インカとスペイン帝国の交錯 (興亡の世界史 12)

2008 講談社 網野 徹哉

 インカは大好きである。その出会いは幼少期にまで遡り、太陽の子エステバンというアニメで大きな刺激をうけて、大学卒業時には今しかないとマチュピチュまで行って神秘を感じてしまった。この本を読んで少しインカへの見方が変わったと思う。

本の構成

 第一章「インカ王国の生成」ではインカ王朝創始の場所から始まり第9代パチャクティの時代に外敵との戦いに勝利しクスコ周辺の一部族から帝国を築くに至る。12代の王朝や帝国が築いた6000キロ以上のインカの道の紹介をする。アンデスの相互に依存する経済とインカが帝国した後の変質と富の集約を語る。インカ王が神格化されて過去の王のミイラの信仰などの様子が確立されていくと共に太陽信仰や農耕の儀式に携わる様子が描かれる。
 第二章「古代帝国の成熟と崩壊」では帝国を拡大するために各地に赴き戦うと共に献杯の儀式により周辺の社会を従わせ支配する様子が描かれる。皇帝の統治下ではインカの平和が築かれたが、地方社会は国領・神領・民領に分割されて統治され、地方社会は重税や人の派遣を負い、太陽神の信仰を強制された。しかし第11代ワイナカパックのころには帝国の北端で敗戦しこれ以上の拡大に影がさしてくる。また帝国の末期を示唆する事象として、虐げられる地方の説明が続く。クスコから1600キロ離れたカニャル地方に太陽の神殿の建設のための石が運ばれたという。ワイナカパックが死ぬと継承争いが起き、より保守的なアタワルパが勝利する。その頃に海から肌の白い異邦人が渡ってきる。多くの民族がこの異邦人にアクセスしてきていたが、より痛めつけられていたカニャル地方の人が積極的だったという。異邦人がアタワルパ王に接見し王が死ぬまでの様子が描かれる。
 第三章「中世スペインに共生する文化」では視点を中世スペインに移す。1532年のキリスト教徒側から見たインカ帝国の最後を見た後に、異文化であるインカ帝国への接し方の根源にあると筆者が考える1391年頃にスペインであったポグロムと呼ばれるユダヤ人の虐殺について語られる。その背景として7世紀からのスペイン社会からゲルマン民族の侵入と共にユダヤ人への抑圧が強くなっていくが、イスラム帝国による支配下で緩和される。その中で翻訳などによりイスラム圏のアラビア語で畜された知性をラテン語に解放していきヨーロッパの知識人を集めた。そこから聖ヤコブ信仰によりエネルギーを得たレコンキスタでイスラム帝国が排除される。しかしキリスト教下でも当初は制限があるもののユダヤ教への許容があったことが示される。それでも14世紀末にポグロムを経てユダヤ教からキリスト教に改宗する人が出てくる。コンベルソと呼ばれるこれらの人々が社会の上層部に上がっていくと、都市トレドで富裕層であるコンベルソ商人に対する不満が噴出し、コンベルソ地区で略奪が起こる騒ぎになった。
 第四章「排除の思想 異端審問と帝国」では引き続きスペイン帝国でのユダヤ人問題を取り上げる。カスティーリャ王国のエンリケ四世は異教徒に対する宥和的な姿勢がありイスラーム文化愛好家と揶揄されたりユダヤ人のダビラ家のディエゴ・アリアスを重用した。エンリケの後はカスティーリャのイザベル女王とアラゴン王と婚姻が成立しスペイン国家が誕生した。イザベル女王はエンリケ四世と対峙するように非宥和的な強権的な王権を指向し、グラナダのイスラーム王国での虐殺や奴隷化をした。セビーリャでは異端審問が始まりコンベルソが犠牲になった。アンデスの征服を遂行した男たちが育った地方にあるグアダルーペは聖母マリア信仰がありコンベルソに宥和的な姿勢があったが異端審問が始まり拷問や火刑など残忍な極刑が執り行われた。1492年にはユダヤ人追放令が出せれる。キリスト教への転向を条件に帰還も許されるも、キリスト教を軸としてイベリア半島を統一する。ただその王国を統治する文民の中には多くのコンベルソが含まれていた。
 第五章「交錯する植民地社会」では、、、1532年までのスペインの征服者たちの足跡を追う。フランシスコ・ピサロは1513年にパナマに降り立つ。フェルナンド王はダビラ家のディエゴ・アリアスの孫・ペドラリアスを金の探索に派遣するも、現地のバルボアと対立し、バルボアは処刑される。新世界は本国の反ユダヤを逃れたコンベルソたちの活路だったが、ベドラリアスはニカラグアを目指したため、ピサロはコンベルソから資金を得て1524年から南方を目指した。2回の航海を終えて巨大な社会があることを確認した後に一度スペインに戻り征服の許可を得てから三回目の航海に向かう。1532年にインカ王アタワルパを捕虜にして、命と引き換えに金を集めるが約束を保護にして処刑する。そして擁立された第11代ワイナ・カパックの子はクスコに向かう途中に謎の死を遂げる。またワイナ・カパックの別の子マンコ・インカがインカ王候補として出現したためピサロはそれを認める。インカに支配されていた民族はスペインの支配を歓迎する動きを見せて国王に臣従を誓った。ピサロは征服者に周辺の部族の支配をそれぞれに委託し、この委託者により中間搾取が行われる制度だった。委託者に自分の臣下を取られたマンコ・インカはクスコの包囲戦に打って出るが失敗し、その後アンデスの熱帯地方ビルカバンバに拠点を移しスペイン勢力と対立する。同じワイナ・カパックの子のパウリュが即位するがスペインの支配の中でインカを存続させようとする。一方のスペイン社会も不安定でありアルマグロにフランシスコ・ピサロが暗殺されると、ゴンサロ・ピサロはスペインに反旗を翻すが失敗し処刑される。委託制度を恒久化しようとする動きもあるが、ドミニコ会は中間搾取を行う委託制度が地域社会の活力を削ぐ制度として反対して、各部族に対して啓蒙活動を行う。インディオの自主性を主張する言論の中でスペイン社会とインディオ社会を両立させるという思想が出てくる。一方でインカの存在が社会の不安定さの原因になるとまずはビルカバンバの反スペインのインカ族が武力により制圧される。また親スペインのインカ族も追放しようするが強い反発がありクスコに戻ってくる。
 第六章「世界帝国に生きた人々」では帝国の物理的な広がりとその広大な帝国内を行き交う人や物を描く。まずは帝国の広さの話から始まり、神聖ローマ皇帝カルロス五世の移動量や旅行記を書いた冒険家の移動量、帝国内を異動させられた官僚の移動量を描く。本国からの移民の制限についての説明。1540年代にポトシで銀山が発見され採掘された銀は財政難のカルロス五世のもとに送られた。銀山での労働は過酷だったが人口の1/7が送られたが徒歩でポトシに移動しなくてはならないためクスコの住人は片道三ヶ月かけて家族で移動した。過酷な労働はコカの葉と交換されてインディオは中毒になっていた。もともとコカは宗教的儀式と結びつき、生産も国家や共同体で厳密に管理されていたが、スペイン人がそれを手中に収めインディオ社会に大量に流通させた。マゼランが太平洋を超えアジアに達するルートが発見されると、ポトシの銀はアジアに流れて中国の陶磁器や絹織物と交換されてアメリカにアジア製品をもたらした。このルートにのって人の行き来もありリマに移り住んだ中国人や日本人もいた。
 第七章「帝国内の内なる敵 ユダヤ人とインディオ」ではユダヤ人とインディオに対する異端審問による迫害を取り上げる。南米のポルトガル系商人はコンベルソでリマで審問をうけて監獄で拷問を受けていた。また本国では無理やりに改宗されたイスラム教徒が大反乱を起こしたが鎮圧されカスティーリアの各地に強制移動させられるという一件があり異教徒を暴力で排除しようという動きがある。一方ドミニコ会の修道士などは土着の言葉を覚え彼らを理解してアンデスの統治権を先住民に返そうとする。しかし副王トレドの違和を強行に排除するという思想によってインディオ宗教に対する寛容さは制限される。加えてインディオ・ユダヤ人同祖論があり、インディオがユダヤの失われた10支族の末裔であるという言説があり、キリスト教から敵視されていたのもある。トレド副王が一線から退くと抑圧は一時緩和されるが、17世紀の初頭に再び不寛容思想が覆う。1609年に偶像崇拝を根絶するためにインディオの村を急襲し証拠を収集し拷問をするようなインディオを目標とした異端審問が始まった。
 さらに1639年には隠れユダヤ教徒として63名が裁かれ11名が火刑となる異常な状態になった。これは密輸で儲けたコンベルソたちだった。1492年に追放令でスペインを追われたユダヤ人はポルトガルでコンベルソを中心とする強力な商人階層を形成し、同郷者集団=ナシオンとして大西洋にネットワークを形成し密輸により富を集積した。特に16世紀の後半からプレンテーション経営で重要が高まった黒人奴隷の交易で幅を効かせた。その後ナシオンの人々はポトシやリマなど新大陸各地に定着していったが、王室もインディオに悪い影響がないかを懸念する。インディアス海路で行われていた正規貿易に携わる特権的商人は大きな打撃を受けナシオンを規制する組織ができたり、ナシオンがポルトガル人でありながらオランダを支援しているという陰謀論も語られた。これらの反ナシオンの動きが1639年の隠れユダヤ教徒の断罪として結実した。
 第八章「女たちのアンデス史」では女性たちの扱いを描く。スペインからの移住者に女性はほとんどいなかったために男性はインディオ女性と結婚しメスティーソが生まれた。インカ社会でも女性は地方の首長から王国のために差し出したり逆に後宮から恩賞として地方の首長に贈与するケースもあったが、スペイン人政府に対しても女性がやり取りされた。その後、純潔主義からスペイン人はスペイン人と婚姻を結ぶことが奨励されインディオ女性との内縁関係の解消が奨励された。またメスティーソの女性が修道院に入り習慣や作法を学んだ後にスペイン人向けの花嫁市場に投入されたケースもあった。このようなミソジニー社会では女性は魔術にすがり状況を改善しようすることもあり、薬草や薬湯などで男性をコントロールしようとしたりコカをつかった儀式をする動きもあった。
 第九章「インカへの欲望」では手短にインカの大反乱の前駆的な動きについて語る。インカ族はスペインと対立して武力抵抗して破滅した人々と、スペイン人と協調した人々に別れたが、後者はクスコに12の王家を再生させることに成功した。毎年7月25日にキリスト教にまつわる聖ヤコブの祝祭が開催されたが、そこにインカのようなゴージャスな衣装をまとって参加し、スペインの支配下であるがインカ王朝の歴史を再現し継承し続けた。また17世紀後半には非インカのインディオたちがインカ貴族になるための事件が起こったりした。この事件をめぐってインカの純血性が強調されたが、また一般のインディオに対しても純粋なインディオであるべきだという考えもあった。またベタンクールは1750年代からインカの継承権を求めて活動をしていたが、同じようにホセ・ガブリエル・コンドルカンキも1776年にインカ王の末裔であると活動を始めた。ベタンクール家はインカの継承権を得られるが、コンドルカンキは敗北する。敗北したコンドルカンキは1778年に息子にインカ王の衣装を着せてクスコの街を練り歩くというデモンストレーションを行なった。
 第十章「インカとスペインの訣別」では1777年にインディオが放棄してスペイン人を皆殺しにするという噂がまことしやかに流れ実際に計画をしている人々もいた。まずはこの背景を調べていく。16世紀後半以降インディオ社会はスペイン王国に納税を続け、ポトシ銀山付近へも人を送りこまねばならず共同体は疲弊していった。またカルロス三世の元で行われた財政改革で南米での徴税も強化され人頭税や消費税も上がり、税金の徴収のための地方官僚コレヒドールも派遣された。彼らは商品を強制的に分配し料金を払わせるようなことで私腹を肥やした。またコンドルカンキが首長を努めるティンタ地方はポトシ銀山へも遠く負担が重く、インディオは帰れたとしても死んでしまう状態だった。1780年に入ると徴税の負担が各地で限界に達してまずはアレキッパの街で暴動が起きた。
 その後、ラ・プラタ市の首長フロレンシオ・ルパが殺されるが、スペインの利害のためにコレヒドールと共謀しインディオを犠牲にしていた。ラ・プラタ市の共同体はコレヒドールを介さずに直接ポトシの税務官に納税することにより、中抜きのないより多い税を納めることでフロレンシオ・ルパに対抗した。またティンタ地方のマチャでも同じようなことで、トマス・カタリがコレヒドールと対峙して合法的に辛抱強く行動していたがついに殺されてしまう。そしてコンドルカンキも行動に出る。ティンタ地方のコレヒドールの身柄を拘束し処刑する。コンドルカンキの反乱軍はクスコに進み、11月にはサンガララでスペイン支配者側の軍勢に勝利し、6000人ほどだった反乱軍は5万人に膨れ上がった。当初はスペイン王国の王の聴訴院での法廷闘争でインカであることを拒絶されたコンドルカンキはインカであることにスペイン王権の権威が必要なくなっていたのもあり、スペインからの独立してトゥパク・アマルとしてインカの末裔を名乗った。しかしクスコ攻防で失敗し、処刑される。反乱は止まることはなくトマス・カタリの兄弟が過激化させて継続させるがラ・プラタ市で敗北する。同じようにフリアン・アパサもラ・パス市を包囲するが敗北する。そしてインディオと白人の深い溝を残して数年の反乱は終息した。インカを恐れたスペインによってインカの衣装も禁止された。1808年本国スペインでもナポレオンがカルロス四世を廃位させるのと呼応して、アンデス地域でも独立革命の動きが加速していく。しかしインカの時代がしのばれるも、その主役であったインディオについては尊ばれないようになった。

気になったポイント

 まず南米の地には以前も帝国があったことがさらりと図示されていたのが印象的だった。これらの帝国の遺産の上にインカの道や技術などのインカ帝国の文明があったと考えるのが自然だと思う。好戦的な部族同士の衝突がたくさんがあったが、インカはその中でも戦いにうまく勝ち上がり、部族の統合を成し得たように読めた。

 本書はちょっとユダヤ人の視点が多いような気がするが、ユダヤ人からみたレコンキスタは印象的だった。寛容なイスラム国家で活躍していたユダヤ人がキリスト教国では迫害されていくようすは興味深かった。

 また修道士の様子が何度か出てくるが、布教を通じて現地の言語や文化に通じるようになる修道士はリベラルな態度を持っているというのは興味深かった。それはキリスト教自体は寛容なものだということにも思えた。

 反スペインの蜂起はうまくいなかったのは悲しかったが、スペイン人が混血を持ち込んだりしていることで、社会が分断されてうまくまとまらないのに加えて、カニャル地方の人々など反インカの部族などがいたことも原因である気もする。

最後に

 インカとスペインについてや、インディオとユダヤ人についてより深く学べたのは非常に良かった。インカの文化やスペイン支配について興味がある人にはおすすめです!

知ってるワイフ

2018 tvN イ・サンヨプ

 どんなドラマだろう?と見始めたら、面白くて止まらなくなってしまった。夫婦をテーマにしたファンタージドラマ。

登場人物

 ジュヒョクはKCU銀行の融資担当代理として勤務する。ウジンと結婚し2人の子供をもうけ家庭を築くも仕事の事で精一杯で妻のウジンから毎日罵声を浴びせられている。ウジンはエステティシャンとして働いている。結婚してからは仕事の忙しさを理由に家族と向き合ってくれないジュヒョクに嫌気が差している。

物語の始まり

 ジュヒョクは仕事はうまく行かず、子供の迎えを忘れて車を飛ばすと事故にあってしまう。家に帰ると仕事と子育てに疲れたウジンが鬼の形相で待っている。そんな折に今でも輝いている学生時代のマドンナと会い、自分のことが好きだったと知る。学生時代の可愛らしいウジンや結婚する経緯を振り返るが、いろいろなことに流されて結婚したようにも感じる。そんなある日電車に乗っていると、みすぼらしいなりのおじさんが時空のゆがみから過去に戻れると言うのを聞く。

テーマ

 「違う人生だったら」「あそこで自分が違う行動をしたら人生は違う方向に進んだかもしれない」と誰もが思うことがある。ジュヒョクはそう思い別の人生を生きようとする。けれど、どうだろう。今の人生がよりベターな選択だったり、たとえ一つの行動が異なっていても近しい人生を生きるかもしれない。そうすると人生の幸福を決めているのは「選択」ではないのかもしれない。

最後に

 はじめの方のジュヒョクは駄目な旦那の典型である。妻の大変さを顧みないでゲームをやろうとしたりする。ウジンはそういう旦那に歯に衣着せぬ言葉を浴びせかける。韓国ドラマだからできるのか、そういうところも痛快だ。また妻を顧みない人は駄目だと思うし、自分は「仕事ができる人は家事も育児もできる」と言い聞かせて日々ほぼフルコミットまではいかなくても7割コミットくらいはしている。
 とにかくドラマは肩の力を抜いて見られるコメディファンタジーでおすすめです!ちょっと違う人生に飛び込んでみようではありませんか。

クイーンズ・ギャンビット

2020 Netflix スコット・フランク

 売り出していたし、アニャ・テイラー=ジョイの独特の雰囲気に惹かれて見た。チェスは正直良く分からないが、分からなくても楽しめた。

登場人物

 数学者の母親を持つベスは自閉症の症状があるが、9歳で交通事故で母親を亡くす。養護施設の用務員ウィリアム・シャイベルは経験豊富なチェスプレイヤーだが、ベスのチェスの才能を見い出す。

物語の始まり

 母親を失ったベスは養護施設に入れられる。そこでは薬物を子どもたちに投与しており、ベスは依存症になっていく。ある日ベスはひとり地下室で用務員のシャイベルが打つチェスに特別に興味をそそられ、彼からチェスの手ほどきを受けのめり込んでいく。

テーマ

 チェスの才能と道徳性の欠如を併せ持った女性が世の中の脚光を浴びて、チェスという男性社会に乗り込んでいく様が気持ちいい。依存症を持つ様子もベスの便りなさを表しているようで、むしろ許容してしまう。どの世界でもちょっとズレているような女性でないと男性社会では戦えないのかしらとも思う。

最後に

 撮影効果も凄いと思ったが、アニャ・テイラー=ジョイの雰囲気も大きいように感じた。女性の活躍やチェスという独特の世界を垣間見たい人にはおすすめです!

ヤンキーと地元 解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち

2019 筑摩書房 打越 正行

 100分で名著に出ていた岸政彦さんが紹介していて本書を知りました。現場を重視する社会学者ということで、興味があり手に取った。

本の構成

 第一章「暴走族少年との出会い」ではパシリとして暴走族に参加することで、参与観察を始める。そこで拓哉と出会い落ち着けない家族環境や同じく落ち着けない学校と仕事の話など過酷な生活の様子を聞く。暴走族の披露の場のごーぱちなどの様子も描かれる。
 第二章「地元の建設会社」では沖縄で働く若者の多くは中学を卒業すると現場に入るが、沖縄の調査の中心人物は高卒という少数派でいろいろな人を紹介してもらう。その中で沖組を立ち上げた康夫社長と出会い働く。現場の様子や週末の過ごし方、出会った人たちの人生を聞く。
 第三章「性風俗店を経営する」ではセクキャバの受付をしている洋介の話から始まる。ヤクザの対応、雇う女性の選び方、地元とのつながりについて研究考察する。
 第四章「地元を見切る」では勝也の歴史になっていて中学生から建設現場で働き鳶になり、キャバクラで和泉と結婚・離婚する。キャバクラ通いしたりもする。キセツと呼ばれる季節出稼ぎで本土に行ったり漁船に乗ったりして仕事もしている。
 第五章「アジトの仲間、そして家族」で良夫の歴史から始まり中学の卒業証書ももらっていない。無免許や窃盗で少年院に入って母親が毎日のように面会に来てくれたり、盗んだオードバイや全生徒の給食費の弁済してくれていたことに気づき心を入れ替えた。キャバクラの経営に踏み出すが店を閉めボーイになったようだがその後は不明。サキとエミの歴史も語られる。二人とも自分の親や彼氏を見てそれぞれ評価基準を作り、より良い家族に近づける努力をしている。

気になったポイント

 「少年たちの環境を知ることで自分の環境を客観的に見ることができた」という著者の率直な感想も素晴らしいと感じた。本書を読む意義の多くは接点の無い世界を知ることで、自分のいる世界を客観視できることだと思う。

 キャバクラはあまり行ったことがないが「キャバクラ嬢が綺麗」で「キラキラしている」という感想が興味深かった。私はそう思ったことがなかった。またキャバクラは「女性をめぐって男性同士が争奪戦を繰り広げる場所」という認識は面白く、「彼氏旦那がいるキャバクラ嬢に手を出して何が悪い。それが嫌ならその男が家において働かせるな」という意見も至極まっとうに思えて興味深かった。

 実は本によっては後書きが本文以上に好きだったりするが、本書もそのような本である。感謝の言葉と共に誰にどういう刺激を受けたのかが率直に書かれていて、著者の歴史や研究に対する情熱が伝わってきて、感動的だった。

最後に

 赤裸々な若者たちとの会話が収録されていて刺激的であった。とにかく素晴らしい研究だと思う。普段は脚光を浴びることがない声をつぶさに拾い届けていただいていることに感謝しかない。沖縄語を学び若者たちの中に分け入っていくのは相当なエネルギーが必要だと思う。このように現場に足を運ぶ研究者や社会学者が好きである。本書が紹介しているような書籍もぜひ読んでみたい。

 沖縄に限らないのかもしれないが生活状況が厳しい若者の状況や考え方に興味がある人はおすすめです!ぜひに手に取ってほしい。

君の膵臓をたべたい

2017 東宝 月川翔

 なんとなく見たが切ない物語が良かった。浜辺美波さんがキレイだった。

登場人物

 主人公の「僕」は友人や恋人などの関わり合いを必要とせず、人間関係を自己完結する。さくらは天真爛漫で積極的であるが、不治の病にかかって余命が幾ばくもない。

物語の始まり

 母校で国語教師になった「僕」(小栗旬)は、老朽化により閉鎖が決まった図書館の蔵書整理を任され、図書委員と一緒に作業をしていました。教え子と話す中で、かつて1人の少女・桜良(浜辺美波)と過ごした日々を回想する。
 学生時代に主人公である「」(北村匠海)は病院で偶然「共病文庫」というタイトルの本を拾う。その本はクラスメイトである桜良がつづっていた秘密の日記帳で、彼女は膵臓の病気により長く生きられないことが書かれていた。秘密を知った「僕」は桜良に死ぬまでにやりたいことを一つづつやっていくことに付き合うことになる。

テーマ

 人に想いを伝えるなら早いほうがいい。一方で時空を超えて届く想いもある。生きるということは人との関わりの輝きと煩わしさに交わって生きるということなのかもしれない。

最後に

 匠海さんはカッコいいし、美波さんもキレイ。とりあえずこの二人を見ているだけどもハッピーになるが、切ない物語の最後の余韻もたまらない。切ない青春映画が好きな人にはおすすめです!

マンガでわかるこんなに危ない!?日本経済 アフターコロナの経済学

2020 ビジネス社 消費増税反対botちゃん(著), 藤井聡(監修)

「こんなに危ない!?消費増税」も買ったが、今回も藤井先生が監修された漫画ということと消費税反対bot1ちゃん氏を応援したいということで購入した。

本の構成

 第1話から第5話まではミクロ経済編だが、消費増税を止められなかった高橋あさみちゃんが国会議事堂に招かれて新人議員に経済をレクチャーしてほしいというオファーを受けるところから始まる。あさみちゃんはまずは各業界の市場の話から入り弾力性、需要と供給に続き、市場の失敗や逆選択など周辺の知識を語る。藤井聡先生の自由競争だけじゃないという解説が入る。
 第6話から第8話まではマクロ経済編だが、GDPや三面等価の法則に続いて日本のGDPの成長率、次にインフレとデフレ、政府の役割と続く。与党がアベノミクスの成果を歌い上げるがあさみちゃんが反証していく。藤井先生のGDPを理解しようという解説がはいる。第9話から第10話までは政府がやれることを挙げていく、また公共事業と減税について過去の事実などをさらっていく。

気になったポイント

 なにしろ漫画という絵と文章が合わさった説明は非常にわかりやすい。ここまでわかりやすく経済について語っている本はないと思うし、現代の日本の問題にフォーカスして、それと絡めて説明している書籍も少ないと思う。キャラクターも愛らしいし、ときどき入るギャグで力を抜くことができること。

最後に

 いろいろな方が様々に消費税廃止に向けて活動しているが未だになくならないのが悔しい。財政出動は良いのかもしれないが、個人的にはやはり減税推しである。貨幣の量が増えるとその価値が減るから、結局人々が潤うのは価値が減っていない状態で貨幣を多く手にすることである。それは人々への減税しかない。そして富裕層への増税。
 とにかくみんながお金のことを心配しなくて良い世界が来てほしい!そして、そう願い多くの人に読んでほしい本です!

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

2018 ビターズ・エンド 湯浅弘章

印象的なタイトルで娘と見た。

登場人物

大島志乃は高校1年生の女子。人前で母音で始まる言葉を発しにくくなる症状を抱えている。加代は名前が言えない志乃を笑わずに接してくれたクラスメイト。音楽好き。

物語の始まり

初めて高校に登校する。生徒がひとりずつ自己紹介をしていく。苦手な自己紹介。自分の番が迫ってくる。自分の番になって必死になって何とか立ち上がる。話そうとしてもどうしてもうまくいかない。自分の名前が言えない。。。

テーマ

自分の弱点やコンプレックスと向き合っていく。弱点を馬鹿にしない友達。なんだろう、勇気の話だと思う。

最後に

自分も弱点を抱えて生きている気がする。誰しも多かれ少なかれあるかもしれない。人を受けれるのと同じくらい自分を受け入れるのは難しい。必要なのは勇気なのかもしれない。そんな勇気づけられた映画だった。受け入れる勇気、大きな勇気。そんな勇気が欲しい人にはおすすめの映画です!

愛しのホロ

2020 Netflix イ・サンヨプ

登場人物

ソヨンはメガネ屋に勤める女性で代理である。人の顔が見えにくくなる失顔症を抱えている。ユジンはホログラム人工知能を開発した会社の社長。ホロは新開発のメガネの中に現れる人工知能アバター。周囲の電子機器を乗っ取ることもできる。

物語の始まり

ユジンは投資家向けに新製品であるホログラム人工知能を発表した。それはVR眼鏡をかけると人工知能のアバターが見えるようなメガネであった。発表を終えたユジンは家路に着くが、開発した技術つが革新的すぎたため、技術を奪おうとする組織に狙われる。自らも眼鏡をかけ人工知能にアドバイスをもらいながら逃げようとするが、逃げきれなくなり通りかかったソヨンのカバンに新開発の眼鏡を忍ばせ、その場を去る。
 メガネに気づいたソヨンはかけてみると、ホロが見えることに気づく。そしてホロの人工知能には大きな力があることがわかってくる。職場では人の顔を見分ける必要がある仕事をまかされるが、ホロの力を借りて切り抜ける。その後もホロに人を見分けてもらって、人へ積極的に関わることができてくる。気になっている先輩にも近づこうとするが、、、

テーマ

 年頃の女性の悩みや孤独。人工知能という存在。ちょっと重めなテーマを絶妙な口当たりの良いコメディで包んでいるところがさすが韓国映画というところ。

最後に

 開発者のナンドが出てきてドタバタ劇っぽくなってくるのが面白い。テクノロジーが前に出てきているようだけれども、結局は人々の物語。ソヨンと同じような年の女性にはいいのかもしれないです。男性が見て紳士なホロをまねても良いのかもしれない。

響 -HIBIKI-

2018 東宝 月川翔

何気なく見た。

登場人物

鮎喰響は本好きの人を寄せ付けないような少女。高校に進学するが、冬休みの時間をかけて小説を書き新人賞に応募する。花井ふみは文芸誌編集者で響の小説原稿を受け取る。祖父江凛夏は文芸部の先輩。

物語の始まり

花井ふみは新人賞の担当だが、送られてきた「お伽の庭」の原稿を読み感動する。しかし宛名も住所もなかったが、応募要項に沿わすために急ぎ自分たちで電子化する。響は高校に進学するが部活に所属する必要があり、文芸部に入ろうとする。部室に行くと、不良たちがたむろしている。響きは構わず入りたい旨を伝えるが、不良と衝突し、指を折る。また文芸部先輩の凛夏とも衝突するが、依頼した響の短編を読んでその才能に気付く。

テーマ

文芸という世界。夢に向かって努力する人たち。響の文芸に対する天性の才能と、血の滲むような努力をする人たちの対比。

最後に

平手さんの雰囲気が良いのかなんとも好きになった。文芸の熾烈な戦いも伝わってきた。やっぱり夢に向かって地を這うような努力をしている人たちが良いのか。小説自体は出てきていないのに深い深い小説なんだというのが伝わってきたのが不思議な体験だった。これは演出が素晴らしいのか。後から気付いたけど、映画と漫画は違うようだったので、ぜひ漫画を読みたい!文芸の世界を垣間見たい人はぜひ見てみてください。

クレイマー、クレイマー (原題: Kramer vs. Kramer)

1979 コロンビア ピクチャーズ ロバート・ベントン

名作なのでみた。さすが名作。父子家庭をテーマにした物語。

登場人物

テッドはニューヨークで働くサラリーマン。仕事一筋で生きてきた。妻のジョアンナは家事と子育てを一手に引き受けている。

物語の始まり

ジョアンナは何か自分が打ち込める仕事をしたいと夫テッドに相談を持ちかけるが、向かい合わない。ジョアンナはテッドに別れを告げてきた。テッドは冗談だと思っていた。翌日会社から自宅に電話をかけても誰も出ない。その日からテッドの生活は一変し、5歳の息子ビリーと父子二人きりの生活を始めるが、テッドは以前と同じようにはとても働けないことに気づいていく…。

テーマ

結婚がテーマの気もするが、結婚生活はほとんど出てこない。むしろ、テッドと息子との一変した父子家庭の生活がテーマ。父子生活の大変さもテーマだが、子供と向き合うことの楽しさにもフォーカスしている。

最後に

子育てをすると、子供というのはもちろん大変さもあるけど、楽しい。新しく成長していく人間と接するのは幸福なことだとも思う。仕事に打ち込みすぎなお父さんにはぜひ見てほしい!Happy wife, Happy life.という言葉あるが、子供も入れて、Happy family, Happy life.だと思う。