明治維新という名の洗脳

第一章 明治維新を支えた金策

武器を買うためにお金がかかったが萩藩(長州)には100万両のお金があった。表向きの財政は苦しかったが別会計で裏口座にお金を貯めた。民からは年貢を搾り取り、民は無理を強いられていたため一揆は多発して防長大一揆では13万人以上が蜂起した。倉庫事業と金融業も営んだが、さらに密貿易も行った。貯めた資金は撫育資金と呼ばれ撫育局が管理した。新政府の官僚機構は長州閥が作ったが撫育局員に占められていた。木戸、高杉、井上、伊藤、大村も撫育局員に関連していた。この撫育資金は現在の特別会計である。薩摩は警察権力をにぎり、長州は司法権力を握った。長州藩というのは存在せず、萩藩であった。

第二章 イギリス外交

イギリスは当時日本を重要視しておらず謀略を仕掛けていたとはいえない。しかしパークスは本国から中立を指示されていたのに鹿児島を表敬訪問し、彼がエージェントと呼んだ日本の人々と会っていた。エージェントとは今も昔もスパイのことである。フランスが幕府側、イギリスが薩長側ということはなかった。欧米勢力は常に幕府側に近づこうとしていた。パークスは薩摩にも接触していた。それはフランスのロッシュが富豪の息子だったのに対して、パークスは両親を亡くして清国にわたってアヘン戦争を体験するという叩き上げな人だったという、育ちと性格的な違いである。
 薩長を陰からバックアップしていたのはアーネスト・サトウであった。彼は英国策論を英字紙・ジャパンタイムズに寄稿し、自ら日本語訳してエージェント経由で配った。加賀藩に上司とおとづれた際に二人の弟子をとっている。サトウは弟子としてエージェントを育成していた。松本弘安や五代才助がエージェントと言われる。薩英戦争の前に自らイギリス艦船に拿捕され、捕虜になっている。幕末をよくわからなくしている原因の一つは各藩には開国派と攘夷派が拮抗していることである。萩藩は元々開国派だったが、尊王攘夷派となり外国人の排斥を始めるが、1863年にアメリカ艦隊を砲撃して敗北すると開国派が力を持ち、尊王倒幕派に変わる。長州討伐と下関戦争で敗北すると幕府恭順派となるが、高杉晋作が騎兵隊でクーデターを成功させると尊皇討幕派となり明治維新を突っ込む。この尊皇討幕派は尊皇攘夷派ではなく数年で開国派に変わっている。
 長州ファイブの伊藤博文と井上馨、山尾庸三、野村弥吉(井上勝)、遠藤謹助はイギリスに密航した。この出航の二日前に萩藩は外国船に対して攻撃を始めている。イギリス船には攻撃していない。イギリスとの内通が疑われるが物的証拠はない。イギリスに着くと伊藤と井上は別に行動している。彼らは長州攻撃を止めるために急遽半年で帰国する。伊藤は二ヶ月しか学費を払っておらず、井上は0である。そもそも出航前に分かっていたのに急遽帰国するというストーリーがつたない。イギリス側が有望な若者を国力を見せつけ英国側に引き込んだという方が分かりやすい。サトウは日本の統治を武士階級に間接統治させればよいと言っている。留学させて有力者とのパイプを作るのが昔も今も繰り返している。留学生とはエージェントなのである。

第三章 外国商社

サトウの上司、アルジャーノン・ミットフォードが自著にもう一人協力者がいたと書いている。それはグラバーであり、武器商人として特に薩摩を強力にバックアップしていたことが知られている。グラバーのフリーメーソン疑惑は否定されていて名簿にもない。グラバー紹介は明治3年に倒産している。この時代にやってきた商人は優秀で、その筆頭がジャーディン・マセソン紹介であり、現在もフォーチュン500になお連ねる世界最大級のコンマグリットである。マンダリンオリエンタルホテルはグループ企業だが、同社の前身は東インド会社である。また横浜で創業した商社アスピナル・コーンズ社はロイズのエージェントになることで世界の海の情報にも精通するが、情報網は英米の諜報機関を凌ぐと言われている。アメリカのウォルシュ・ホール商会はイギリスのジャーディン・マセソンと競う大手貿易商社で三井物産創業者の益田孝氏が社員として働いていたことがある。
 グラバー紹介の破綻の原因は武器の仕入れ過ぎであった。幕府軍は大阪城で籠城しなかったために武器・弾薬が売れなかった。それだけではなく熊本藩から依頼された龍驤艦を建造していたが、完成は戊辰戦争の終盤で藩には支払うモチベーションが下がっており、多くが焦げついた。
 幕府軍の敗北にショックを受けていたもう一人の外国人はロッシュであった。フランス軍が協力するから薩長と戦えといったが慶喜はのまなかった。しかしそれは武器弾薬の借財を清算することが条件になっていて、のめないものだった。
 グラバー破綻の一つの原因は英国行使のパークスの思惑である。パークスは戦争を短期で終わらせ、貿易をしたかったので、西郷のもとにその指示が来ていた。龍驤艦の建造をイギリスから妨害されていたのも原因の一つである。高島炭鉱も経営していたが、手形を換金できずに破産におちいる。幕府の手を経て、最終的にはジャーディン・マセソン商会が買う。
 外国から日本に来ていたの人々は本国では冒険商人と呼んでいたが、要は海賊まがいの荒くれ者だった。先の長州ファイブの留学のお金を出していたのはジャーディン・マセソン商会である。

第四章 銀行

幕府にはロツジルト、ロスチャイルド家が接触していたことはデント商会の為替手形から明らかだ。日本には外資系の銀行がなかったからデント商会を仲介し送金した。1863年にイギリス資本のセントラル・バンクが横浜に上陸した。これは日本で最初に設立された銀行でもあった。幕末にはイギリス系銀行が多数進出した。高橋是清はマーカンタイル銀行でアラン・シャンドのボーイとして働いていた。これらの銀行の中でもっとも新政府に食い込んだのが東洋銀行であった。新政府が横須賀製鉄所を接収したときも力を貸した。これを皮切りに鉄道建設、造幣寮や紙幣寮の創設、外積募集で協力していく。外資系商社、外資系銀行は安政期の通商条約によって保護され、治外法権の中にあった。東洋銀行は幕府にも金を貸していた。つまり幕府のバックにはフランスの銀行が付いていたというのは誤解である。造幣寮にはイギリス人が深く関わっていく。銀行は正常不安定なときに日本に進出してきている。銀行は戦争をかぎつけてやってきている。武器弾薬が売れるからだ。外国商社は外国銀行を必要とした。外国商社および外資系銀行にとって戦争は絶好の稼ぎどき。そのもう一つの理由は戦争が起きると、当事国の通貨が暴落するからである。その場合には外資系銀行が差し出す、国際流通通貨を使用する以外に道はないということだ。当時で言えばメキシコ・ドルである。なぜヨーロッパの通貨を使えなかったのかというとフランスにしてもイギリスにしても戦火が絶えることはほとんどなかったからである。また世界の銀の半分を算出してたのはメキシコだった。
 さてここでロシュチャイルド家が登場してくる。イギリスならイングランド銀行を、フランスならフランス銀行を、アメリカならFRBと、通貨発行権を持つ中央銀行をその手に収めているのがロスチャイルド家を含む国際金融資本家たちである。1815年ワーテルローの戦いでナポレノンの敗戦をイギリス政府の48時間前に掴んだ彼らは巧みな市場操作で世界の富のほとんどをてにいれたと言われており、イングランド銀行株はほぼ100%手中に収めている。通貨発行者なので融資を依頼されたら手形を振り出すだけだが、現金以上に信用度が高い。一方で国際決済通過を使うすべての人々から金利を取ることができる。まさに濡れ手に泡の商売が通貨発行権を握るということなのだ。最も効率が良いのが戦争が起きることであった。
 誰が銀行を日本に呼び寄せたのか。長州ファイルはジャーディン・マセソン商会が支援し、幕府の施設はフランスのロッシュが支援した。どちらもイングランド銀行を見学しているが、彼らに銀行の有用性を説いた人がおり、それはおそらく国際金融家たちの代理人であった。つまり留学生を支援していたのはイギリス政府でもフランス政府でもなく国際金融家たちであった。彼らはイギリス側のエージェントではなく、イギリスの銀行家たちのエージェントであった。イギリス政府は戦争に反対していが、その背後にいる国際金融家たちは戦争を望んでいた。
 また騎兵隊にゲリラ戦を教えたのはロスチャイルド家の精鋭部隊であった可能性は十分にある。志士たちは彼らに取り込まれており、伊藤浩史は世界は銀本位制であったのに、イギリスが採用する金本位制を主張した。

第五章 明治維新から150年

明治後の日本はそれまでの日本とガラっと変わってしまう。明治時代の戦争の火種はすべて朝鮮半島だった。日清日露戦争のきっかえは半島であったし、西南戦争にしても征韓論がきっかけだ。1866年にアーネストサトウは朝鮮語の勉強を始めていて、次の赴任地は朝鮮半島だろうと言っている。筆者はサトウは国際金融家よりとしている。日本では明治4年から6年にかけて大久保利通ら政府首脳が突如、日本を離れてしまっていた。新政府にとって重要な時期であり、外遊の成果は大してなかったが、ひとつだけ確かな成果があった。日本を征韓論に傾けたことである。岩倉使節団は総勢107名もいてお金もかかるが政府には金がなかった。考ええられるのは戦争屋が画策したことなのではということだ。明治が戦争の時代にしたのは国際金融資本家だった可能性はある。明治は日本の幕開けではなく、戦国時代だった。
 また坂本龍馬もグラバーの名代でしかなかった。誰が坂本龍馬を暗殺したのか?それはグラバーを裏切ったからだ。この裏切りがあったから日本に内戦が勃発するのを阻止するため、大政奉還の建白書を出せたのだ。内戦をしたかった薩長・グラバーが殺したというのが答えである。なぜこの答えを歴史家は書かないか。「このまま討幕となったら薩長が勝つ、その場合には外国の傀儡政権ができてしまう」と懸念があったら龍馬は裏切った。その後の明治・大正・昭和は薩長閥が政治の中心にいて、外国の傀儡だと名指しすることになるので、書けなかった。それがため100年間封印されたが、司馬遼太郎は封印をといたが、死の真相にはふれず薩長を絶賛する形で描かれた。それがため政府御用達になりNHKにも何度も採用された。占領軍GHQは7年間日本人に対する洗脳教育を行なった。その分かりやすい例が広島の「過ちは繰り返しませぬから」の原爆死亡者慰霊碑だろう。この洗脳プログラムを推進したと言われるのがGHQの民間情報教育局であり、NHKはこの教育局によって作れた。放送内容はアメリカのプロパガンダが基本となる。NHK開局の日の最初の番組は、アメリカのアイゼンハワー大統領の就任式だった。まるでアメリカの属国である。また最初の民放局である日本テレビ放送網を作ったのは正力松太郎で、彼はCIAのエージェントだったことが公開文書から判明している。
 司馬史観は明治は明るく、昭和は暗黒時代というもので、開国を賛美して、日本的なものを否定した。それがメディアによって拡散されている。長州藩という言葉もテレビ・メディアの造語であるが、今ではこちらの方が当たり前になっている。明治を明るくしたいのはなぜか。それは開国と自由の賛美、外国とともに歩むこと、富国強兵などだ。現在の日本は幕末、明治と繋がっている。キーマンは萩藩の家老の坪井九右衛門であり、元の苗字は佐藤。佐藤栄作と岸信介の祖先である。信介、栄作の兄弟の曽祖父である元萩藩士、佐藤信弘は長沼流兵学を修めた学者で、なんと吉田松陰に兵要禄を授けている。信寛は正義派の方についており、維新後は浜田県権知事、島根県令を歴任している。さらに岸・佐藤兄弟の血脈を辿っていくと吉田茂に繋がり、吉田の養父吉田健三は元ジャーディン・マセソン商会横浜支店長で、妻は大久保利通の息子、牧野伸顕の娘雪子だ。孫には麻生太郎がいく。一方、池田勇人の妻は長州ファイブの一人、山尾庸三の孫娘で、その家系図には児玉源太郎、木戸光一がいた。池田の家系図をさらにたどると鳩山一郎が登場し、その孫には鳩山由紀夫が現れる。
 明治維新は終わっておらず、今も薩長閥であり、明治時代だということだ。太平洋戦後の70年も日本は戦争に巻き込まれていないが、軍需品の工場として朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争までずっと加担してきた。なぜ国際金融資本家たちが戦争を好むかと言ったらお金になるからである。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)も民間企業の株式をEFTを通じて行なっている。これは上場企業のみを遊軍するもので、限りなく日銀法抵触の可能性がある。年金基金140兆円も上場株式の購入に注ぎ込んでいる。
 民主主義の最後の敵は資本主義である。金融資本主義こそが民主主義の最大の敵である。現在は民の意思でいく末を決める民主主義でなく、多国籍巨大企業だけが優遇されて最大の政治権力を持つ金融資本主義で、ひどい差別社会が形成されている。いくら働いても生活が楽にならない人々がいる一方で、働かないで毎日金利が何億と入ってくる一族たちがいる。早く民主主義に移行すべきだ。

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