが、その後にネット記事で紹介されていて、見てみたら想像以上でした。

構成

 三人の女性が未成年の少女になりすまして、女の子っぽいセットの部屋からパソコン経由でSNSにアクセスして書き込みをしたり画像つきで会話したりする。様々な男性が卑猥なことを言われたり、写真などを送りつけられたり、ネットごしの性的な嫌がらせをする男性たちをに合う様子を描く。

気になったポイント

 基本的には社会でうまく行っていない人たちのストレス発散のようにも思っていたが、実際には知り合いの普通に見える男性すらも同じような行為に及んでいたのには驚いた。

最後に

 とにかく本当にひどいなと思った。女性は日々様々な被害にあっているのだろうけれど、特に未成年の女の子がSNSにアクセスするのは危険だと思った。まともな男性は一人しかいなかった。仕事場でも女性だとメールをするだけでいろいろあると聞いたことがあったが、同じような感じになっているのかと思った。

 弱いものを狙って鬱憤を晴らすクソみたいな男性を見たい人や女性の性的被害の状況をしりたい人にはおすすめです!

息子

1991 松竹 山田洋次

 若い時に見て感動した作品。娘に見せたくて見てみたが、自分も以前と変わらず感動できた。ただ昔は気づかなかったお父さんの感情に大きく共感できた。

登場人物

 時代は1990年代のバブル景気のころ。哲夫は岩手から出てきてアルバイトをして不安定な生活を送っている。父の昭男は妻を亡くし岩手で一人暮らし、哲夫を心配している。征子(せいこ)は鉄工所の得意先である製作所で働く工員だが、聴覚に障害がある。

物語の始まり

 東京の居酒屋でアルバイトをしている哲夫は、母の一周忌で帰った故郷の岩手でその不安定な生活を父の昭男に戒められる。その後、哲夫は下町の鉄工所にアルバイトで働くようになるが、製品を配達しに行く取引先で征子という美しい女性に好意を持つが、なかなかきっかけを掴めない。哲夫の想いは募るが、あとから彼女の障害について知る。

テーマ

 哲夫は征子の障害を物ともせずにアプローチしていく。一方の征子ははじめは戸惑うが徐々に真摯な想いを理解していく。二人の様子は美しく描かれている。父の昭男は落ち着かない「息子」を心配しているが、結婚を申し込んだと知って驚く。「本当に哲夫でいいのか?」と征子を本気で心配する。心優しく美しい征子が哲夫で良いというのと昭男は嬉しくて眠れなくなってしまう。

 以前は障害の困難を乗り越えて共に手を取り合って歩む姿が心に残った。もちろんその姿も変わらず印象的だったが、今回は息子を心配する父と喜ぶ父、極めつけの最後の回想シーンがグッと来た。自分もいつかこのような感情を抱くのであろうかと。

最後に

 息子や父の描写の他に、時代の雰囲気の描写が非常に勉強になる。寂れていく農村、地方からの出稼ぎで東京の発展が支えられていたこと。今よりも熱気があった時代。そんな時代描写などは郷愁を感じさせるように描かれてもいるが、実は日本の問題点を描いている気もする。

 息子を持つ父親は特に、子を持つ父親は見なくてはいけない名作。広く鑑賞されてほしい作品です。

ゲキカラドウ

2021 テレビ東京

登場人物

 猿川健太は苦戦している東京支社を支援するために大阪本社から異動になる。上司の谷岡やその他クセのある面々が揃う。

物語の始まり

 大阪から異動になった猿川はさっそく小さな酒屋の営業にいく。しかし店主はとりつく島もない。歓迎会に呼ばれると韓国料理屋であった。同僚たちは真っ赤で辛いものをモリモリと食べていき、部内の人たちは全員辛いもの好きだと知り、部長の谷岡は本物の辛さを知ってこそ困難に打ち勝つ力になると説き、辛いという字に一本足せば幸せという字になる、という。その後、辛いラーメンを食べて、力を満たし、心機一転営業に励む。

テーマ

 辛い世の中も踏ん張って解決策を探していく物語。辛(ツラ)いと辛(カラ)いが掛けられている。辛い料理の数々も見どころ。

最後に

 物語を見ていると辛いものが食べたくなってしまう。実際に食べてみるとやっぱり辛くてあまり食べられなかったりもする。物語は登場人物がぶつかる問題への対処をテーマにした群像劇となっている。辛い物を食べて「仕上がった」状態になること間違いなし!