地図でスッと頭に入る古代史

2021 昭文社 瀧音能之(監修)

日本の古代史は日に日に興味が出てきてるので、図書館で見かけて薄くてわかりやすそうな本だったので手にとってしまった。

本の構成

 第一章で「縄文・弥生時代」、第二章で「古墳時代」、第三章で「飛鳥時代」、第四章で「奈良時代」にフォーカスして、トピックを取り上げて、図を伴って解説していく。途中にクローズアップ古代史という章を設けて、従来の説から変わっているものについて、最新の説を解説している。

気になったポイント 従来説と新発見

 教科書でも語られているという最新の説で知らなかったことはいろいろあったので興味深かった。仁徳天皇陵とされていた古墳が築造時期と天皇が活躍した時代と合わないことから、大仙陵と改められていたのは驚いた。一方で聖徳太子が実在しなかったという説はさすがにありえない気がした。

最後に

 あまり詳しくないのもあり、聞いたことがあるなぁという感覚で、綺麗な絵を見ながら流し読みしてしまったところもあったが、目を引くところもあった。黒曜石の分布や、古代の出雲大社がかなり高層の建物だったことなどは興味深かった。

 詳しくない人も気軽に手にとって読み進められるので、初心者への歴史の解説本としておすすめです!

21 Lessons 上・下

2019 河出書房新社 ユヴァル・ノア・ハラリ(著), 柴田裕之(訳)

ハラリ氏のサピエンス全史で過去の歴史を読んで、ホモデウスで人類の未来を読んだ。21 Lessonsでは「今、ここ」にフォーカスしてハラリ氏が現代の課題について語る。

本の構成

全21章で構成されており、それが5つのテーマに分類されている。第一部「テクノロジー面の難題」で自由市場資本主義の窮地について語り、第二部「政治面の難題」では第一部で取り上げられた問題についての対応を詳しく考察する。第三部「絶望と希望」では直面するテクノロジーの問題の難題は政治的な対立を生むもののうまくすれば人類は難局に対処できると展望し、第四部「真実」ではポスト真実という概念に取り組み、悪行と正義の区別、現実と虚構の境界についての理解を問う。最後に「レジリエンス」でこの混迷の時代に人生において何をなすべきか?どのような技能を必要とするか?何を言えるかを考える。

ポイント – テクノロジー面の難題

 (幻滅) 世界では反自由主義が進んでいるが、自由主義は経済、政治、個人と分けることができるので、各国で自由主義の範囲を選択して採用するかもしれない。自由主義は経済的な成長によって人々を統合してきたが、生態系の危機の原因になっている。新しい物語が必要になっている。
 (雇用) 人間には身体的な能力と認知的な能力の二種類があり、過去の機械は身体的な能力を使う仕事を奪ってきた。人工知能は認知的な能力を使う仕事を奪っていくと考えられている。人間の「直感」を必要とする課題でもAIは人間を凌ぎうる。芸術分野の音楽でも個人にあった曲や大衆が好む曲を作曲できるようになる。何もする必要がなくなった人類は存在意義の喪失と戦う必要がある。そういう人たちに向けて最低所得保障をするというアイデアがある。もう一つは最低サービス補償であり、政府が様々なサービスを無償で提供する共産主義が目指してたものだ。
 (自由) 多くの人は「自由意志」を信じる自由主義者だ。人々は神々に権限を託しすごしていたが、最近になって人々に権限を移した。しかしまたアルゴリズムに権限を移すかもしれない。身体の管理もバイオメトリックセンサが検知する異常に対応することになり、個人の趣味嗜好も自分異常にアルゴリズムが理解するようになるかもしれない。しかし自動運転では事故の際、運転者を助けるか歩行者を助けるかの選択に迫られるケースではアルゴリズムでは選択できない。アルゴリズムとバイオメトリックセンサによる監視社会や個人差別も危惧される。
 (平等) 一部の集団のみがグローバル化の成果を独占していき、不平等が進んでいる。バイオテクノロジーによって身体的能力や認知的能力をアップデートする場合には富裕層のみその恩恵を味分けて、生物的なカーストに分かれかねない。一部のエリートに富と権力が集中するのを防ぎたいなら、データの所有権の統制が重要だが、政府が国有化するとデジタル独裁国家になりかねない。

ポイント – 政治面の難題

 (コミュニティ) SNSにより自分の感覚よりオンライン上の人がどう感じるかを気にしている。人類は教会や国民国家なしで生きてきたので、それらはなしでも生きられるが、自分の身体や感覚と疎遠になったまま生きると混乱を覚える可能性がある。
 (文明) 民族も宗教も個人も変遷を経て変化し続ける。生物の文化とは対象的に、人間の部族は時とともに融合し、次第に大きな集団を形成する。現在は大きな集団を形成するばかりでなく、各国は等しく地図帳に記載されて、政党や普通選挙があり、人権を尊重するような国民国家で構成されている。それらには同じようなフォーマットの国旗や国家があり、一つの文明を構成している。
 (ナショナリズム) 人々はナショナリズムによる孤立を支持するようになってきている。国民国家はサピエンスの歴史の中では新しいもので、部族などでは対応できない難題に対応するために生まれた。ナショナリズムを信じる人は喜んで戦地に赴いたが、核兵器が使われたことで彼らも核戦争を恐れるようになった。ナショナリストの中には孤立主義を訴える人もいるが、多くの国では輸入なしでは自国民に十分な食料を提供することさえできないし、製品の価格も高騰する。核兵器がある中ではナショナリズムの権力政治に逆戻りするのは危険である。気候変動、サピエンスが技術によって変化していくような課題に対しては国家レベルでの答えはない。
 (宗教) 宗教は農業や医療が得意でなかったから科学に譲った。宗教が得意だったのは解釈することだった。宗教は経済も得意でなかったがどんな経済政策が選ばれても、それをクルアーンの解釈で正当化できる。人類がAIに大きな権限を与えることがあっても、賛成でも反対でも教義の中から解釈を見つけて正当化するだろう。とはいえ、人類の力の源泉である集団の協力は集団のアイデンティティに依存しており、多くの集団のアイデンティティは未だ宗教的な神話に基づいている。カーストや女性嫌悪の差別を支持するような宗教もあるが、人々を分割する宗教伝統は人々を団結させる。日本は近代化を成し遂げるにあたり神道を国家神道に作り変えることで熱狂的な忠誠心を生んだ。今日では多くの国家が日本にならって宗教に頼って独自のアイデンティティを維持している。
 (移民) 移民には様々な議論がある。移民受け入れは義務か?移民はその国の文化に同化するひつようがあるか?移民が社会の正員になるのにどのくらいの時間がかかるか?などである。移民反対派は人種でなく文化によって差別している。(外国人への義務)

ポイント – 絶望と希望

 (テロ) テロは「恐怖」というこの言葉の文字通りの意味が現しているように、物的損害を引き起こすのではなく恐れを広めることで政治情勢が変わるのを期待する軍事前略だ。国家がテロリストの挑戦を受けて立てば、たいてい彼らを叩き潰すことに成功する。テロによって生じた物的損害は微々たるものなので、それについて何もしないことも可能だが、荒々しく公然と反応し、テロリストの思う壺にはまる。国家がこうした挑発に乗らないでいるのが難しいのは、現代国家の正当性が、公共の領域には政治的暴力を寄せ付けないという約束に基づいているからだ。けれど国家はいつか核兵器を入手しようとするかもしれないとかといった理由で、反体制派のあらゆる集団を迫害し始めたりしないように、なおさら用心するべきだ。
 (戦争) 世界の緊張は高まっているが、2018年と1914年の間には重要な違いがあり、1914年には世界中のエリート層は戦争に大きな魅力を感じていたが、2018年には戦争による成功は絶滅危惧種のように珍しいものに見える。21世紀に主要国が戦争を起こして勝利を収めるのがこれほど難しいのは経済的な性質の変化がある。過去は経済的な資産は主に物だったが、21世紀では技術的な知識や組織の知識からなる。そして知識は戦争ではどうしても征服できない。だが戦争が損でも愚かな人間は戦争を起こすかもしれない。ただ新たな世界戦争が避けられないと決めてかかるのは自己実現的予言になってしまうので危険だ。
 (謙虚さ) ほとんどの人は、自分が世界の中心で、自分の文化が人類史の要だと信じがちだ。筆者のルーツであるユダヤ人も人類の歴史にさほど影響を与えなかった。多くの宗教も謙虚さの価値を褒め添えておきながら、けっきょく、自らがこの宇宙で最も重要だと考える。
 (神) 人は自分の無知に「神」という大層な名前をつける。そしてなぜかこの「神」と呼んでいる宇宙の神秘によって人の行動を規定しようとする。道徳とは「神の命令に従うこと」ではない。人間は社会的な動物であり、そのため、人間の幸福は他者との関係に大きく依存しているため、他者の悲惨さを自然に気にかける。道徳的な生活を送るためには神の名を持ち出す必要はない。
 (世俗主義) 世俗主義は宗教の否定ではなく、首尾一貫した価値基準によって定義され、世俗主義的な価値観の多くは様々な宗教にも共有されている。宗教の機関がその理想から外れているように、世俗主義の機関もその理想に遠く及ばないことがある。世俗主義の理想とは真実に対する責務であり、真実は観察と証拠に基づいているというものだ。苦しみを理解する思いやりも重要な責務である。この2つの責務は、経済的平等や政治的平等への責務にも繋がっていく。責任も大切にしており、大きな崇高な力が世界を救ってくれると信じてはおらず、生身の人間である自分たちが自分たちのすることに責任を負うと考えている。世界が悲惨な場所であれば、解決策を見出すのは自分たちの義務である。宗教やイデオロギーには影の面があるが、世俗主義の科学の良いところは誤りを認めるところだ。

ポイント – 真実

 (無知) 個々の人間はこの世界についてわずかしか知らないし、歴史が進むに連れて、個人の知識はますます乏しくなっていった。人間が地球の主人になれたのは、大きな集団でいっしょに考えるという、比類のない能力のおかげだったのだ。集団思考と個人の無知の問題につきまとわれているのは、大統領やCEOも同じだ。世の中を支配しているときには、忙しすぎて真実を発見するのは難しい。さらに巨大な権力は必ず真実を歪めてしまう。権力とは、現実をありのままに見ることではなく、周囲の空間そのものを歪めるブラックホールのような働きをする。もし本当に真実を知りたかったら、権力のブラックホールから脱出して、たっぷり時間を浪費しながら周辺をあちこちうろつきまわってみる必要がある。ただ周辺部にはすばらしい、革新的な見識がいくつかあるかもしれないが、主に、無知な憶測や、偽りであることが証明されているモデル、迷信的な心情、馬鹿げた陰謀論で満ちている。
 (正義) 複雑なグローバルな世界で正義を実行に移すのが難しい。さらに因果関係が細かく分岐していて複雑で、具体的な因果関係が理解できない。近代以降の歴史上で最大級の犯罪は、憎しみや強欲が招いただけでなく、無知と無関心におうところがなおさらお大きかった。イギリスの淑女足し費は地獄のようなプランテーションのことをしらずに角砂糖をお茶に入れた。グローバルな問題を論じるときには、不利な境遇にあるさまざまな集団の見地よりもグローバルなエリート層の見地を優先する危険がある。世界の様々な道徳的な問題を理解しようとしても理解できない。規模を縮小したり、人間ドラマに的を絞ったり、陰謀論をでっち上げたりする。最後の方法は全知というドグマに導かれるままについていく方法だ。
 (ポスト・トゥルース) 歴史にざっと目を通すと、プロパガンダや偽情報はけっして新しいものではないことがわかるし、国家や国民の存在をまるごと否定したり、似非国家を作り出したりする週間さえ、はるか昔までさがのぼる。実際には人間はつねにポスト・トゥルースの時代に生きてきた。ホモ・サピエンスはポスト・トゥルースの種であり、その力は常に虚構を作り出し、それを信じることにかかっている。私達は、非常に多くの見ず知らずの同類と協力できる唯一の哺乳類であり、それは人間だけが虚構の物語を創作して広め、膨大な数の他者を説得して信じ込ませることができるからだ。人々を団結させる転では、偽りの物語のほうが真実よりも本質的な強みを持っている。集団への忠誠心がどれほどのものかを判断したかったら、人々に真実を信じるように頼むよりも、馬鹿げたことを信じるように求めるほうが、はるかに優れた試金石になる。真実と力が手を携えて進める道のりには、自ずと限度がある。世界について真実を知りたければ、力を放棄しなければならない。信頼できる情報が欲しければ、たっぷりとお金を払わなくてはならない。自分に重要な問題に対しては、関連する科学文献を読む努力をすることだ。
 (SF) 21世紀初頭における最も重要な芸術のジャンルはSFかもしれない。今日のSFの最悪の罪は、知能を意識と行動する傾向にある点かもしれない。この混同のせいで、SFはロボットと人間が戦争になるのではないかと、過剰な心配を抱いているが、実際に恐れる必要があるのは、アルゴリズムによって力を得られた少数の超人エリート層と、力を奪われたホモ・サピエンスから成る巨大な下層階級との争いだ。『マトリックス』の中に閉じ込められた人間には正真正銘の自己があり、その事故はテクノロジーを使ったありとあらゆる操作に影響されずに保たれるし、マトリックスの外には本物の現実が待ち受けていて、主人公が一生懸命試みさえすれば、その現実にアクセスできると決めてかかっている。現在のテクノロジーと科学の革命が意味しているのは、正真正銘の個人と正真正銘の現実をアルゴリズムやテレビカメラで操作しうるということではなく、新正性は神話であるということだ。だが私達の精神的経験は、それでもやはり現実のものだ。痛みは痛みであり、恐れは恐れであり、愛は愛だ。『すばらしい新世界』では世界政府が先進的なバイオテクノロジーとソーシャル・エンジニアリングを使い、誰もがつねに満足し、誰一人反抗する理由をもたないようにしている。読みてはまごついてしまう。それがどうしてディストピアなのかはっきり指摘するのが難しいからだ。

ポイント ー レジリエンス

 (教育)今日私達は、2050年に中国や世界のその他の国々がどうなっているか、想像もつかない。21世紀の今、私達は膨大な量の情報にさらされているので、必要としているのは情報でなく、情報の意味を理解したり、重要なものとそうでないものを見分けたりする能力、そして何より、大量の情報の断片を結びつけて、世の中の状況を幅広く捉える能力だ。それでは私達は何をおしえるべきか?多くの教育の専門家は、学校は方針を転換し、「4つのC」、すなわち「Critical thinking」「communication」「collaboration」「creativity」を教えるべきだと主張している。より一般的に言うと学校は専門的な技能に重点をおかず、汎用性のある生活技能を重視すべきだという。変化し続ける世界で生き延び、栄えるには、精神的柔軟性と情緒的なバランスがたっぷり必要だ。自分が最も知っているものの一部を捨て去ることを繰り返さざるをえず、未知のものにも平然と対応できなくてはならないだろう。とういうわけで、15歳の子供に私が与えられる最善の助言は、大人に頼りすぎないこと、だ。代わりに何が頼れるだろうか。テクノロジーだろうか。アルゴリズムはあなたがどこに行き、何を買い、誰に会うか見ている。アルゴリズムの方があなたのことをより理解しているのであれば権限はアルゴリズムに移る。
 (意味) 私は何者か?人生で何をするべきか?人生の意味とはなにか?筆者はイスラエルに生まれたがユダヤ教が訴える物語をどうも信じられなかった。長くても3千年の歴史しかもたないユダヤ民族が1万3年後にも存在することすら疑わしく、2億年後はサピエンスがいるかどうか不明と感じた。何かしら魂か霊が自分の死後も生き延びると思えない人は何か実態のあるものを残そうとする。しかしそれもなかなかうまく行かない。筆者の祖母の親族はひとり残らずナチスに殺された。何も残せないとしたら、この世界をほんの少しだけでも良くできれば十分なのではないか?ロマンスや恋もつましい物語だ。ほとんどの物語は、土台の強さでなくむしろ屋根の重みでまとまりを保っている。物語を信じさせるために儀式がある。孔子が作り出した儒教の儀式への執着は時代遅れの現れとみなされてきたが、周辺に長命の社会構造を生み出した。人生の究極の真実を知りたければ儀式は大きな障害となる。だが孔子のようにもし社会の安定と調和に関しがあるのなら、真実は不都合なことが多いのに対して、様々な儀式はおおいに役に立つ。特に自己犠牲は説得力があり殉じる人抜きで維持できる神や国家や革命はほとんどない。また人は物語を複数同時に信じてきた。その一つが自由主義だ。それは宇宙は自分に意味を与えてくれず、反対に自分が宇宙に意味を与えるものだ。自由主義の物語は自己を表現したり実現したりする自由を追い求めるように私に支持する。だが、「自己」も自由も共に、古代のお飛び話から借りてきた架空のもので、「自由意志」も欲することには自由があるが、選ぶことことには文化的な圧力があり自由はない。自分の頭に浮かんできたことはどこから浮かんできたのか?それを選んで浮かんできたのか?私達は外の世界を支配していない、天候も決めていない。体の中のできごとも支配していない。自分の血圧も支配していない。自分の脳さえ支配していない。ニューロンがいつ発火するかもしないしていない。そうして自分の欲望も支配していないし、自分の欲望に対する反応もしないしていないことに気付くべきだ。自由意志を信じていないと何にも関心が持てないのではないかという思う人もいるが、反対に深い好奇心が湧いてくる。自分の頭に浮かんでくる思考や欲望が自分と思っている間は自分について深く知ろうとする努力をしなくなるが、「この考えは私ではない」と悟ると自分が何者かがまったくわからなくなる。これはどんな人間にも胸躍る発見の旅の始まりとなる。現在ではSNSで粉飾された自己を作ることで本当の自分だと誤解する人もいる。幻想の自己は視覚的で本当の経験は身体的である。ブッダの教えによると宇宙の3つの基本的な現実は、万物は絶えず変化していること、永続する本質を持つものは何一つないこと、完全に満足できるものはないことだという。というわけでブッダによれば、人生には何の意味もなく、人々はどんな意味も生み出す必要はないという。私たちは、意味などないことに気づき、それによって空虚な現象への執着や同一化が引き起こす苦しみから解放されるだけでいい。ただ現実と虚構を区別するのが得意でない。区別が難しいときはそれが苦しむか?を問うと良い。戦争で国家は苦しまないが人々は苦しむ。政治家が犠牲、永遠、純粋、救済とか言い出したら注意が必要だ。
 (瞑想) 筆者は重大の頃は歴史や宗教や資本主義なども聞き、本も呼んだがそれらはすべて虚構だと思い、真実を見つけられるか見当もつかなかった。大学では真実を見つけられると思ったが、人生にまつわる大きな疑問に対する、満足の行く答えはあたえてくれなかった。趣味で哲学書をたくさん読み議論もしたが本当の見識はほとんど得られなかった。親友のロンがヴィパッサナー瞑想の講座を受けることを勧めてきて、はじめは断っていたが、ついに10日環の講習に行くことにした。瞑想について知らなかったので込み入った神秘的な理論を伴うものだと思っていたが、瞑想の教えがどれほど実践的なものかをしって仰天した。自分の呼吸を観察していて最初に学んだのは、これまであれほど多くの本を読み、大学であれほど多くの講座に出席してきたにもかかわらず、自分の心については無知に等しく、心を制御するのがほぼ不可能だということだった。どれほど努力しても、息が自分の鼻を出入りする実状を10秒と観察しないうちに、心がどこかへさまよいだしてしまう。自分は永年、自分が人生の主人であり、自己ブランドのCEOだとばかり思い込んでいた。だが、瞑想を数時間してみただけで、自分をほとんど制御できないことが分かった。じぶんはCEOではなく、せいぜい守衛程度のものだったのだ。筆者は自分の感覚を観察する10日環のこの講習で、そのときまでの全人生で学んだことよりも多くを自分自身と人間一般について学んだように思った。そしてそれにはどんな物語も学説も神話も受け入れる必要はなかった。

最後に

 あまりにも重要な要素が多く、要素を抽出するのも大変な内容量で、かつ、その間に古今東西の歴史的な事象が折り挟まれている。膨大な知の結晶であるのは間違いないのが、最後は瞑想で締めくくられているのが面白い。
 私はどちらかというと進歩主義者だが、筆者はもしかしたら非進歩主義者なのかもしれないとも思う。人類の未来は生産活動が機械に置き換わって、仕事の意味も変わって、デジタル共産主義が一部取り入れられるかもしれない。それでも今までと同じように強いものと弱いものの対立や多少の行き来もあったりする世界なのかもしれない。さらにもしかしたら人類は5万年後も生きている可能性はあると思う。10万年後も生きている可能性もある。その時の人から見ると、そして今は時代の進歩が遅い、原始の時代を生きているのかもしれない。宇宙には終わりがなく永遠に発展的に続いていき、人類の範囲はどんどん拡大していき、宇宙の泡の周辺を伝って銀河を移動するのかもしれない。その時からすると今はアフリカを出る前の人類にような地球を出られない人類なのかもしれない。そして地球を出る人類は何世代化に分かれていて、5万年後に地球を出る人類は10万年後に地球を出る人類に倒されるかもしれない。
 その時は人類はどのように発展しているだろうか。とりあえずよく眠れるベットや究極のヨガやストレッチやマッサージで身体的なバランスは完璧になっていて、ほとんどの病気や精神疾患からも解放されて、うつ病は風邪のようになっていて、認知症や総合失調症も治せるかならないようになっていたりするのだろうか。

 とにかくいろいろ考えさせられて面白かった。ぜひ多くの人に読んでいただきたい作品です!

「王室」で読み解く世界史 教養として知っておきたい

2018 日本実業出版社 宇山 卓栄

 「王室」という目を引くタイトルで手にとった。

本の構成

 十部25章で構成されて、地域ごとに部に分かれている。第一部「世界の王室を理解するために」で世界に残っている王室の数、王とは何か、日本の天皇について説明している。第二部「ヨーロッパの君主たち」では王と皇帝の違いやドイツ・フランス・イタリアと、イギリス・ロシア・北欧の違い、さらに教皇について説明する。第三部「イギリス、フランス、オランダ」ではイギリス王室の歴史、フランスにはなぜ王室がないか、オランダ王室の歴史とイギリスとの関係を解説する。第四部「スペイン、ベルギー、ドイツなど」でスペインのハプスブルグ家、ハプスブルグ家とネーデルラントのベルギーをめぐるオランダとの関係とイギリスの思惑、ヨーロッパに残るミニ公国など、ドイツ・イタリアの王室の最後を説明する。第五部「北ヨーロッパ、東ヨーロッパ」ではスウェーデン王室、デンマーク王室、ノルウェー王室のルーツ、ロシアのロマノフ朝、欧州アジア境界の複合国家について説明する。第六部「中国」では中国の皇帝や万世一系を阻んだ易姓革命、清が王族を残さなかった理由と日本との関係、第七部「朝鮮」では日本による朝鮮の併合、李氏朝鮮による統治の実際、李氏と日本の関係を解説する。第八部「東南アジア、インド・中央アジア」では最も裕福なタイ王室の歴史、カンボジア・マレーシア・ブルネイ・ベトナムの王朝の最後、モンゴル系のティムール帝国・ムガル帝国を説明する。第九部「中東」で王室を持つサウジアラビアとアラビア半島の国家、ムハンマドの子孫が王となった国々、オスマン帝国とイランの王室を説明する。第十部「アフリカ、アメリカ」では残ったアフリカの王国、ラテンアメリカのインカ帝国の崩壊などを説明する。

気になったポイント1 – 日本

 第一部では少なくとも1500年続く日本の万世一系の天皇の特異性について説明している。その理由としては男系天皇と側室の子供の扱いをヨーロッパとの違いとして大きく取り上げている。その他、フランス革命では民衆が王を処刑したが、日本で民衆が天皇を処刑するなどはありえないと論じている。

 アジアでも側室の子供が王を継承するとなると、アジアの国家ももう少し長く続いても良い気がする。地理的な理由もあるとは思うが、他のところでも語られている日本は権威と権力を分離したというのも大きいと思っている。他の本では東南アジアで権威を持つ集団が王を追認したようなものも読んだが、なぜその国家は存続しなかったのかも気になるところだ。経済的な安定などだろうか…。

気になったポイント2 – ヨーロッパ

 周辺部の王国:イギリス・ロシア・北欧・東欧の違いとして、中心部の王国:ドイツ・フランス・イタリアと、王国の形成が周辺部は土着性・血縁性から自然発生的に生まれたのに対して、中心部は西ローマ帝国分裂から生まれている違いがあり、中心部の王国の王権が弱いと説明している。

 イギリスは王室をまだ持ちつづけEUからの独立を遂げたが、このような経済的なつながりかアイデンティティのどちらを優先するかに関わっていたりしないかとも思った。また国家が広範に及ぶと王の力が弱くなるというのは興味深い。ローマも領地の拡大に応じて、王政→共和制と変わっているのは関係があるような気もした。

気になったポイント3 – 市民革命

 フランス革命は民衆が王を処刑して王政を廃止したが、アジア・中東・アフリカも植民地からの独立の際には王政が廃止されている例がある。

 政権を倒すというような意味合いだと思うが、それぞれの王朝が地域によってどのように変わるのか。過去の王国はどのように倒されたのか、どのように存続したのかの傾向のようなものはを知りたい。

最後に

 内容が盛りだくさんであった。王室の歴史というのは支配者層の歴史かもしれない。支配者層がどう移動したり、どこをどのくらい支配したのか。現在の王室だけでなく古い王室についてももっと知りたくなった。

 いずれにしても世界各国の27の王室、特に日本の王室について知りたい人にはおすすめです!

「宗教」で読み解く世界史 教養として知っておきたい

2020 日本実業出版社 宇山卓栄

宗教は世界史の中で大きな要素であって興味があったので手に取った。一つ一つのチャプターが短いので、扱っている範囲は広いが読みやすく工夫されている。

本の構成

 四部32章で構成されている。第一部「東アジア」では、中華思想と宗教である儒教を信じる中国、小中華に服した朝鮮、成文や組織のない神道を重んじる日本、儒教・仏教の影響を受けたが中華に組み込まれなかったベトナム、清に制服されたイスラム教の新疆ウイグル自治区、中国とは別文化の仏教国の雲南、中国から逃げ逃れた道教が信奉されている台湾について説明。

 第二部「インド・東南アジア」では、選民思想をもったバラモン教は王朝が国をまとめるための仏教に押されたがヒンズー教に変遷し地方豪族が信仰するようになったインド、アンコール朝はヒンドゥー教だったもののその後仏教国として栄えたタイ・ミャンマー・カンボジア、中国の混乱で海上貿易の収益源を失った仏教国シュリーヴィジャヤ王国、王朝が自分と共に民と富裕層の利益を図り建設されたアンコールワットなどのヒンドゥー教の王国、インドで発展した商人に時事されたジャイナ教・宗教的に分断されたパンジャーブ地方で生まれた戦闘色の強いシク教、インドをイスラム化して統一できなかったムガル帝国、イギリス統治で分割させられたイスラム教国パキスタン、仏教のアーリア系シンハラ人とヒンドゥー教のドラヴィダ系タミル人との内戦になっているスリランカ、ムガル帝国を引きづいでイスラム教のバングラディッシュ、マラッカ王国のイスラム教を引き続き中国資本に対してイスラム主義で対抗しているマレーシアやインドネシアについて説明。

 第三部「ヨーロッパ」では、カトリックの教皇による緩やかな教皇の連合体による支配と腐敗による瓦解、教会との利権闘争に利用され印刷技術によって広まったプロテスタント、営利を推奨しブルジョアを取り込んだ経営者カルヴァン、資金が集まって大航海時代をスペインと新教徒が集まるアントワープを潰して没落した敬虔なカトリックのフェリペ2世、新教徒が毛織物産業で経済発展をさせてスペインを倒したイギリスとオランダ、ブルジョアを取り込むためプロテスタントも取り込んだイギリス国教会、メアリ1世が諸侯と和解するためにカトリックを復活させるがエリザベス一成がイギリス国教会を復活、カトリックのアイルランド人とイギリスの対立、プロテスタントを使ってカトリックを排除し王権を確立したデンマーク、オランダ新興勢力はハプスブルグ家との代理戦争を支援しついにオーストリアだけになったカトリックのハプスブルグ家、フランスはユグノーの支援を受けたアンリ4世に始まりそれを覆して新興ブルジョアの財を接収しようとしたルイ14世さらに反動で合理主義で混迷を極めたフランス革命、ローマの分裂で生まれたギリシア正教とビザンツ帝国崩壊で独立した各国の正教、東方正教会の最高祭祀者となったロシア皇帝、ポーランド・ハンガリーはドイツに近くカトリックが主流、プロテスタントが根付かずカトリックに戻ったチェコやスロバキア、イギリスの貧困層のプロテスタンとピューリタンが移住したアメリカ、カトリックのヒスパニック系。

 第四部「中東・中央アジア・アフリカ」では、通商を重視したイスラム教、アラブ人軍人のクーデターで生まれた軍人のウマイヤ朝、軍人の重用をやめたが分裂を招いたアッパース朝、イスラム商人に支えられた戦闘のプロのクルド人のサラディンは戦争で商機を失うのを嫌った商人たちに財政援助を止められ、利権を狙うリチャード一世に敗れる、トルコ人軍人のマルムーク朝はモンゴルの進撃を止めてインド洋交易の利権も抑えるがポルトガルの大砲に敗れ利権を失いオスマン帝国に吸収される、宗教民族に寛容なオスマンの発展と衰退、近代化を阻んだイスラムの要因と改革したトルコのケマル、シーア派の十二イマーム派のイランとアメリカその他の国とのグレートゲーム、中国マネーに支配されつつある中央アジア五カ国、イスラム教国でモンゴル系のティムール帝国、それを滅ぼしたトルコ系のシャバイニ朝、それを滅ぼした無神論でイスラムを弾圧した南下したロシア、その後ソ連は西側諸国への対抗するためイスラム教に懐柔的に対応、崩壊後はイスラムが復権したが弾圧によりイスラム信仰は緩やかに、富を肯定するユダヤ教とその不満から生まれたキリスト教、アフリカでの北のイスラム教と南のキリスト教の分断、コプト教の流れを汲むエチオピア

気になったポイント – 宗教は強力なソフトツール

 宗教は国内に向かっては「ソフトツールとして、思考や思想を共有し、一つの価値理念に向かって協働することができる」また国外に向かっては「公然性をもった対外工作ツールとして政治的に利用されてきた」というような、「宗教は救済」というようなナイーブなものでないと語っている。

 たしかに民族を超えて協働するには宗教という物語が一番成功してきた気がする。しかし今は資本主義というのはまさにソフトツールで思考や思想を共有し、一つの価値理念に向かって会社などを通じて協働している。

気になったポイント – 利子

 利子は以前から気になっていたが、イスラム教は利子は貧富を拡大するからとらないとあり、それが近代化を阻んでいると書いてあった。一方でカトリックは認めていなかったが認めた。カルヴァンは5%を許容して商業が発展。溜め込んだお金を外に回すために重要である気がする。利子についてはもっと勉強したい。

最後に

 「宗教地政学」の本と銘打っているが、国や地域ごとの宗教の遷移と対立などがよくわかった。宗教という切り口で世界史をみたい人にはおすすめです!

浅草キッド

2021 Netflix 劇団ひとり

ビートたけしの小説を元にした映画。予算もあるNetflix映画だし柳楽優弥が出演していたので気になってみてみた。

登場人物・世界観

 ビートたけし(柳楽優弥)は何かをしたいがきっかけを掴めない。深見千三郎(大泉 洋)は舞台上からお客をもたしなめるような頑固なコント芸人。ときは1970年前後でテレビが普及しだしカラー化し始めている。時代の上昇気流を感じられるような空気が漂う。その一方で古いメディアであった劇場などからは客足が少しづつ遠のいていく。

物語の始まり

 大学生活に馴染めないでいたビートたけしは、浅草にあるストリップ劇場のフランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイを始める。座長であった深見千三郎は芸人になりたいと言うたけしに少しづつタップダンスを教えて試していく。ある日、たけしが練習しているところを見た師事はその成長を評価し、前座芸人としてコントに出演させる。たけしは舞台で徐々に頭角を現していくが、テレビでの漫才ブームにあやかりたいとフランス座を飛び出す。コントを捨てて、きよしと漫才コンビを結成するも、思うようにはいかない。

テーマ

 テーマは師弟の絆であろう。深見千三郎は弟子を思って食事に誘ったり、先行きを心配したりする。一方のたけしは破門されても師匠として慕う。「師弟関係」というものの重さがよく理解できた。いろいろなところに現れていたと思う。

 深見千三郎とビートたけしのやり取りなどは粋だし、こんな師匠に付いていきたい!と思わせる温かい師匠像である。ふと師弟の絆と書いたが、そもそも絆は師弟の中に組み込まれているのかもしれない。

最後に

 見どころは柳楽優弥演じるビートたけしだと思う。モノマネではないけど似ているし、何か全体的な不器用な感じに親近感が湧く。ストリップ劇場や当時の風景などをしっかりと捉えていてあの時代に没入できる。ただ後半に向かって感動させるぜ!という演出が強い気もして、もう少しサラリとしていたも良かった。とはいえ、1970年代の雰囲気の中で、すでに伝説となっているビートたけしの半生に迫っていて素晴らしかったし、タップダンスも素晴らしかった。

 ビートたけしを知っている人は見て損のない作品である!ビートたけしを知らない人はあまりいない気もする。

働かざる者たち

2017 大映テレビ 有働佳史

 「働かないおじさん」というワードをよく聞くが、Netflixでたまたまタイトルを見て、興味が湧いた。

登場人物・世界観

 橋田一(濱田岳)は毎産新聞社の社内システムエンジニア。コンピュータシステムや個人のパソコンのトラブルを解決する裏方業務でやる気がない。副業のギャグ漫画の執筆をすることで、好きでもない業務とのバランスをとっている。新田君は同期のエース記者で新聞のトップに踊るような記事を書いている。川江菜々は派遣社員でやる気なく働いている。八木は同期が出世するなか仕事に縛られず、定時で退社し年甲斐もなく合コンに参加している。

物語の始まり

 そこそこに働いている橋田一に毎日のようにちょっかいをかけてくる八木沼豊。社内で出世している人が多いことから【伝説の94年組】と言われる同期たちの中でただ一人会社に縛られずにいる八木の姿は、自由気ままに人生を謳歌しているように見える。また忙しく働いている同期の新田の姿にも憧れる。さらにヒョンなことから川江菜々にも漫画を描いていることがばれてしまう。

テーマ

 会社に所属してい働くとは何か。ということをいろんな働かない人を見ながら考えていく。働いていないように見える人も理由があったりする。仕事に情熱をそそいで来た人も少し間違うと働かなくなったりする。

 ファイアーしたけど、やっぱり働きに戻ったという話を最近みたが、社会との繋がりとして働くことは必要なのだと思う。ただあまりにも働くことに向いていない、ストレスがあるという人は別。とはいえ、アルバイトでも働くということは少なからず責任は伴うことなので、多かれ少なかれストレスはある。みんな何かしらのバランスをとって日々を過ごしているのだとは思っていたが、このドラマを見てそれをよく理解できた。

最後に

 会社勤めをしている人にとっては一癖あるようなキャラクタたちではあるが、いそうな人たちで引き込まれてしまう。何か定まらずイベントドリブンで何とか日々をこなしている主人公も魅力的である。とはいえ、池田イライザさんの演技が一番印象に残っている。美しい。。。

 働いてはいるもののどうも面白くない、働かないオジサンがいるというようなサラリーマンにはおすすめです!

アグレッシブ烈子

2018- Netflix ラレコ

アグレッシブ烈子はもともとは番組内のアニメだったようだが、Netflixでシリーズ化されている作品。日本の社会の変なところを風刺しつつ、その中を健気に戦い抜いていく烈子を動物の姿で描いている作品。

登場人物

烈子はキャラリーマン商事株式会社の経理部に勤務するOL。普段は当たり障りなく行きているが、そのうちに怒りをためており、カラオケに行きデスメタルの歌で解消している。同じ部にはその列子に思いを寄せているハイ田君がいる。しかし、奥手というか自信が決定的になく覇気もない。人はよくいろいろ助けようとしてくれる。物語のもう一人の主人公である。そのハイ田を毒舌で切ったり上から目線で烈子にアドバイスしたりするフェネ子がいる。周りを烈子の静動を監視して、暴走する烈子を止めたり動かしたりする。

物語のはじまり

 OLになって5年後から物語は始まる。会社に行きたくない。それでも気力を振り絞ってベッドから起き出し用意をして出発する。出勤にはマイマイクを持っていくことも忘れない。通勤では満員電車で気持ち悪いおじさんに囲まれて息を吹きかけられながら電車にゆられる。やっと会社にたどり着くと疲れ果てているが、自分がサンダルで来ていることに気付く。更衣室ではキャピキャピしてウザい角田やウワサ好きのカバ美さんに襲来されてさらに疲れる。自分のデスクに着くとそして真打ちが現れる。モンスター上司のトン部長。そして雑用当番を忘れていて、急いで雑用をさせられる。さらにトン部長から「茶を入れろ、女の仕事だ」と言われて茶を入れると、お湯であると言われて「できない女はムカつくが、できない女よりマシだ」とか言われて、さっそくトイレでブチ切れる。ほとぼりを冷ますために休憩室で油を売るが、帰ってくるとさっそくトン部長から理不尽な仕事をふられて残業をする。そして残業の果にカラオケで秘密の趣味をたしなむのである。。

気になった点

 基本的には女性を中心として日本の男尊女卑社会での人々の生きにくさを表現しているものと思っている。烈子はパワハラやいやなこともあるし、女性の場合には同性も的だったりもする。しかし烈子の凄さはその状況に甘んじないで常に自ら行動していくところである。そして、それは回を追うごとにエスカレートしていき、シーズン5ではとんでもないところにまで行き着くのである。

最後に

 とにかく脚本が男性とは思えない細やかな女性視点で、日本社会の歪んだ点がよく分かるし、(Netflixは全体的にそうだけど)リベララルな視点も良くて、根強いファンがいるのは納得できる。シリーズごとに新たな展開があり烈子の世界は無限に広がっていく。あれよという間に5シーズンが終わったが、新しいシーズンも待ち遠しい。日本の会社社会に生きる皆様に是非見ていただきたい作品です!

SNS-少女たちの10日間

2020 Hypermarket Film, Czech Television, Peter Kerekes, Radio and Television of Slovakia, 

SNSをめぐる少女たちがさらされている現実を撮ったドキュメンタリー。ビッグイシューで読んだいたが、その後にネット記事で紹介されていて、見てみたら想像以上でした。

構成

 三人の女性が未成年の少女になりすまして、女の子っぽいセットの部屋からパソコン経由でSNSにアクセスして書き込みをしたり画像つきで会話したりする。様々な男性が卑猥なことを言われたり、写真などを送りつけられたり、ネットごしの性的な嫌がらせをする男性たちをに合う様子を描く。

気になったポイント

 基本的には社会でうまく行っていない人たちのストレス発散のようにも思っていたが、実際には知り合いの普通に見える男性すらも同じような行為に及んでいたのには驚いた。

最後に

 とにかく本当にひどいなと思った。女性は日々様々な被害にあっているのだろうけれど、特に未成年の女の子がSNSにアクセスするのは危険だと思った。まともな男性は一人しかいなかった。仕事場でも女性だとメールをするだけでいろいろあると聞いたことがあったが、同じような感じになっているのかと思った。

 弱いものを狙って鬱憤を晴らすクソみたいな男性を見たい人や女性の性的被害の状況をしりたい人にはおすすめです!

船を編む

2013 松竹 石井裕也

 大好きな映画でこれまで何度も見ている。何か俗世から離れたような辞書編集の雰囲気がスキなのか、あのひたむきに物事を突き詰めていく主人公たちの様子がスキなのか。とにかく好きである。

登場人物

 マジメ(松田龍平)は大学院で言語学を専攻するが、玄武書房の営業部に配属になる。ひょんなことから辞書編集部に異動になり、辞書編集に打ち込むようになる。かぐや(宮崎あおい)はマジメが住んでいる早雲荘の大家さんの孫娘で板前。早雲荘に住むようになる。

物語の始まり

 玄武書房の辞書編集部に人が足りなくなり、辞書編集部の荒木と西岡は適当な人材がいないか営業部に探しに行く。とても営業には合っていなさそうなマジメが実は言語感覚が優れている事がわかり、ヘッドハンティングされる。マジメは辞書編集部の人たちの辞書づくりに対する真摯な思いを受け止め、「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」という意味がこめられた中型百科事典『大渡海』の編集に打ち込んでいく。

テーマ

 テーマは言葉ではあるが、長い時間に渡り言葉と向き合い人生をかけて一つの仕事に真摯に打ち込んでいく姿も描き出されている。何か物を作り出すというのは魂を削る仕事だと思う。辞書にも作成そのものだけでなく様々な周辺の業務を通じて多くの人々の魂が込められている。

最後に

 朴訥としたマジメさんが好きでもあるし、なにげに熱い荒木さんも好きだ。西岡さんもいいし、かぐやさんの透明感も良い。家のシーンも良いし、居酒屋のシーン、編集室のシーン、料亭のシーン、辞書の紙を触るシーン、荒木の家のシーン。好きな映画はどこを切り取っても良い。思えば俳優陣もみんな好きだ。松田龍平さんと池脇千鶴さんは超絶好きだ。宮崎あおいさん、オダギリジョーさんも好きだし、才気あふれる黒木華さんまでも出ている豪華キャスト。熱くてしっとりとした良作はこちらです!ぜひ御覧ください!

 

イコライザー2

2018 ソニー・ピクチャーズ アントワ・フークア

 イコライザー1が面白かったので、2を探していたがつにネトフリで見つけたので即みてしまった。うーん、1の方が壮大でいいかな。けど2も面白かった。

登場人物

 ロバートは元CIAの工作員だが、引退して個人タクシーを営みながら悪事を働く人を罰して働いている。普段の趣味は読書で表向きは平穏に暮らしている。

物語の始まり

 ロバートは変装して列車に乗っている。近くの男が立ち上がったのに合わせて、ロバートも立ち上がってついていく。食堂車でロバートは男と話し、自分の娘の誘拐に携わっていることをやめるように言うが手下を使って実力行使してくるので、すべての手下を数秒で仕留める。

テーマ

 世の中には不正が溢れている。悪に染まるな、かならず裁かれる、ということだろうか。ロバートは小さな問題・不正を一つ一つ潰してくれている。一方でロバートの範囲の悪が裁かれたりするが、世の中にある悪すべてには物理的に対応できない。何かもっと大きな国家レベルの悪は野放しにされている気がする。そういうのは一人の力ではどうにもならないのかも。

最後に

 身近な弱きに寄り添うロバートがカッコいいのは間違いないが、趣味が読書というところがまた深みがある。憧れのヒーローである。3も出るらしいので楽しみである。
 ちょっと残虐なところもあるけど弱きを助けるヒーローを見たい人にはおすすめです!男性ウケするヒーローなのではないかと思う。