「宗教」で読み解く世界史 教養として知っておきたい

2020 日本実業出版社 宇山卓栄

宗教は世界史の中で大きな要素であって興味があったので手に取った。一つ一つのチャプターが短いので、扱っている範囲は広いが読みやすく工夫されている。

本の構成

 四部32章で構成されている。第一部「東アジア」では、中華思想と宗教である儒教を信じる中国、小中華に服した朝鮮、成文や組織のない神道を重んじる日本、儒教・仏教の影響を受けたが中華に組み込まれなかったベトナム、清に制服されたイスラム教の新疆ウイグル自治区、中国とは別文化の仏教国の雲南、中国から逃げ逃れた道教が信奉されている台湾について説明。

 第二部「インド・東南アジア」では、選民思想をもったバラモン教は王朝が国をまとめるための仏教に押されたがヒンズー教に変遷し地方豪族が信仰するようになったインド、アンコール朝はヒンドゥー教だったもののその後仏教国として栄えたタイ・ミャンマー・カンボジア、中国の混乱で海上貿易の収益源を失った仏教国シュリーヴィジャヤ王国、王朝が自分と共に民と富裕層の利益を図り建設されたアンコールワットなどのヒンドゥー教の王国、インドで発展した商人に時事されたジャイナ教・宗教的に分断されたパンジャーブ地方で生まれた戦闘色の強いシク教、インドをイスラム化して統一できなかったムガル帝国、イギリス統治で分割させられたイスラム教国パキスタン、仏教のアーリア系シンハラ人とヒンドゥー教のドラヴィダ系タミル人との内戦になっているスリランカ、ムガル帝国を引きづいでイスラム教のバングラディッシュ、マラッカ王国のイスラム教を引き続き中国資本に対してイスラム主義で対抗しているマレーシアやインドネシアについて説明。

 第三部「ヨーロッパ」では、カトリックの教皇による緩やかな教皇の連合体による支配と腐敗による瓦解、教会との利権闘争に利用され印刷技術によって広まったプロテスタント、営利を推奨しブルジョアを取り込んだ経営者カルヴァン、資金が集まって大航海時代をスペインと新教徒が集まるアントワープを潰して没落した敬虔なカトリックのフェリペ2世、新教徒が毛織物産業で経済発展をさせてスペインを倒したイギリスとオランダ、ブルジョアを取り込むためプロテスタントも取り込んだイギリス国教会、メアリ1世が諸侯と和解するためにカトリックを復活させるがエリザベス一成がイギリス国教会を復活、カトリックのアイルランド人とイギリスの対立、プロテスタントを使ってカトリックを排除し王権を確立したデンマーク、オランダ新興勢力はハプスブルグ家との代理戦争を支援しついにオーストリアだけになったカトリックのハプスブルグ家、フランスはユグノーの支援を受けたアンリ4世に始まりそれを覆して新興ブルジョアの財を接収しようとしたルイ14世さらに反動で合理主義で混迷を極めたフランス革命、ローマの分裂で生まれたギリシア正教とビザンツ帝国崩壊で独立した各国の正教、東方正教会の最高祭祀者となったロシア皇帝、ポーランド・ハンガリーはドイツに近くカトリックが主流、プロテスタントが根付かずカトリックに戻ったチェコやスロバキア、イギリスの貧困層のプロテスタンとピューリタンが移住したアメリカ、カトリックのヒスパニック系。

 第四部「中東・中央アジア・アフリカ」では、通商を重視したイスラム教、アラブ人軍人のクーデターで生まれた軍人のウマイヤ朝、軍人の重用をやめたが分裂を招いたアッパース朝、イスラム商人に支えられた戦闘のプロのクルド人のサラディンは戦争で商機を失うのを嫌った商人たちに財政援助を止められ、利権を狙うリチャード一世に敗れる、トルコ人軍人のマルムーク朝はモンゴルの進撃を止めてインド洋交易の利権も抑えるがポルトガルの大砲に敗れ利権を失いオスマン帝国に吸収される、宗教民族に寛容なオスマンの発展と衰退、近代化を阻んだイスラムの要因と改革したトルコのケマル、シーア派の十二イマーム派のイランとアメリカその他の国とのグレートゲーム、中国マネーに支配されつつある中央アジア五カ国、イスラム教国でモンゴル系のティムール帝国、それを滅ぼしたトルコ系のシャバイニ朝、それを滅ぼした無神論でイスラムを弾圧した南下したロシア、その後ソ連は西側諸国への対抗するためイスラム教に懐柔的に対応、崩壊後はイスラムが復権したが弾圧によりイスラム信仰は緩やかに、富を肯定するユダヤ教とその不満から生まれたキリスト教、アフリカでの北のイスラム教と南のキリスト教の分断、コプト教の流れを汲むエチオピア

気になったポイント – 宗教は強力なソフトツール

 宗教は国内に向かっては「ソフトツールとして、思考や思想を共有し、一つの価値理念に向かって協働することができる」また国外に向かっては「公然性をもった対外工作ツールとして政治的に利用されてきた」というような、「宗教は救済」というようなナイーブなものでないと語っている。

 たしかに民族を超えて協働するには宗教という物語が一番成功してきた気がする。しかし今は資本主義というのはまさにソフトツールで思考や思想を共有し、一つの価値理念に向かって会社などを通じて協働している。

気になったポイント – 利子

 利子は以前から気になっていたが、イスラム教は利子は貧富を拡大するからとらないとあり、それが近代化を阻んでいると書いてあった。一方でカトリックは認めていなかったが認めた。カルヴァンは5%を許容して商業が発展。溜め込んだお金を外に回すために重要である気がする。利子についてはもっと勉強したい。

最後に

 「宗教地政学」の本と銘打っているが、国や地域ごとの宗教の遷移と対立などがよくわかった。宗教という切り口で世界史をみたい人にはおすすめです!

浅草キッド

2021 Netflix 劇団ひとり

ビートたけしの小説を元にした映画。予算もあるNetflix映画だし柳楽優弥が出演していたので気になってみてみた。

登場人物・世界観

 ビートたけし(柳楽優弥)は何かをしたいがきっかけを掴めない。深見千三郎(大泉 洋)は舞台上からお客をもたしなめるような頑固なコント芸人。ときは1970年前後でテレビが普及しだしカラー化し始めている。時代の上昇気流を感じられるような空気が漂う。その一方で古いメディアであった劇場などからは客足が少しづつ遠のいていく。

物語の始まり

 大学生活に馴染めないでいたビートたけしは、浅草にあるストリップ劇場のフランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイを始める。座長であった深見千三郎は芸人になりたいと言うたけしに少しづつタップダンスを教えて試していく。ある日、たけしが練習しているところを見た師事はその成長を評価し、前座芸人としてコントに出演させる。たけしは舞台で徐々に頭角を現していくが、テレビでの漫才ブームにあやかりたいとフランス座を飛び出す。コントを捨てて、きよしと漫才コンビを結成するも、思うようにはいかない。

テーマ

 テーマは師弟の絆であろう。深見千三郎は弟子を思って食事に誘ったり、先行きを心配したりする。一方のたけしは破門されても師匠として慕う。「師弟関係」というものの重さがよく理解できた。いろいろなところに現れていたと思う。

 深見千三郎とビートたけしのやり取りなどは粋だし、こんな師匠に付いていきたい!と思わせる温かい師匠像である。ふと師弟の絆と書いたが、そもそも絆は師弟の中に組み込まれているのかもしれない。

最後に

 見どころは柳楽優弥演じるビートたけしだと思う。モノマネではないけど似ているし、何か全体的な不器用な感じに親近感が湧く。ストリップ劇場や当時の風景などをしっかりと捉えていてあの時代に没入できる。ただ後半に向かって感動させるぜ!という演出が強い気もして、もう少しサラリとしていたも良かった。とはいえ、1970年代の雰囲気の中で、すでに伝説となっているビートたけしの半生に迫っていて素晴らしかったし、タップダンスも素晴らしかった。

 ビートたけしを知っている人は見て損のない作品である!ビートたけしを知らない人はあまりいない気もする。

働かざる者たち

2017 大映テレビ 有働佳史

 「働かないおじさん」というワードをよく聞くが、Netflixでたまたまタイトルを見て、興味が湧いた。

登場人物・世界観

 橋田一(濱田岳)は毎産新聞社の社内システムエンジニア。コンピュータシステムや個人のパソコンのトラブルを解決する裏方業務でやる気がない。副業のギャグ漫画の執筆をすることで、好きでもない業務とのバランスをとっている。新田君は同期のエース記者で新聞のトップに踊るような記事を書いている。川江菜々は派遣社員でやる気なく働いている。八木は同期が出世するなか仕事に縛られず、定時で退社し年甲斐もなく合コンに参加している。

物語の始まり

 そこそこに働いている橋田一に毎日のようにちょっかいをかけてくる八木沼豊。社内で出世している人が多いことから【伝説の94年組】と言われる同期たちの中でただ一人会社に縛られずにいる八木の姿は、自由気ままに人生を謳歌しているように見える。また忙しく働いている同期の新田の姿にも憧れる。さらにヒョンなことから川江菜々にも漫画を描いていることがばれてしまう。

テーマ

 会社に所属してい働くとは何か。ということをいろんな働かない人を見ながら考えていく。働いていないように見える人も理由があったりする。仕事に情熱をそそいで来た人も少し間違うと働かなくなったりする。

 ファイアーしたけど、やっぱり働きに戻ったという話を最近みたが、社会との繋がりとして働くことは必要なのだと思う。ただあまりにも働くことに向いていない、ストレスがあるという人は別。とはいえ、アルバイトでも働くということは少なからず責任は伴うことなので、多かれ少なかれストレスはある。みんな何かしらのバランスをとって日々を過ごしているのだとは思っていたが、このドラマを見てそれをよく理解できた。

最後に

 会社勤めをしている人にとっては一癖あるようなキャラクタたちではあるが、いそうな人たちで引き込まれてしまう。何か定まらずイベントドリブンで何とか日々をこなしている主人公も魅力的である。とはいえ、池田イライザさんの演技が一番印象に残っている。美しい。。。

 働いてはいるもののどうも面白くない、働かないオジサンがいるというようなサラリーマンにはおすすめです!

アグレッシブ烈子

2018- Netflix ラレコ

アグレッシブ烈子はもともとは番組内のアニメだったようだが、Netflixでシリーズ化されている作品。日本の社会の変なところを風刺しつつ、その中を健気に戦い抜いていく烈子を動物の姿で描いている作品。

登場人物

烈子はキャラリーマン商事株式会社の経理部に勤務するOL。普段は当たり障りなく行きているが、そのうちに怒りをためており、カラオケに行きデスメタルの歌で解消している。同じ部にはその列子に思いを寄せているハイ田君がいる。しかし、奥手というか自信が決定的になく覇気もない。人はよくいろいろ助けようとしてくれる。物語のもう一人の主人公である。そのハイ田を毒舌で切ったり上から目線で烈子にアドバイスしたりするフェネ子がいる。周りを烈子の静動を監視して、暴走する烈子を止めたり動かしたりする。

物語のはじまり

 OLになって5年後から物語は始まる。会社に行きたくない。それでも気力を振り絞ってベッドから起き出し用意をして出発する。出勤にはマイマイクを持っていくことも忘れない。通勤では満員電車で気持ち悪いおじさんに囲まれて息を吹きかけられながら電車にゆられる。やっと会社にたどり着くと疲れ果てているが、自分がサンダルで来ていることに気付く。更衣室ではキャピキャピしてウザい角田やウワサ好きのカバ美さんに襲来されてさらに疲れる。自分のデスクに着くとそして真打ちが現れる。モンスター上司のトン部長。そして雑用当番を忘れていて、急いで雑用をさせられる。さらにトン部長から「茶を入れろ、女の仕事だ」と言われて茶を入れると、お湯であると言われて「できない女はムカつくが、できない女よりマシだ」とか言われて、さっそくトイレでブチ切れる。ほとぼりを冷ますために休憩室で油を売るが、帰ってくるとさっそくトン部長から理不尽な仕事をふられて残業をする。そして残業の果にカラオケで秘密の趣味をたしなむのである。。

気になった点

 基本的には女性を中心として日本の男尊女卑社会での人々の生きにくさを表現しているものと思っている。烈子はパワハラやいやなこともあるし、女性の場合には同性も的だったりもする。しかし烈子の凄さはその状況に甘んじないで常に自ら行動していくところである。そして、それは回を追うごとにエスカレートしていき、シーズン5ではとんでもないところにまで行き着くのである。

最後に

 とにかく脚本が男性とは思えない細やかな女性視点で、日本社会の歪んだ点がよく分かるし、(Netflixは全体的にそうだけど)リベララルな視点も良くて、根強いファンがいるのは納得できる。シリーズごとに新たな展開があり烈子の世界は無限に広がっていく。あれよという間に5シーズンが終わったが、新しいシーズンも待ち遠しい。日本の会社社会に生きる皆様に是非見ていただきたい作品です!

SNS-少女たちの10日間

2020 Hypermarket Film, Czech Television, Peter Kerekes, Radio and Television of Slovakia, 

SNSをめぐる少女たちがさらされている現実を撮ったドキュメンタリー。ビッグイシューで読んだいたが、その後にネット記事で紹介されていて、見てみたら想像以上でした。

構成

 三人の女性が未成年の少女になりすまして、女の子っぽいセットの部屋からパソコン経由でSNSにアクセスして書き込みをしたり画像つきで会話したりする。様々な男性が卑猥なことを言われたり、写真などを送りつけられたり、ネットごしの性的な嫌がらせをする男性たちをに合う様子を描く。

気になったポイント

 基本的には社会でうまく行っていない人たちのストレス発散のようにも思っていたが、実際には知り合いの普通に見える男性すらも同じような行為に及んでいたのには驚いた。

最後に

 とにかく本当にひどいなと思った。女性は日々様々な被害にあっているのだろうけれど、特に未成年の女の子がSNSにアクセスするのは危険だと思った。まともな男性は一人しかいなかった。仕事場でも女性だとメールをするだけでいろいろあると聞いたことがあったが、同じような感じになっているのかと思った。

 弱いものを狙って鬱憤を晴らすクソみたいな男性を見たい人や女性の性的被害の状況をしりたい人にはおすすめです!

船を編む

2013 松竹 石井裕也

 大好きな映画でこれまで何度も見ている。何か俗世から離れたような辞書編集の雰囲気がスキなのか、あのひたむきに物事を突き詰めていく主人公たちの様子がスキなのか。とにかく好きである。

登場人物

 マジメ(松田龍平)は大学院で言語学を専攻するが、玄武書房の営業部に配属になる。ひょんなことから辞書編集部に異動になり、辞書編集に打ち込むようになる。かぐや(宮崎あおい)はマジメが住んでいる早雲荘の大家さんの孫娘で板前。早雲荘に住むようになる。

物語の始まり

 玄武書房の辞書編集部に人が足りなくなり、辞書編集部の荒木と西岡は適当な人材がいないか営業部に探しに行く。とても営業には合っていなさそうなマジメが実は言語感覚が優れている事がわかり、ヘッドハンティングされる。マジメは辞書編集部の人たちの辞書づくりに対する真摯な思いを受け止め、「辞書は言葉の海を渡る舟、編集者はその海を渡る舟を編んでいく」という意味がこめられた中型百科事典『大渡海』の編集に打ち込んでいく。

テーマ

 テーマは言葉ではあるが、長い時間に渡り言葉と向き合い人生をかけて一つの仕事に真摯に打ち込んでいく姿も描き出されている。何か物を作り出すというのは魂を削る仕事だと思う。辞書にも作成そのものだけでなく様々な周辺の業務を通じて多くの人々の魂が込められている。

最後に

 朴訥としたマジメさんが好きでもあるし、なにげに熱い荒木さんも好きだ。西岡さんもいいし、かぐやさんの透明感も良い。家のシーンも良いし、居酒屋のシーン、編集室のシーン、料亭のシーン、辞書の紙を触るシーン、荒木の家のシーン。好きな映画はどこを切り取っても良い。思えば俳優陣もみんな好きだ。松田龍平さんと池脇千鶴さんは超絶好きだ。宮崎あおいさん、オダギリジョーさんも好きだし、才気あふれる黒木華さんまでも出ている豪華キャスト。熱くてしっとりとした良作はこちらです!ぜひ御覧ください!

 

イコライザー2

2018 ソニー・ピクチャーズ アントワ・フークア

 イコライザー1が面白かったので、2を探していたがつにネトフリで見つけたので即みてしまった。うーん、1の方が壮大でいいかな。けど2も面白かった。

登場人物

 ロバートは元CIAの工作員だが、引退して個人タクシーを営みながら悪事を働く人を罰して働いている。普段の趣味は読書で表向きは平穏に暮らしている。

物語の始まり

 ロバートは変装して列車に乗っている。近くの男が立ち上がったのに合わせて、ロバートも立ち上がってついていく。食堂車でロバートは男と話し、自分の娘の誘拐に携わっていることをやめるように言うが手下を使って実力行使してくるので、すべての手下を数秒で仕留める。

テーマ

 世の中には不正が溢れている。悪に染まるな、かならず裁かれる、ということだろうか。ロバートは小さな問題・不正を一つ一つ潰してくれている。一方でロバートの範囲の悪が裁かれたりするが、世の中にある悪すべてには物理的に対応できない。何かもっと大きな国家レベルの悪は野放しにされている気がする。そういうのは一人の力ではどうにもならないのかも。

最後に

 身近な弱きに寄り添うロバートがカッコいいのは間違いないが、趣味が読書というところがまた深みがある。憧れのヒーローである。3も出るらしいので楽しみである。
 ちょっと残虐なところもあるけど弱きを助けるヒーローを見たい人にはおすすめです!男性ウケするヒーローなのではないかと思う。

インカとスペイン帝国の交錯 (興亡の世界史 12)

2008 講談社 網野 徹哉

 インカは大好きである。その出会いは幼少期にまで遡り、太陽の子エステバンというアニメで大きな刺激をうけて、大学卒業時には今しかないとマチュピチュまで行って神秘を感じてしまった。この本を読んで少しインカへの見方が変わったと思う。

本の構成

 第一章「インカ王国の生成」ではインカ王朝創始の場所から始まり第9代パチャクティの時代に外敵との戦いに勝利しクスコ周辺の一部族から帝国を築くに至る。12代の王朝や帝国が築いた6000キロ以上のインカの道の紹介をする。アンデスの相互に依存する経済とインカが帝国した後の変質と富の集約を語る。インカ王が神格化されて過去の王のミイラの信仰などの様子が確立されていくと共に太陽信仰や農耕の儀式に携わる様子が描かれる。
 第二章「古代帝国の成熟と崩壊」では帝国を拡大するために各地に赴き戦うと共に献杯の儀式により周辺の社会を従わせ支配する様子が描かれる。皇帝の統治下ではインカの平和が築かれたが、地方社会は国領・神領・民領に分割されて統治され、地方社会は重税や人の派遣を負い、太陽神の信仰を強制された。しかし第11代ワイナカパックのころには帝国の北端で敗戦しこれ以上の拡大に影がさしてくる。また帝国の末期を示唆する事象として、虐げられる地方の説明が続く。クスコから1600キロ離れたカニャル地方に太陽の神殿の建設のための石が運ばれたという。ワイナカパックが死ぬと継承争いが起き、より保守的なアタワルパが勝利する。その頃に海から肌の白い異邦人が渡ってきる。多くの民族がこの異邦人にアクセスしてきていたが、より痛めつけられていたカニャル地方の人が積極的だったという。異邦人がアタワルパ王に接見し王が死ぬまでの様子が描かれる。
 第三章「中世スペインに共生する文化」では視点を中世スペインに移す。1532年のキリスト教徒側から見たインカ帝国の最後を見た後に、異文化であるインカ帝国への接し方の根源にあると筆者が考える1391年頃にスペインであったポグロムと呼ばれるユダヤ人の虐殺について語られる。その背景として7世紀からのスペイン社会からゲルマン民族の侵入と共にユダヤ人への抑圧が強くなっていくが、イスラム帝国による支配下で緩和される。その中で翻訳などによりイスラム圏のアラビア語で畜された知性をラテン語に解放していきヨーロッパの知識人を集めた。そこから聖ヤコブ信仰によりエネルギーを得たレコンキスタでイスラム帝国が排除される。しかしキリスト教下でも当初は制限があるもののユダヤ教への許容があったことが示される。それでも14世紀末にポグロムを経てユダヤ教からキリスト教に改宗する人が出てくる。コンベルソと呼ばれるこれらの人々が社会の上層部に上がっていくと、都市トレドで富裕層であるコンベルソ商人に対する不満が噴出し、コンベルソ地区で略奪が起こる騒ぎになった。
 第四章「排除の思想 異端審問と帝国」では引き続きスペイン帝国でのユダヤ人問題を取り上げる。カスティーリャ王国のエンリケ四世は異教徒に対する宥和的な姿勢がありイスラーム文化愛好家と揶揄されたりユダヤ人のダビラ家のディエゴ・アリアスを重用した。エンリケの後はカスティーリャのイザベル女王とアラゴン王と婚姻が成立しスペイン国家が誕生した。イザベル女王はエンリケ四世と対峙するように非宥和的な強権的な王権を指向し、グラナダのイスラーム王国での虐殺や奴隷化をした。セビーリャでは異端審問が始まりコンベルソが犠牲になった。アンデスの征服を遂行した男たちが育った地方にあるグアダルーペは聖母マリア信仰がありコンベルソに宥和的な姿勢があったが異端審問が始まり拷問や火刑など残忍な極刑が執り行われた。1492年にはユダヤ人追放令が出せれる。キリスト教への転向を条件に帰還も許されるも、キリスト教を軸としてイベリア半島を統一する。ただその王国を統治する文民の中には多くのコンベルソが含まれていた。
 第五章「交錯する植民地社会」では、、、1532年までのスペインの征服者たちの足跡を追う。フランシスコ・ピサロは1513年にパナマに降り立つ。フェルナンド王はダビラ家のディエゴ・アリアスの孫・ペドラリアスを金の探索に派遣するも、現地のバルボアと対立し、バルボアは処刑される。新世界は本国の反ユダヤを逃れたコンベルソたちの活路だったが、ベドラリアスはニカラグアを目指したため、ピサロはコンベルソから資金を得て1524年から南方を目指した。2回の航海を終えて巨大な社会があることを確認した後に一度スペインに戻り征服の許可を得てから三回目の航海に向かう。1532年にインカ王アタワルパを捕虜にして、命と引き換えに金を集めるが約束を保護にして処刑する。そして擁立された第11代ワイナ・カパックの子はクスコに向かう途中に謎の死を遂げる。またワイナ・カパックの別の子マンコ・インカがインカ王候補として出現したためピサロはそれを認める。インカに支配されていた民族はスペインの支配を歓迎する動きを見せて国王に臣従を誓った。ピサロは征服者に周辺の部族の支配をそれぞれに委託し、この委託者により中間搾取が行われる制度だった。委託者に自分の臣下を取られたマンコ・インカはクスコの包囲戦に打って出るが失敗し、その後アンデスの熱帯地方ビルカバンバに拠点を移しスペイン勢力と対立する。同じワイナ・カパックの子のパウリュが即位するがスペインの支配の中でインカを存続させようとする。一方のスペイン社会も不安定でありアルマグロにフランシスコ・ピサロが暗殺されると、ゴンサロ・ピサロはスペインに反旗を翻すが失敗し処刑される。委託制度を恒久化しようとする動きもあるが、ドミニコ会は中間搾取を行う委託制度が地域社会の活力を削ぐ制度として反対して、各部族に対して啓蒙活動を行う。インディオの自主性を主張する言論の中でスペイン社会とインディオ社会を両立させるという思想が出てくる。一方でインカの存在が社会の不安定さの原因になるとまずはビルカバンバの反スペインのインカ族が武力により制圧される。また親スペインのインカ族も追放しようするが強い反発がありクスコに戻ってくる。
 第六章「世界帝国に生きた人々」では帝国の物理的な広がりとその広大な帝国内を行き交う人や物を描く。まずは帝国の広さの話から始まり、神聖ローマ皇帝カルロス五世の移動量や旅行記を書いた冒険家の移動量、帝国内を異動させられた官僚の移動量を描く。本国からの移民の制限についての説明。1540年代にポトシで銀山が発見され採掘された銀は財政難のカルロス五世のもとに送られた。銀山での労働は過酷だったが人口の1/7が送られたが徒歩でポトシに移動しなくてはならないためクスコの住人は片道三ヶ月かけて家族で移動した。過酷な労働はコカの葉と交換されてインディオは中毒になっていた。もともとコカは宗教的儀式と結びつき、生産も国家や共同体で厳密に管理されていたが、スペイン人がそれを手中に収めインディオ社会に大量に流通させた。マゼランが太平洋を超えアジアに達するルートが発見されると、ポトシの銀はアジアに流れて中国の陶磁器や絹織物と交換されてアメリカにアジア製品をもたらした。このルートにのって人の行き来もありリマに移り住んだ中国人や日本人もいた。
 第七章「帝国内の内なる敵 ユダヤ人とインディオ」ではユダヤ人とインディオに対する異端審問による迫害を取り上げる。南米のポルトガル系商人はコンベルソでリマで審問をうけて監獄で拷問を受けていた。また本国では無理やりに改宗されたイスラム教徒が大反乱を起こしたが鎮圧されカスティーリアの各地に強制移動させられるという一件があり異教徒を暴力で排除しようという動きがある。一方ドミニコ会の修道士などは土着の言葉を覚え彼らを理解してアンデスの統治権を先住民に返そうとする。しかし副王トレドの違和を強行に排除するという思想によってインディオ宗教に対する寛容さは制限される。加えてインディオ・ユダヤ人同祖論があり、インディオがユダヤの失われた10支族の末裔であるという言説があり、キリスト教から敵視されていたのもある。トレド副王が一線から退くと抑圧は一時緩和されるが、17世紀の初頭に再び不寛容思想が覆う。1609年に偶像崇拝を根絶するためにインディオの村を急襲し証拠を収集し拷問をするようなインディオを目標とした異端審問が始まった。
 さらに1639年には隠れユダヤ教徒として63名が裁かれ11名が火刑となる異常な状態になった。これは密輸で儲けたコンベルソたちだった。1492年に追放令でスペインを追われたユダヤ人はポルトガルでコンベルソを中心とする強力な商人階層を形成し、同郷者集団=ナシオンとして大西洋にネットワークを形成し密輸により富を集積した。特に16世紀の後半からプレンテーション経営で重要が高まった黒人奴隷の交易で幅を効かせた。その後ナシオンの人々はポトシやリマなど新大陸各地に定着していったが、王室もインディオに悪い影響がないかを懸念する。インディアス海路で行われていた正規貿易に携わる特権的商人は大きな打撃を受けナシオンを規制する組織ができたり、ナシオンがポルトガル人でありながらオランダを支援しているという陰謀論も語られた。これらの反ナシオンの動きが1639年の隠れユダヤ教徒の断罪として結実した。
 第八章「女たちのアンデス史」では女性たちの扱いを描く。スペインからの移住者に女性はほとんどいなかったために男性はインディオ女性と結婚しメスティーソが生まれた。インカ社会でも女性は地方の首長から王国のために差し出したり逆に後宮から恩賞として地方の首長に贈与するケースもあったが、スペイン人政府に対しても女性がやり取りされた。その後、純潔主義からスペイン人はスペイン人と婚姻を結ぶことが奨励されインディオ女性との内縁関係の解消が奨励された。またメスティーソの女性が修道院に入り習慣や作法を学んだ後にスペイン人向けの花嫁市場に投入されたケースもあった。このようなミソジニー社会では女性は魔術にすがり状況を改善しようすることもあり、薬草や薬湯などで男性をコントロールしようとしたりコカをつかった儀式をする動きもあった。
 第九章「インカへの欲望」では手短にインカの大反乱の前駆的な動きについて語る。インカ族はスペインと対立して武力抵抗して破滅した人々と、スペイン人と協調した人々に別れたが、後者はクスコに12の王家を再生させることに成功した。毎年7月25日にキリスト教にまつわる聖ヤコブの祝祭が開催されたが、そこにインカのようなゴージャスな衣装をまとって参加し、スペインの支配下であるがインカ王朝の歴史を再現し継承し続けた。また17世紀後半には非インカのインディオたちがインカ貴族になるための事件が起こったりした。この事件をめぐってインカの純血性が強調されたが、また一般のインディオに対しても純粋なインディオであるべきだという考えもあった。またベタンクールは1750年代からインカの継承権を求めて活動をしていたが、同じようにホセ・ガブリエル・コンドルカンキも1776年にインカ王の末裔であると活動を始めた。ベタンクール家はインカの継承権を得られるが、コンドルカンキは敗北する。敗北したコンドルカンキは1778年に息子にインカ王の衣装を着せてクスコの街を練り歩くというデモンストレーションを行なった。
 第十章「インカとスペインの訣別」では1777年にインディオが放棄してスペイン人を皆殺しにするという噂がまことしやかに流れ実際に計画をしている人々もいた。まずはこの背景を調べていく。16世紀後半以降インディオ社会はスペイン王国に納税を続け、ポトシ銀山付近へも人を送りこまねばならず共同体は疲弊していった。またカルロス三世の元で行われた財政改革で南米での徴税も強化され人頭税や消費税も上がり、税金の徴収のための地方官僚コレヒドールも派遣された。彼らは商品を強制的に分配し料金を払わせるようなことで私腹を肥やした。またコンドルカンキが首長を努めるティンタ地方はポトシ銀山へも遠く負担が重く、インディオは帰れたとしても死んでしまう状態だった。1780年に入ると徴税の負担が各地で限界に達してまずはアレキッパの街で暴動が起きた。
 その後、ラ・プラタ市の首長フロレンシオ・ルパが殺されるが、スペインの利害のためにコレヒドールと共謀しインディオを犠牲にしていた。ラ・プラタ市の共同体はコレヒドールを介さずに直接ポトシの税務官に納税することにより、中抜きのないより多い税を納めることでフロレンシオ・ルパに対抗した。またティンタ地方のマチャでも同じようなことで、トマス・カタリがコレヒドールと対峙して合法的に辛抱強く行動していたがついに殺されてしまう。そしてコンドルカンキも行動に出る。ティンタ地方のコレヒドールの身柄を拘束し処刑する。コンドルカンキの反乱軍はクスコに進み、11月にはサンガララでスペイン支配者側の軍勢に勝利し、6000人ほどだった反乱軍は5万人に膨れ上がった。当初はスペイン王国の王の聴訴院での法廷闘争でインカであることを拒絶されたコンドルカンキはインカであることにスペイン王権の権威が必要なくなっていたのもあり、スペインからの独立してトゥパク・アマルとしてインカの末裔を名乗った。しかしクスコ攻防で失敗し、処刑される。反乱は止まることはなくトマス・カタリの兄弟が過激化させて継続させるがラ・プラタ市で敗北する。同じようにフリアン・アパサもラ・パス市を包囲するが敗北する。そしてインディオと白人の深い溝を残して数年の反乱は終息した。インカを恐れたスペインによってインカの衣装も禁止された。1808年本国スペインでもナポレオンがカルロス四世を廃位させるのと呼応して、アンデス地域でも独立革命の動きが加速していく。しかしインカの時代がしのばれるも、その主役であったインディオについては尊ばれないようになった。

気になったポイント

 まず南米の地には以前も帝国があったことがさらりと図示されていたのが印象的だった。これらの帝国の遺産の上にインカの道や技術などのインカ帝国の文明があったと考えるのが自然だと思う。好戦的な部族同士の衝突がたくさんがあったが、インカはその中でも戦いにうまく勝ち上がり、部族の統合を成し得たように読めた。

 本書はちょっとユダヤ人の視点が多いような気がするが、ユダヤ人からみたレコンキスタは印象的だった。寛容なイスラム国家で活躍していたユダヤ人がキリスト教国では迫害されていくようすは興味深かった。

 また修道士の様子が何度か出てくるが、布教を通じて現地の言語や文化に通じるようになる修道士はリベラルな態度を持っているというのは興味深かった。それはキリスト教自体は寛容なものだということにも思えた。

 反スペインの蜂起はうまくいなかったのは悲しかったが、スペイン人が混血を持ち込んだりしていることで、社会が分断されてうまくまとまらないのに加えて、カニャル地方の人々など反インカの部族などがいたことも原因である気もする。

最後に

 インカとスペインについてや、インディオとユダヤ人についてより深く学べたのは非常に良かった。インカの文化やスペイン支配について興味がある人にはおすすめです!

知ってるワイフ

2018 tvN イ・サンヨプ

 どんなドラマだろう?と見始めたら、面白くて止まらなくなってしまった。夫婦をテーマにしたファンタージドラマ。

登場人物

 ジュヒョクはKCU銀行の融資担当代理として勤務する。ウジンと結婚し2人の子供をもうけ家庭を築くも仕事の事で精一杯で妻のウジンから毎日罵声を浴びせられている。ウジンはエステティシャンとして働いている。結婚してからは仕事の忙しさを理由に家族と向き合ってくれないジュヒョクに嫌気が差している。

物語の始まり

 ジュヒョクは仕事はうまく行かず、子供の迎えを忘れて車を飛ばすと事故にあってしまう。家に帰ると仕事と子育てに疲れたウジンが鬼の形相で待っている。そんな折に今でも輝いている学生時代のマドンナと会い、自分のことが好きだったと知る。学生時代の可愛らしいウジンや結婚する経緯を振り返るが、いろいろなことに流されて結婚したようにも感じる。そんなある日電車に乗っていると、みすぼらしいなりのおじさんが時空のゆがみから過去に戻れると言うのを聞く。

テーマ

 「違う人生だったら」「あそこで自分が違う行動をしたら人生は違う方向に進んだかもしれない」と誰もが思うことがある。ジュヒョクはそう思い別の人生を生きようとする。けれど、どうだろう。今の人生がよりベターな選択だったり、たとえ一つの行動が異なっていても近しい人生を生きるかもしれない。そうすると人生の幸福を決めているのは「選択」ではないのかもしれない。

最後に

 はじめの方のジュヒョクは駄目な旦那の典型である。妻の大変さを顧みないでゲームをやろうとしたりする。ウジンはそういう旦那に歯に衣着せぬ言葉を浴びせかける。韓国ドラマだからできるのか、そういうところも痛快だ。また妻を顧みない人は駄目だと思うし、自分は「仕事ができる人は家事も育児もできる」と言い聞かせて日々ほぼフルコミットまではいかなくても7割コミットくらいはしている。
 とにかくドラマは肩の力を抜いて見られるコメディファンタジーでおすすめです!ちょっと違う人生に飛び込んでみようではありませんか。

クイーンズ・ギャンビット

2020 Netflix スコット・フランク

 売り出していたし、アニャ・テイラー=ジョイの独特の雰囲気に惹かれて見た。チェスは正直良く分からないが、分からなくても楽しめた。

登場人物

 数学者の母親を持つベスは自閉症の症状があるが、9歳で交通事故で母親を亡くす。養護施設の用務員ウィリアム・シャイベルは経験豊富なチェスプレイヤーだが、ベスのチェスの才能を見い出す。

物語の始まり

 母親を失ったベスは養護施設に入れられる。そこでは薬物を子どもたちに投与しており、ベスは依存症になっていく。ある日ベスはひとり地下室で用務員のシャイベルが打つチェスに特別に興味をそそられ、彼からチェスの手ほどきを受けのめり込んでいく。

テーマ

 チェスの才能と道徳性の欠如を併せ持った女性が世の中の脚光を浴びて、チェスという男性社会に乗り込んでいく様が気持ちいい。依存症を持つ様子もベスの便りなさを表しているようで、むしろ許容してしまう。どの世界でもちょっとズレているような女性でないと男性社会では戦えないのかしらとも思う。

最後に

 撮影効果も凄いと思ったが、アニャ・テイラー=ジョイの雰囲気も大きいように感じた。女性の活躍やチェスという独特の世界を垣間見たい人にはおすすめです!