レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈上〉

2000 草思社 トーマス フリードマン, Thomas L. Friedman, 東江 一紀

 

レクサス=グローバリゼーションの象徴。オリーブの木=文明や個々人の文化やアイデンティティの象徴。レクサスとオリーブの木のせめぎあいを、筆者自身が見聞きした小さいエピソードの集合によって描いた作品。相手は中東のインターネットカフェであった若者からグリーンスパンまで様々。筆者のフリードマンは“継続可能な”グローバリゼーションを指向している。グローバリゼーションは貧富の格差を助長するが、最低の生活を底上げすることができるもので、かつ、腐敗した政治などを壊す力もある。しかし、グローバリゼーションによってマクドナルドがどこにでもあるというように、世界が均質化してしまうことはさみしいことで、オリーブの木は必ず必要なものであるとも。いずれにしてもグローバリゼーションは通信技術に裏打ちされているもので、衛星放送、電話、インターネットなどによって相互に情報が行きかうことで人々がより良い外の世界を知ることができるために、それを止めることはできない。

たまたま見つけた黒川清先生が薦めていた本の中に入っていたので遅ればせながら読んでみた。マクドナルドがある国同士は戦争をしない、という直感的に法則を提言があったり面白い。永続的な持続にはセイフティネットが必要だという説は私がグローバリゼーションをイメージしたときには対極にあるものだと思っていたが、そういうものではないらしい。たしかにインターネットを初めとした昨今の著しい通信技術の発達がある限り、グローバリゼーションという世界が相互に接続する仕組みを止めることはできないと思う。エピソードにもあったがグローバリゼーション反対の運動すらもインターネットを通じてグローバルに行われているという状態である。アメリカ文化の流入だけでなくて逆流もあるということだったが、たしかに日本のアニメ文化が世界に広まったりしているし、アメリカ以外の地域との接続による文化の相互作用もある。これは均質化ではなく相互作用だ。これがパクス・グローバリアーノに結びついてくれれば良いと切に願う。

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