伊関 淳 中経出版 2011年7月26日
題名のセンスも光るけど、内容も綺麗にまとまっていて分かりやすかった。How-to本は普段は読まないけど、まあまあ面白かった。
伊関 淳 中経出版 2011年7月26日
題名のセンスも光るけど、内容も綺麗にまとまっていて分かりやすかった。How-to本は普段は読まないけど、まあまあ面白かった。
1955 新潮社 三島 由紀夫
伊勢湾を見渡す小さな歌島で暮らす新冶と初江の恋の物語。
内容を知らずに読んだので、何が起こるかとドキドキしていたが、普通に青春小説として終了したので驚いた。ひさしぶりに爽やかな小説を読めてうれしかった。
1994 岩波書店 R.L. スティーヴンスン, R.L. Stevenson, 海保 真夫
前にも読んだことがある気がしたが、読んでおいた。悪いことをしたら駄目だよ、的にキリスト教で使われているから、ピックアップされる機会が多いのだろうか。
新潮社 島崎 藤村
被差別部落出身の丑松が自分の中に芽生える想い、父の戒め、社会の狭間で、人生を考える。島崎藤村の代表作。
なんかイメージよりも淡々としていて、そんなにドラマチックでもない。典型的で新しい発見がなかったかもしれない。
1999 白泉社 大島 弓子
流産をきっかけとして、すれ違いが生じた夫婦「ダリアの帯」を含む、7編。
やっぱりダリアの帯が好きかな。「肯定」が一番難しく美しい愛の形だ。
2003 新潮社 谷川 俊太郎
杉本彩責任編集の「エロティックス」というムックにも、この詩集から三篇が収録されている。どれがその三篇かは読んだ人には分かるだろう。その中の一遍は若い人に評判がよくて、朗読会などで取り上げられる機会が多いし、私も自分で読むのを楽しんでいるが、ときどき女性のかたで題名が口にできなくて、「例のあの詩」としか言ってくれない人がいるのが可笑しい。その題名を詩集の題名にしなくてよかった。(著者によるあとがきより)
谷崎俊太郎氏による30篇の詩。
小さい頃、氏の詩集が家にあり、意味も分からず、読んでいた覚えがある。おそらく今読んでも意味が分からないかもしれない。けど、詩って意味を分かる必要がなく、ただ感じればいいのだろう。
1996 新潮社 山田 詠美
「ぼくは嬉しい。久々に三人がそろった休日の午後、ぼくたちは、くつろいで、おやつを食べている。ぼくは、幸せな家族を持っている。けれど、小さい頃、人々は、ぼくを不幸な子供だと扱いたがったものだ。母親がひとりで、親と子供の面倒を見ているというだけで、ぼくは、不幸な人種として見詰められていたんだ。小学校では、母子家庭友の会などというものに入れられそうになった。しかし、その会員の子供たちが、そんなに不幸だとは思えなかったのだが。父親の不在に意味を持たせたがるのは、たいてい、完璧な家族の一員だと自覚している第三者だ。ぼくたちには、それぞれ事情があるのだし、それを一生嘆き続ける人間などいやしない。そこまで人は親に執着しないものだ。だって、親はいつかはいなくなる。それどころか、自分だって、その内、この世から、おさらばしてしまうのだ。父親がいない子供は不幸になるに決まっている、というのは、人々が何かを考えるときの基盤のひとつにしか過ぎない。」
時田秀美は17歳の高校生。正しい社会に窮屈さを覚えつつ、楽しく日常を送っている。そんな秀美の痛快な高校生活。
読みやすいのでササっと終わるし、面白いからお勧め。著者は頭がいい人だなぁーって思う。
結局「空」の話をしている気もしてきた。けど読んでいるだけで、こう、、、自由になれる気がする、、、のはおそらく気のせいだろうけど、やっぱり瞑想が大事と。そして瞑想についても師を持ってはいけない、自分で見つけなくてはいけないというのがなかなか困難に感じるのだけれども、どうなのだろう。
そいで、次は何を読むかなんだけど、この「既知からの自由」も2回目の訳とのことで、この訳のほうが一回目より良いらしい。ということで、この訳者の本を読むことにする。と思ったらすでに一冊読んでいた。代表作はとりあえず押さえよう。
1984 新潮社 城山 三郎
オリンピックに出場した西中位の最期を描いた「硫黄島に死す」をはじめとして、戦中、戦後を描いた全七編。
痛ましい話が多いが良かった時代を回想した「青春の記念の土地」が好き。
2003 新潮社 ジュンパ ラヒリ, Jhumpa Lahiri, 小川 高義
毎夜1時間の停電が続く夜に、隠し事を打ち明けるゲームをする夫婦を描いた「停電の夜に」を初めとする全9編。
アメリカに移住して四苦八苦しながら暮らしている「三度目で最期の大陸」が一番好き。「停電の夜に」「セクシー」も悲しく好き。「病気の通訳」はむなしく好き。「ビビ・ハルダーの治療」はうれしく好き。