1999 白泉社 大島 弓子
流産をきっかけとして、すれ違いが生じた夫婦「ダリアの帯」を含む、7編。
やっぱりダリアの帯が好きかな。「肯定」が一番難しく美しい愛の形だ。
1999 白泉社 大島 弓子
流産をきっかけとして、すれ違いが生じた夫婦「ダリアの帯」を含む、7編。
やっぱりダリアの帯が好きかな。「肯定」が一番難しく美しい愛の形だ。
2003 新潮社 谷川 俊太郎
杉本彩責任編集の「エロティックス」というムックにも、この詩集から三篇が収録されている。どれがその三篇かは読んだ人には分かるだろう。その中の一遍は若い人に評判がよくて、朗読会などで取り上げられる機会が多いし、私も自分で読むのを楽しんでいるが、ときどき女性のかたで題名が口にできなくて、「例のあの詩」としか言ってくれない人がいるのが可笑しい。その題名を詩集の題名にしなくてよかった。(著者によるあとがきより)
谷崎俊太郎氏による30篇の詩。
小さい頃、氏の詩集が家にあり、意味も分からず、読んでいた覚えがある。おそらく今読んでも意味が分からないかもしれない。けど、詩って意味を分かる必要がなく、ただ感じればいいのだろう。
1996 新潮社 山田 詠美
「ぼくは嬉しい。久々に三人がそろった休日の午後、ぼくたちは、くつろいで、おやつを食べている。ぼくは、幸せな家族を持っている。けれど、小さい頃、人々は、ぼくを不幸な子供だと扱いたがったものだ。母親がひとりで、親と子供の面倒を見ているというだけで、ぼくは、不幸な人種として見詰められていたんだ。小学校では、母子家庭友の会などというものに入れられそうになった。しかし、その会員の子供たちが、そんなに不幸だとは思えなかったのだが。父親の不在に意味を持たせたがるのは、たいてい、完璧な家族の一員だと自覚している第三者だ。ぼくたちには、それぞれ事情があるのだし、それを一生嘆き続ける人間などいやしない。そこまで人は親に執着しないものだ。だって、親はいつかはいなくなる。それどころか、自分だって、その内、この世から、おさらばしてしまうのだ。父親がいない子供は不幸になるに決まっている、というのは、人々が何かを考えるときの基盤のひとつにしか過ぎない。」
時田秀美は17歳の高校生。正しい社会に窮屈さを覚えつつ、楽しく日常を送っている。そんな秀美の痛快な高校生活。
読みやすいのでササっと終わるし、面白いからお勧め。著者は頭がいい人だなぁーって思う。
結局「空」の話をしている気もしてきた。けど読んでいるだけで、こう、、、自由になれる気がする、、、のはおそらく気のせいだろうけど、やっぱり瞑想が大事と。そして瞑想についても師を持ってはいけない、自分で見つけなくてはいけないというのがなかなか困難に感じるのだけれども、どうなのだろう。
そいで、次は何を読むかなんだけど、この「既知からの自由」も2回目の訳とのことで、この訳のほうが一回目より良いらしい。ということで、この訳者の本を読むことにする。と思ったらすでに一冊読んでいた。代表作はとりあえず押さえよう。
1984 新潮社 城山 三郎
オリンピックに出場した西中位の最期を描いた「硫黄島に死す」をはじめとして、戦中、戦後を描いた全七編。
痛ましい話が多いが良かった時代を回想した「青春の記念の土地」が好き。
2003 新潮社 ジュンパ ラヒリ, Jhumpa Lahiri, 小川 高義
毎夜1時間の停電が続く夜に、隠し事を打ち明けるゲームをする夫婦を描いた「停電の夜に」を初めとする全9編。
アメリカに移住して四苦八苦しながら暮らしている「三度目で最期の大陸」が一番好き。「停電の夜に」「セクシー」も悲しく好き。「病気の通訳」はむなしく好き。「ビビ・ハルダーの治療」はうれしく好き。
1977 紀伊國屋書店 エーリッヒ・フロム, 佐野 哲郎
「メキシコで私が観察したところでは、読み書きができない人びとや、めったに字を書かない人びとは、産業化した国ぐにのすらすらと読み書きのできる人びとより、はるかにすぐれた記憶力を持っている。多くの事実の中でとりわけこの事実が示唆しているのはこうだ。読み書きの能力は決して宣伝されているほどありがたいものではなく、まして経験し想像する能力を貧困にするような材料を読むためにのみそれを使う場合は、なおさらであるということ。」
現代人の「持つ」様式と、理想の姿「ある」様式を比較、解説し、現代の文化を痛烈に批判し、新たな社会・人間を提言する。
いろいろ考えさせられる。知るということは知識を持つことではなく、「すべての覆いを剥ぎ取るもの」として説明されている。私たちの知は既成の概念で覆われている。資本主義は気づかないうちに資本主義の価値基準を人びとに埋め込んでいるのか。そうだとすると、これを剥ぎ取るのが知であろう。資本主義は資本主義を発展させる人を歓迎し、資本主義の血であるお金をより高速に回転させられる人にその血を分配する。その血をもらわない生き方はあるのか。経済って資本主義と関係ない太古の昔からあったものだから、資本主義でない経済があればいいのか。キリスト教の経済?ギルドの経済?農奴の経済?新しい価値観なんて、そう簡単にできないと思うし、やっぱりお金って一番分かりやすいから、こんなに流行っているんかなぁ。わからん。まあ何しろ種の保存が正義だろう。多様な種が生き残れる社会が存続する。
「現代の西洋社会でも、孤立感を克服するもっとも一般的な方法は、集団に同調することである。集団に同調することによって、個人の自我はほんど消え、集団の一員になりきることが目的となる。もし私がみんなと同じになり、ほかの人とちがった思想や感情をもたず、習慣においても服装においても思想においても集団全体に同調すれば、私は救われる。孤独という恐ろしい経験から救われる、というわけだ。
独裁体制は人びとを集団に同調させるために威嚇と脅迫を用い、民主的な国家は暗示と宣伝を用いる。たしかにこの二つのシステムのあいだには一つの大きなちがいがある。民主主義においては、集団に同調しないことも可能であり、実際、同調しない人がまったくいないわけではない。いっぽう全体主義体制にあっては、服従を拒むのはごく少数の特別な英雄とか殉教者だけでだろう。しかし、こうしたちがいにもかかわらず、民主主義者愛においても、ほとんどすべての人が集団に同調している。」
フロムが語る愛する技術。それには理論に精通し、修練を積み、それを究極の関心事すれば良いという。そのためには全人格を発展させ、それを生産的な方向にもっていく必要がある。愛が全般的にかけている現代社会への批判・分析と共に、愛の技術に迫る論文。
愛の理論
-孤独への対処として、現代社会は安易な対処法を提供しているが、愛こそ答え。
-能動的である必要がある。その一つが与えるという好意。自分の生命力の表現。
-その他、愛は以下の要素を持つ。
-配慮:生命や成長を積極的に気にかける。
-責任:相手の精神的な供給に応じる。
-尊敬:その人らしく成長発展していくように気遣う。
-知ること:相手の立場にたって見ること
-愛の対象
-親子の愛:私が私だから愛されるという経験。
-兄弟愛:隣人愛がすべての愛の基本。
-母性愛:母親は幸福な人間でなければならない。
-異性愛:自分という存在の本質を愛し、相手の本質とかかわりあう。
-自己愛:自分自身の人生、幸福、成長、自由を肯定することは、自分の愛する能力、すなわち気遣い、尊敬、責任、理解に根ざしている。
-神への愛:助けてくれる父親を信じるというものではなく、「神」が表象する原理-真理、愛、正義-を生きる。
現代の愛
-経済的価値による指標、標準的な嗜好、消費したがる人、影響されやすい人。そういうものに影響されている愛の概念。
愛の修練
-規律、集中、忍耐、最高度の関心。瞑想。
-謙虚さ、客観性、理性を育て、ナルシシズムの克服。
-自分自身の経験、思考力、観察力、判断の自信に裏付けられた信念を持つ。他人の可能性を信じる。
「人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。
愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろう希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。」
『今日の人間の幸福は「楽しい」ということだ。楽しいとは、何でも「手に入れ」、消費することだ。商品、映像、料理、酒、タバコ、人間、講義、本、映画などを、人びとはかたっぱしから呑みこみ、消費する。(中略)必然的に、愛をめぐる状況も、現代人のそうした社会的性格に呼応している。ロボットは愛することができない。ロボットは「商品化された人格」を交換し、公平な売買を望む。愛の-とくにこのように阻害された構造をもつ結婚の-もっとも重要なあらわれの一つが、「チーム」という概念である。幸福な結婚に関する記事を読むと、かならず、結婚の理想は円満に機能するチームだと書いてある。こうした発想は、滞りなく役目を果たす労働者という考えとたししてちがわない。そうした労働者は「適度に独立して」おり、協力的で、寛大だが、同時に野心にみち、積極的であるべきだとされる。同じように、結婚カウンセラーは言う-夫は妻を「理解」し、協力すべきだ。新しいドレスや料理をほめなくてはいけない。いっぽう妻のほうは、夫が疲れて不機嫌で帰宅したときには優しくいたわり、夫が仕事上のトラブルを打ち明けるときには心をこめて聞き、妻の誕生日を忘れても怒ったりせず、理解しようと努めるべきである、と。
こうした関係を続けていると、二人のあいだがぎくしゃくすることはないが、結局のところ、二人は生涯他人のままであり、けっして「中心と中心の関係」にはならず、相手の気分をこわさないように努め、お世辞を言い合うだけの関係にとどまる。』
1995 小学館 萩尾 望都
儚く繊細な少年たちのギムナジウムの学園生活。
こんな美しく切ない世界を作り上げる萩尾先生は天才としかいいようがない。
1995 小学館 萩尾 望都
「トーマの心臓」の原型となった「11月のギムナジウム」を含む7編。