The Elements of Style

1999 Allyn & Bacon

 

“Vigorous writing is concise. A sentence should contain no unnecessary words, a paragraph no unnecessary sentences, for the same reason that a drawing should have no unnecessary lines and a machine no unnecessary parts.
This requires not that the writer make all sentences short or avoid all detail and treat subjects only in outline, but that every word tell.”

E.B. White は大学で William Strunk Jr. の Writing の授業をとっていた。Professor Strunk は授業の中で “Omit needless words!” とまくし立てるような変わった人だったが、英語の Writing に関して一貫したスタイルを持っていた。その授業では Professor Strunk .が “the little book” と呼ばれていた自作のテキストを使っていた。この本は E.B.White がその “the little book” を改定したが100ページほどの依然littleな本である。英語のライティングのクラシック(らしい)。
1. Elementary rules of usage
2. Elementary principles of composition
3. A few matters of form
4. Words and expressions commonly misused
5. An approach to style

決して英語そのものが簡潔で一意なわけではなく、英語で一般的に書かれている”スタイル”が簡潔で一意なことが分かった。

Elements of Legal Writing: A Guide to the Principles of Writing Clear, Concise,

Martha Faulk, Irving M. Mehler Longman 1996年5月1日

 

Elements of Styleに着想を得たビジネスのためのライティングの本。
1. Principles of Composition
2. Principles of Organization
3. Principles of Wording and Phrasing
4. Principles of Tone
5. Principles of Persuasion
6. Principles of Punctuation Grammar, Abbreviation, Capitalization, and Spelling
7. Principles of Format

Elements of Styleとかぶっている部分もあったけど、スタイルを超えて内容まで踏み込んでいる。より読みやすかったように思った。

フロイトを超えて

エーリッヒ・フロム 紀伊國屋書店 1980年1月

 

「すべての体系はその創始者が展開し、提示する段階において必ず誤りがあること、そしてそれはなぜかということを理解しなければうまく行かない」

「この理論がラディカルであったのは、自らの全能と全知に対する人間の信念の最後のとりで、すなわち人間経験の究極的データとしての意識的思考に対する信念を、それが攻撃したからである。ガリレオは人間から、自分たちの地球が宇宙の中心であるという幻想を奪った。ダーウィンは人間が神によって創造されたという幻想を奪った。しかし、意識的思考が人間の依存しうる最後のデータであることは、だれも疑わなかった。フロイトは人間から自らの合理性に対する誇りを奪った。」

社会学者エーリッヒ・フロムがフロイトの成果を再評価する。フロイトは何を間違えたために誤解されたのか。フロイトが囚われていたものを取り除き、本当に発見したものを丹念に検証していく。その中からフロイトの科学的な姿勢なども明らかになっていく。

フロイトを好きではなかったが、フロムが語るフロイトを読むと、大きなパラダイムシフトをもたらした人だったと感じた。しかし、それを結論するフロムは素晴らしい。フロムが語る科学については感動したので、引用したい。

「選択した事実、実験、そして結果の確かさの単純な連続を科学であるとするこの概念は、もう時代遅れである。そして今日の真の科学者は、物理学者であれ、生物学者であれ、化学者であれ、天文学者であれ、科学的方法についてのこの種の原始的な概念をとうの昔に捨てているのは、意味深いことである。
社会科学における今日の創造的科学者を疑似科学者から区別するものは、理性の能力に対する信念であり、人間の理性と人間の想像力は現象の欺瞞的な表面を貫いて、表面ではなく底に流れる力を扱う仮説に到達しうるという信念である。肝心なこと、彼らは決して確実さを期待しないということである。彼らのすべての仮説は他の仮説に取って代わられるが、第二の仮説は必ずしも第一の仮説を否定するものではなく、それを修正し、拡大するものであることを知っているのである。
科学者がこの不確実さに耐えられるのはまさに人間の理性に対する信念があるからである。彼にとって重要なことは結論に達することではなく、その幻想度合いを減らし、より深い根源まで洞察することである。科学者は誤りを犯すことさえ恐れない。彼は科学の歴史は、誤ってはいても生産的で含蓄深い所説の歴史であって、そこから新しい洞察が生まれて、古い所説の相対的な誤りを克服し、さらに新しい洞察を生むものであることを、知っている。」

よくよく考えると、デカルトが定義した科学も「間違えに負けず、確かさに近づいていく」という考え方が主だったものだった気もしてくる。

一瞬で信じこませる話術コールドリーディング

2005 フォレスト出版 石井 裕之

 

コールド(Cold)=準備なしで、リーディング(Reading)=霊感で読み取ること。コールドリーディングという「まったく事前準備なしで、初対面の人を占う」トリックについて解説している本。著者は、悪徳商法にだまされたりしないように、または、このテクニックを使って、人をハッピーにするために使うこともできるというポジティブな目的で書いている。セレクティブメモリ、ストックピール、Me/Weタイプ、ズームイン、ズームアウト、etc、さまざまなテクニックを具体的な例と共に書かれている。人の心理が垣間見れるのも面白い。

人は見たいものを見て、聞きたい事を聞いて、話したいことを話す。あらためて、そう思った。

群青の夜の羽毛布

2006 文藝春秋 山本 文緒

 

「もしもう一度生まれ変わることができたら、わたしはきっと子供はつくらないでしょうね。結婚もしないかもしれません。どうしてかって?怖いからですよ。わたしは家族というものが、今はこころから恐ろしいんです。」

丘の上の家でひっそり暮らすさとる。さとるは鉄男と出合った。彼は健全だった。ストレートで人懐っこく、繊細だった。鉄男はさとると親しくなるにつれて、さとるの家族の異様さに気づき始める。密室である家族の濃い闇を描いた作品。

久しぶりの山本文緒作品だったけど、やっぱり面白くて一瞬で読めてしまった。